ひとりぼっちのぼく(トラウムサイド)
剣の切っ先から滴る血が、駒鳥の足跡のように連なっている。
そのことに気が付いたのは、誰もいないはずの背から気配を感じたからだ。
「ここで死んだのか?」
ぼくの言葉に空気が弾け、そうだと言わんばかりの風が誰もいないはずの暗闇から流れ込み、頬を通り過ぎていく。
リヒターは強かった。このぼくの服裾を汚し、襟首周りにかまいたちで傷つけられるほどに。だから、正直、疲れていた。虚ろげな瞳で肩越しの暗闇を凝視してやると、光の玉が次々と姿を顕しはじめ、なにかを伝えようとぼくの体を取り囲んだ。
「~~‥‥やかましい!!名乗れ!!死にぞこない共が」
語気を荒げて命令する。肉体のない魂はわがままだ。体、顔、力、地位、名誉、それらを対価として差し出さずとも、自分の意志を、自らの最後の足掻きを救ってくれるとわかれば、叶えようと躍起になる。
「ローぉ‥‥ズぅ‥‥リぃィィ‥‥」
「‥‥ローズリーの民草か。リーガルとの戦で死んだのか?」
国名を言ってやれば、彼らは正体を暴く。生きていたころの自らの肉体を煙のようにゆらめかせながら、数百人はいるであろう戦死した者たちが、恨めしそうにぼくを眺めていた。
「戦死者の石碑では不服か?身寄りもない、花すら手向けられることがない、手を合わせてくれる身内もない。そのような末路を選んだのは、おまえたち自身だろうが」
嘲笑いながら告げたぼくに、彼らの怨嗟に満ちた目が注がれた。だが、これは事実だ。戦争だろうが、病死だろうが、自殺だろうが、生きている間に他者を重んじ、関わる者を尊び、貢献した者は、死んだあとでも大切に扱われる。墓がなかろうが、手を合わせる者すら現れない魂たちの言葉など、この世の塵に等しい。
「無為の徒に力を貸す義理はない、散れ」
凄んでみるが、彼らはゆらりと風に吹かれるだけで自ら動こうとはしない。ただ、恨めしそうにぼくを眺めている。
身なりはさまざまで、騎士の徽章を付けた者、一兵卒の甲冑を付けている者、鍬を持った農夫、赤子を孕んでいたであろう腹の大きい女、幼女、乳飲み子、少年、少女らの顔が伺えるが、みな顔がただれていたり、体に穴が空いていたり、手足がなかったりと、彼らの死因が戦死であることは暗に察せた。だからこそ。
「同情はしない。戦争は世の常だ。100年周期で世界の強者は入れ替わり分裂することでこの世界は歴史を築いてきた。おまえたちの死は必然。当然の結果だ。各々国の贄になったと諦め、墓で静かに寝ろ」
まだ動かない。しつこい連中だ。死んでも尚、己の欲を吐き出す愚者どもめ。腹の中で罵る言葉を唱えながら、無数の魂と対峙しながら、疲労困憊な肉体を観察する。ただでさえ、ぼくはリヒターとの戦いで魔力を消費している。器である彼の肉体疲労も精神に干渉しやすい。
「この世界で体を保つのには限界がある。ディミヌエンドから剥がれた精神を憑依させる器が必要だった。魔法が使えないと、説得力がないからね」
ディミヌエンドが善ならば、ぼくは悪だ。悪は、生きづらい。
本来在るべき精神がすべて散らばり、行き場を無くしたひとりぼっちのぼくは、温もりを探した。人間の体ではなく、単なる魂の火の玉の形で世界に堕とされたぼくが森を彷徨っていると、たどり着いたのは、瀕死の魔法使いの末路だった。銀色の髪、割れたモノクロメガネの縁から見える金色の瞳からは生気が感じられず、このまま死んでいくのだと一目でわかるほどに衰弱していた。
