めちゃくちゃ懐柔されました
月光が差し込む中、
シュライスと二人きりでテーブルに料理を並べ終える。
すると、シャンパンとグラスを入れた籠を携えたフェレスが厳かな雰囲気で現れた。
「陛下。ご所望の品をお持ちいたしました」
聞き覚えのある無骨で低い声が、夜闇から溶け出すように響いた。
声の主を横目で見やると、絶妙なタイミングで視線がぶつかる。
墓標で会った時のような覇気や不機嫌さは感じられない。
白目が充血していて明らかな疲労感がにじみ出ている。
彼からグラスを受けとったシュライスは、グラスを傾け差し出した。
「一杯どうだ?」
「ありがとうございます。ですが、まだ夜間訓練の見回りが残っております」
「そうか。残念だ」
シュライスが唇を尖らせる顔を見ながら一歩後ろに控えると、恭しく開陳した。
「ソレイユ軍の士気が衰微しております。隊の引き締めも兼ね、ぜひ陛下にご視察賜りたく謹んでお願い申しあげます」
グラスにワインを注ぎながらフェレスを横目で見つつ「うーん」と唸る。
ソレイユ軍というのは、シュライスが直々に指揮を執っている禁衛軍のことで、王室警備や近衛連帯の中から選別され、武術や戦術もちろん、階級、地位、称号など、あらゆる面で優秀な者の中から選出され、シュライスが認めた騎士のみが所属できる精鋭部隊だと聞いたことがある。
「戦争に勝ったというのに。なぜ彼らの士気が下がるんだろうね、リリア」
細められた金色の目と、瞠目する赤瑪瑙色の目がわたしを見る。
敗戦国の王女に問う話題ではないけれど、わたしはできるだけ勇壮に放言した。
「騎士の精神である騎士道の中には、忠誠、名誉、謙虚がございますが、わたくしは、この三つの基幹が欠如すると、矜持が揺らぎ、士気が下がると推考します」
「へぇ。それは何故?」
「忠誠とは、陛下に対しての敬愛の証。名誉とは、戦功、軍功への評価の証。謙虚とは、己を戒め矜持を持ち、慢心しない証であります。これらが満たされず、評価されない場合、軍という組織の性質上、集団心理へ影響し全体の士気は下がる。それは、亡き我が国の軍では自明の理でございます」
「つまり、今の彼らは王を敬愛していないし、名誉を認められていないし、矜持が保たれていないという事かな?」
フェレスの目が射貫くようにわたしを見据えている。
一歩間違えれば彼の主を愚弄したことと同義になる。
改めてそう自分に言い聞かせ、慎重に言葉を選ぶ。
「陛下は、戦後すぐからわたしと常に行動を共にされていて、軍への慰労もされておられない。彼らは魔法が使えません。魔法使いは、才と実力があれば一人で生きていける。協力して生きるコミュニティを持つ者は少ないです。けれど、騎士は人間。彼らの生きる時間は短い。人は、支え合って生きていくのです。その儚い命を賭け、戦に向かい、勝ったのなら、仕えている主君からの恩賞を心のよすがするのは、健全な騎士の証ではないでしょうか」
細い指で顎をさすりながら、シュライスは耽るように何かを考える様子を見せていた。
フェレスは、地面を黙って凝視している。
ローズリー国王である父は、騎士でもあった。
前国王が、魔法が使えない息子である父上へ騎士道を厳しく仕込んだと聞いたことがある。
父上が口癖のように言っていたのが、騎士は孤独であるという事。
騎士は常に死と隣り合わせであるという事。
そして、不退転の覚悟があるという事が大事だと言っていた。
他にもいろいろな理由はあるだろうけど、士気が下がる理由なんてわかりきっている。
要は、褒めてあげればいいのだ。
「わかった。いいよ。全員と手合わせしよう」
その言葉に、驚愕したような顔でフェレスが立ち上がって呆然とこちらを見る。
「いや・・・・しかし・・・・リーガルに戻した騎士を抜いても百はくだりません。陛下の手を煩わせるかと・・・・」
「日々鍛錬しているきみたちには敵わないよ」
ひらりと蝶が止まるよう優美に微笑みかけられ、刹那、フェレスの瞳の奥に閃光が宿ったのが見えた気がした。
彼は身を屈め、誠実な声音で具申した。
「今回の戦において、陛下の端麗な太刀筋と精緻な立ち回りには、兵士や騎士のみならず、国民からも「英傑」として敬愛の念が高まっております。当世の名声高き王からの慰労とあれば、みな、喜びます」
「過分だけど、お褒めにあずかり光栄だよ」
シュライスはわたしをちらりと見ると、確証を得るかのように微笑んだ。
応えるように、小さく笑顔で返す。
「明日、軍に入ると伝令しろ」
「御意」
フェレスはわたしに対しても軽くお辞儀をし溶けるように下がった。
騎士というより、魔導士や魔法使いの類だと、彼の捉えがたいオーラにすこし気圧される。
そんな勘繰りを他所に、シュライスは満面の笑みでグラスにお酒を注いでいた。
「・・・・シュライスって、酒豪?」
