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『その身体は、誰の魂で生きているのか』  作者: 紅玉道


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■第六章:邂逅 後編

 あの青白い亀裂に、記憶が揺さぶられた。どこかで見たことがある。グローの記憶か俺の記憶かもはっきりしない。それでも、あの亀裂が危険だと知っている。

「あれ、なんだ……」

横ではシェリエールとアーリンも、呆然とその場所を見つめていた。あれを見たまま動けないのは、二人も同じだった。

「音が、戻ってる」

アーリンが小さく呟く。

「はい。あの亀裂が現れていた時、何も聞こえていませんでした」

シェリエールに言われて耳を澄ますと、今は風の音や虫の声がかすかだが聞こえている。あの異様なまでの静けさは何だったのだろう。


「……私が、見てきます」

シェリエールが杖を手に取り、先ほど亀裂があった場所へ向かおうとする。

「待って!」

 反射的にシェリエールの手をつかんで呼び止めた。

「一人じゃ危ない。行くなら、俺も一緒に行く」

 振り返ったシェリエールと視線が合い、互いに一瞬だけ動きを止めた。

そしてその脇を、アーリンが呆れたような顔をしながら通り過ぎていく。

「お二人さん、さっさとみんなで行くわよ」


「アーリン、誤解です。別にそういうわけでは……」

シェリエールは珍しく慌てた様子で続ける。

「……聞いてますか、アーリン?」

「聞いてるってば。いいじゃない、別に。私は応援するわよ?」

二人の掛け合いを横目に、さっきシェリエールをつかんだ手へ視線を落とす。

(俺、シェリエールがやっぱり気になる……これは、俺の気持ちだよな)


「確か、この辺りのはずですが……」

 俺たちは、黒い塊があった辺りを見回したが、異変らしいものは何も見当たらなかった。さっきのように視界がぼやけることもなかった。

「何も、おかしな様子はなさそうだな」

 しばらく周囲を調べてみたが、特に成果はなかった。

「仕方ありません。明日改めて報告するとして、今日はもう休みましょう」


翌朝、シェリエールは長老への報告のために神木の祠へ行き、アーリンは長老の家に保管されているフィーア・グラナを取りに出かけた。俺は留守番がてら、荷物の準備を進めることになった。ゲオシア山はここから片道で一日。往復と調査を考えると二、三泊分の用意をした方が良いだろう。

「瘴気が増えてるってことは、またあいつらも出てくるんだろうな……」

蛇の言葉を思い出しながら、同時に瘴霊のことが頭をよぎる。何度遭遇しても、あの不気味さだけは慣れなかった。ため息をつきながら剣を持って外へ出た。もう一度、この体でどこまで動けるのかチェックしておこうと思った。

「ドーハスの剣、って言ったっけ」

瘴気を斬れる剣だと、コワルバスは言っていた。最初は切れなかったのに、斬れると認識してからは確かに斬れた。なんだか、不思議な剣だ。

「詳しいことはわからないけど、また、助けてくれよな」

 剣を抜き、イメージトレーニングをしながら考える。気になることがまだあった。シェリエールとアーリンが、あの時以来この剣について何も言わなくなっていた。

「まあ、機会があったら聞いてみよう」

 神木の方から、シェリエールとアーリンが並んで戻ってくるのが見えた。二人とも用事は終わったようだ。俺の方も荷物は準備できている。俺は剣を納め、家の中へ入った。

 