だが、その状態でも彼から放たれる魔力は強力だった。その力に引き寄せられるように、血まみれで横たわる男の傍へと寄ると、彼はぼくへ向かって手を差し伸べてきた。
「きみは、あたたかい、と言ったね」
真綿を触るような優しい手つきでぼくを撫でた後、神の体から抜けたばかりの寂しさに震えるぼくに向かって、紫色の唇で温かいと言ったあと、自らを帝賢などと大層な肩書で名乗った男は、話し相手ができたとばかりに、息も絶え絶えな口で武勇伝を語り始めた。
「意味わかんないよ。死ぬ間際に武勇伝って」
冷たくなっていく男の手の傍で、この世界に魔法があること、神が記した書物を元に魔法を統べる方法を見つけたこと、そして、賢者と呼ぶべき素晴らしい魔法使いの種を世界中にばらまいたことを勝手に話しまくっていた。口から血を吐きながらも話し続けていた男が、ついに息を引き取る兆しが見えたとき。話しを聞いてくれたお礼に、自分が死んだ後ならば、魂の無くなった肉体を差し上げます、などと言ってのけた。
「ヘレシス。きみはほんとに救いようがないお人好しだった」
氷のように冷たい体が硬くなるのを待って、ご提案通り、ぼくは彼の体を頂いた。魂がない器を操作するのは初めてだったが、案外自由が効くし、ディミヌエンドよりも素直だったし、なにより温かい体が手に入ったことで、心が安堵していた。
そしてぼくは、ヘレシスの魔力を使って、魔法を扱う者としての生を受けた。 まずは腕試しと、手近にあった集落へ足を延ばしたが、入った途端、ぼくに向かって悲鳴の嵐が起きた。口々に聞こえる会話を聞くと、生前のヘレシスと縁があった村のようで、ぼくの顔を見るなり、村人たちは血相変えて叫びだす。
「殺したはずのペテン師が生きている!!」
ヘレシスという男はお人好しだったようだ。魔法を使えない人間にすらも情をかけ、魔法で手助けしていたらしい。だが、彼らは所詮人間。魔法を使う者たちに虐げられた積年の恨みは血脈に流れている、いわば、飼い主を持たない獣同然だ。世界は魔法中心で回っていたし、彼らもまた、それを凌駕する力を創り出せていなかった時代だ。ペテン師という名は、彼らとの約束を果たせなかったことで生まれた。魔法使いを村に近寄らせない。そう約定を結んだにも拘らず、ヘレシスの力を借りたいと訪ねてきた強国の魔法使いが侵入したそうだ。そのおかげで無事、ヘレシスは村人たちの手によって八つ裂きにされたというシナリオらしい。
「今なら、人間だけで構成された列強国もある。きみは、生まれる時代を間違ったね」
ヘレシスの皮を被ったぼくは、口々に罵倒しながらぼくをどう殺せるかの算段を始めた村人たちにむかって、腕試しにとばかりにテキトーに魔法を放った。すると、村一帯が焼け野原になり、全員死んだ。ヘレシスが彼らに対抗しなかったのは、少なからず彼らに詫びるきもちの表れなのだろうとはおもった。だが、体を乗っ取ったぼくが言うのだから間違いない。
「おまえは恨んでた。しっかり、彼らに呪詛を唱えていた。にも関わらず、彼らに対しては最期まで善人であろうとした。まったく、くだらない」
この男の素性は知らない。知りたくもない。だが、村人を見た途端、おまえの心が在った場所がずきずきと痛みだし、燃えるような熱をもったことが全てなのだ。後悔はしていない。むしろ、キモチいいくらいだ。
時が流れ、リーガル国が建国されたのを機に、ぼくはまだ幼い国へこの強大な力を与することに決めた。