「まさか!たしなむ程度だよ」
「たしなむ程度」の量ではない。
グラスの飲み口ギリギリまで入れられたお酒を、こぼさないように移動させる。
きっと、普段は従者がやってくれるのだろう。
慣れない手つきに思わずほくそ笑む。
グラスを受け取り乾杯をすると、クリスタル特有の美しい音が鐘の様に響き渡る。
舌の上で蜜のような甘さと微炭酸が踊り、花の香りとともにとろけるように喉を通っていく。
「おいしい!」
「リーガルで醸造している国産のシャンパンだ。近々、隣国へ試験的に輸出しようと思っている。きみのお墨付きがあれば安心だね」
満足げにそういうと、こくりとグラス一杯を飲み干した。
リーガルは昔から「美食の国」とも言われていたのを思い出す。
侵攻し領有するたびに資源を増やし、いまや貿易の要ともなっている。
リーガル国から生まれた食べ物は、きっと誰かの幸せも育んでいる。
そう思うと、複雑な気持ちだ。
「きみは今夜、王の寝室で眠ることになるからね」
「?王族同士の初夜の儀は、婚前では厳禁なはずです」
「あー、そうだったね。きみの数々の行動からは輿入れ前の女性のしおらしさやかわいらしさは今のところ見受けられないから、つい錯覚してしまった」
お酒のおかげですっかり緩んだ顔で一瞥し、ちくりと刺してきた。
その通り。のどから出かかっていたが、反駁はやめた。
湖面に月貌が落ち、反射した光が辺り一帯を明るく照らしている。
風に揺れる水面を見ながら、お酒と共に料理をついばむ。
無言で食事ができる相手は本当に信頼できる人だと聞いたことがある。
暫く会っていなくても、会話がなくとも、ふたりの空間が成り立ち、お酒が無くなれば相手の杯に無理のない量のお酒を注ぐ。
食べきれるかどうかの配慮も、感覚で適切にしてあげられる相手。
そういう距離感。
彼と私の間にあるそれだけは事実だった。
食事を一通り終えたシュライスが、とろんとした目で頬づえをつき、物思いに更けた顔で湖面に佇む水鳥を眺める。
ただそれだけなのに、幻想的な姿が絵のように見えて、おもわず彼を丹念に見る。
転生前にやっていたゲームやアニメでも王子様はたくさんいたけれど、別格だ。
ふと視線を感じて上を向くと、シュライスが満面の笑みでわたしを見ていて、彼の金色の瞳で甘く注がれる目線に心臓をつかまれたようにフリーズする。
いたずらっこのように口角を上げて、わたしを見守るように眺めている。
「ぼくに興味をもってくれているの?光栄だな」
「あまり意識してあなたを見たことないから・・・・」
「もっと近くで見てみたら?」
「・・・・策士は信用できない」
「もう夜だ。ぼくの中の策士は寝た」
シュライスはそういうと腕を広げて降伏して見せた。
「なにもしない。約束するよ」
いつもと同じまっすぐな目だった。
一旦信用してみることにして、そろりと彼の真横に座り、頬杖を突きながらこちらを眺めるシュライスの顔を初対面のきもちで見る。
昔から変わらない美しい顔は日を増すごとに光を増している。
久々に会ったのに、男らしい精悍や色気まで装備していた。
そのことに、長い時間あっていなかったことを自覚させられる。
目の下にちいさなほくろがある。
唇は意外と薄い。
眉の毛も金髪だ。
まつげも黒じゃないんだな。
そう夢中になって見ていくと、自分の指が彼の手に触れていることに気が付き慌てて離した。
しかし、わたしの手を逃すまいと、シュライスに素早く捕らえられる。
「きみからぼくに触れてくれるのは、セーフだよね?」
つかんだ手首を軽く返し指を絡ませる。
彼の長くて細い指は、あの戦禍の中で大きな剣を振りかざしていたとは思えないほど繊細なつくりで武骨さはまるでない。
そのまま、わたしの手の甲を唇に当て口づけを落とした。
手を捕られたただけ。
しかし彼のわたしへの扱い方は、壊さないようにしようとする気遣いそのものだった。
その現実に、心臓が跳ねる。
「ぼくをもっと知ってほしい。会わなかった間のことも、ぼくらが出会う前のことも。どんな境遇も、どんな過去も、全部知りたい。ぼくもきみに聞かれたら、どんなことでも話すよ」
彼の紅潮した頬に月光が差し込み、飴細工で創った金糸みたいな髪を照らす。
「・・・・まだ話したくない」
「そうか。じゃぁ、ぼくから提案するよ」
「・・・・提案?」
「一緒に星空を見た日から連れ出したい」
シュライスの顔はひどく真剣だったけれど、真意がわからなかった。
「どういう意味?」
「リリアはあの日から時が止まってる」
「・・・・子供だって言いたいの?」
「そう聞こえた?ならば、そう比喩するきみを変えたい、と言えば伝わる?」
「・・・・言葉遊びのつもり?」
「まだわからない?今のままでは、きみはぼくを殺せないってことが」