「お待たせしました、ユウ」

「ただいまー。借りてきたよ、フィーア・グラナ」

「おかえり。シェリエールの方はどうだった? 報告、なんかあった?」

 今日の報告は、俺の儀式が終わったことと、昨日の亀裂についてのはずだ。何か新しい指示はあっただろうか。

「それが……。ユウ、大変申し訳ないのですが、引っ叩いてみてもよろしいでしょうか?」

目が点になった。シェリエールはどうやら本気で言っているらしい。ただ……。

その背中に隠れたアーリンが、後ろを向いて肩を震わせているのが気にかかる。

「あの、シェリエール。何を言われたの?」

 シェリエールはふざけていない。俺は何か意図があるのかもしれないと、きちんと聞くことにした。まあ、アーリンの様子を見ると、明らかにおかしいとは思うが。

「長老様への報告で、亀裂のことを話した時です。ユウが、記憶に引っかかるものがあるらしいと伝えたところ……」

シェリエールは少し言い淀む。

「引っ叩いてでも思い出させろ、と。シェスヴァフ様がおっしゃって……」

 突っ込もうとしたが、まだシェリエールの言葉は続いていた。

「私もまさかと思ったのですが、アーリンに話すと、それが一番効くからと」

すでに爆発寸前になっているアーリンが憎たらしい。

「すぐ終わりますので……ごめんなさい」

 言うなりシェリエールは真剣な顔で一歩俺に近づくと、目をつむり、腕を振り上げた。

(え、嘘だよね……)

 思った時には、手のひらが目の前にあった。

 バチンッ!

「あの、いかがですか?」

「シェリエール……。それ、ただの冗談だと思う……」

アーリンはついに耐えきれなくなったらしく、吹き出して笑い始めた。

「えっ。アーリン?」

もちろん、何かを思い出すこともなく、俺たちはゲオシア山へ向かって出発した。


「ごめんなさい、ユウ。……シェスヴァフ様も、冗談ならそう言ってくれればよかったのに」

 道中、まだシェリエールは気にしているようだ。

「もう。アーリンも、からかったのですね?」

「だってそんなの、わかるじゃない」

こっちは全く気にしていない様子だ。


ひとしきり笑ったあと、シェリエールは少し表情を引き締め、近くの木へそっと手を当てた。そういえば、集落を出た時から、彼女は時折こうして木に触れていた。

「何か、森に聞いてるの?」

「いえ。私たちが通った跡を、森に残しています。今朝、父から指示がありました」

 そういえば、増援が向かってくれているのを思い出した。それより、父って……。

「シェリエールのお父さんって?」

「言っていませんでしたね。私の父はコワルバスです」

 驚いた。報告の時もシェリエールのことをまるで心配していない感じだった。どちらかというと、シェスヴァフの方が気にかけていた雰囲気だった。

(まあ、コワルバスさんってあんな感じだったな)

 妙に納得してしまった。会ったことはないが、会った記憶がある。きっとグローだろう。


「アーリン。ゲオシア山ってどんなところなの?」

俺は、自分が向かっている場所について詳しくは知らなかった。

「この辺りで一番高い山だけど、私たちもあまり行かない。特に何かある場所でもないしね。――ほら、あの雪をかぶってる山」

 アーリンが指さす先には、確かに白く高い山がそびえている。瘴気が出ているような雰囲気は、少なくともここからでは感じられない。そういえば、ここまで瘴気は少しあったものの瘴霊や、危険な存在にはまだ出会っていない。

「なんか、思っていたより何も起きないね」

「そうですね。いいことではありますが、少し気味が悪いくらいです」

 シェリエールも少し顔を曇らせている。何も起きない不安だろうか。

「ゲオシア山ってヒントだけじゃ難しいね。結構大きいから」

 アーリンも珍しく少し不安そうだ。


 せめて、瘴気が増えているという痕跡でもあれば対処の相談もできるのだが、このままではやりようがない。だが、そんな心配はすぐに杞憂に終わった。

「あっち! 瘴気を感じる」

「ええ。行ってみましょう」

 二人はほぼ同時にそれを感じたらしい。向かうと森とを抜け、少し開けた場所に出た。見下ろす先にあったのは、は大きく暗い渦だった。

 巨大と言っても差し支えない。アーリンの集落を丸々飲み込むほどの大きさだった。近寄るだけで感じる空気の重さ。そして肌を突き刺すほどの嫌悪感。間違いない。大量の瘴気が渦を巻いて漂っていた。

「これ……全部、なのか?」

 俺は圧倒されてしまった。正直ここまでは予想していなかった。


「どこか、瘴気の発生源があるはずです。そこを何とかしないと」

「でも、まず周りをある程度浄化しないと近づけない。きっと発生源は中心よね」

シェリエールとアーリンは、渦をにらみながら言葉を交わしている。俺はその横で、流れてきた瘴気を剣で斬ってみた。剣に触れた瘴気が蒸発するように消えた。

(俺も、少しは援護できそうかな)