テキトーに見繕った騎士を魔法騎士カルディナなどと名付け、まだ集落でしかなかった移民たちを焚きつけ、自分についてくれば国が創れると先導し、土地に占有宣言を敷かせた。魔力を持つ者が集まり始めると、そのすべてにセレスの鏡の言い伝えを擦りこませ、国の神器として崇めるように仕向けた。
そして、その言い伝えを妄信したのがシュライスだったのは、運命だとおもった。
線の細い体、程よくついた筋肉の繊維すべてにヘレシスの記憶が刻まれている。それをわからせられるのは、魔法を使ったときだ。彼の意志と、彼の知識と、彼の執着が、ぼくの頭の中を駆け巡り、その渦に翻弄されそうになるのを必死で手綱を引きながら、彼の魔力を扱うのは至難の業だった。
「だから‥‥疲れるんだよ。わかるだろ?いま、お前たちに付き合ってる暇はないんだ」
深い溜め息と共に大理石の冷たい柱に背中を預けると、滾った彼の熱とぼくの熱が同時に冷めていくのがわかる。平静を取り戻しながら彼らを見やると、ぽつりぽつりと数が減っていることに気が付いた。
「そうだよ。所詮、ぼくは神の半身だ」
自嘲気味にこぼした自分の言葉に息を飲む。自ら作り出した世界に心を砕き、耐えられなくなった神ディミヌエンド。だが、この世界を創り出し、均衡の崩れた壊れる寸前の世界を保ち続けるだけの力を持っている。
彼ならば、もっとうまくやれただろうか?目の前で何の対価を支払う事もなく、浄化を望む魂を導くだけの神の気概を見せられるのだろうか。
「でも‥‥」
ぼくは、クズ同然の魂を山ほど見てきた。ディミヌエンドの意識を通して視た人という器の中の魂は、最後まで己の死に抗っていた。大した生き様でもないくせに、ただこの世界にやり残した未練への悔恨だけを滲ませ、欲に満ちた目で神の前に跪く。目の前にいるこいつらと何ら変わりはない。だが、ディミヌエンドは、どんな魂にも寄り添い、差異を探すようなこともしなかった。すべて等しい魂で、尊いものだと言った。
だが、ぼくは、ぼくだけは、彼の中で、必死に叫んだ。クソみたいな魂なんか生まれ変わらせなくていい、彼らに希望を見せるなと。
「おまえたちは、死ぬためにうまれ、生きるために死んだ。この期に及んでまだこの世界で顕現する力が残っているのならば、祈れ。祈って、祈って、祈りまくれ」
己の愚かさを、未熟さを、羞恥心に苛まれながら祈れ。神の力に頼るのはそれからだ。
「心配しなくても、7年後にはこの世界は聖炎に焼かれて滅ぶ。徳を積もうが積まなかろうが、等しくあの世行き。みんな一人ぼっちになるんだ」
ざまぁみろ。喉奥に突っかかった言葉を出そうとするぼくを止めるように諫めてくる。遺伝子が、肉体が、骨や筋組織を通じてぼくを操作してくる。最近は、こんなことばかりで、独りでいられない。
「‥‥わかってるよ、ヘレシス」
重い体を引きずりながら両足で立つ。深く息を吸い込み、目を閉じた。
「罪深き子羊には裁きを。そして、罪びとには死を。彼らの魂を祓い召し上げたまえ」
ぼくは静かに魔法陣を引いた。煌々と差す光の渦に無数の火の玉が騒めきだし、それぞれが歓喜の雄たけびを上げているのが聞こえる。指を歯で小さく咬み切り、魔法陣の上に血を垂らすと、先ほどよりも眩い光が辺りを包み込み、彼らの魂を吸い込んでいく。
「あばよ、カスども」
言葉と同時に足を地面に打ち付けると、魂のざわめきが消え、凪を打ったような静けさが訪れた。
「いつからぼくまでお人好しに成り下がったんだ?まったく‥‥めんどくさいね、この世界は」
大きな声でぼやき叫んでも返る声はない。ミュゲの国の精霊特有の気配が戻ったのを確認すると、ぼくは目的である彼らの元へと進んだ。