向こうの話も終わったらしい。こっちを向いてシェリエールが話し出す。

「ユウ。この渦はここに滞留した瘴気そのものです。恐らく、中心に発生源があります。それを止めなければなりません」

 渦の中心。そこまでどうやって近づくか。二人の答えはシンプルだった。

「私とアーリンで浄化をしながら、ユウを守ります。ユウは真ん中で、渦を斬りながら進んでください」

 中心まで強行突破――シェリエールにしては、かなり無茶な作戦だ。だけど、それだけ事態がひっ迫しているのだろう。

「正直、危険な役目です。……手伝って、頂けますか?」

「当たり前だろ。そのために、ここにいるんだ」

俺は、シェリエールとアーリンが頼ってくれたことがうれしかった。恐怖心があるのは事実だが、二人の気持ちに応えたい方がはるかに大きかった。


「……行きます」

 シェリエールの合図で、二人は光を生む。その光に包まれながら、渦に向かって進む。

(斬れる。もっと、渦を裂くように!)

俺はそう念じながら剣を振る。瘴気が裂け――周りから流れ込んだ瘴気がその裂け目を埋める。ひたすらそれを繰り返しながら、少しずつ進む。渦の中は思いのほか静かだった。風も感じない。なのに瘴気は流れている。奇妙な空間だった。


 どれほど進めただろうか。中心って、行けばわかるのだろうか。ちゃんとここから出られるだろうか……。この渦の中にいると思考がおかしくなりそうだ。変なことを考えそうになる。この光が瘴気を防いでくれていなければと思うと、ぞっとする。

「くそっ。おい、どこが中心なんだよ!」

「っ! ユウ、落ち着いて!」

 アーリンの声に我に返る。気づかないうちに感情がおかしくなっていた自分に気づく。 


 俺たちは、薄暗い瘴気の渦の中で、進む道を見失っていた。二人は、ずっと浄化の光を出し続けているが疲労の色が見え始めている。時折、小さな爆発のような衝撃が起こり、風が押し寄せてくる。そのたびに光が揺らぎ、二人の顔が歪んでいるのがわかる。

視線を前に戻したその時だった。渦の奥で、何かが脈打つように膨れ上がった。

「二人とも、伏せろ!」

 言うなり俺は、二人に覆いかぶさる。直後、瘴気が弾けた。

「2人とも、大丈夫か!」

「はい!」

「うん!」

よかった。うまく避けられたみたいだ。だが、状況は最悪だった。二人の光は明らかに弱くなり、視界は真っ暗。何とか立ち上がるがどうしたものだろう。


「……アーリン、アナムに避難を」

シェリエールの低い声が、妙にはっきり聞こえた。だが、言っている意味がわからなかった。

「ちょっ! 何言ってんのよ!」

アーリンの反応からすると、あまりいい話ではなさそうだ。

「ユウの魂は、フィーア・アナムに入れます。そして……私が二人を外まで運びます」

俺とアーリンを一人で運ぶ。この中を?

それがどれだけ無茶なのか、理解するまでに少し時間が必要だった。

「無茶よ! 光を保ちながら風で運ぶの? 無理!」

アーリンが強く反対している。でも、アナムに魂を入れて運べばいいのなら――。

「俺が運ぶ。二人は、アナムに避難してくれ」

今なら間に合う。

だんだん身体が、意識が言うことを聞かなくなってくるのを感じていた。

「いけません、ユウ。あなたが残って、浄化は誰がするのです!」

シェリエールの強い声。だけど、さっき彼女も言っていた。

「自分だって、そうしようとしただろ? 浄化と運搬、同時には無理だとわかってて」

また、小さく瘴気が弾ける。

「早く! 三人でこのまま死んじゃうぞ!」

言った瞬間、頭に一つの考えが浮かんで全身の力が抜けていく。

(でも……それもいいか。もう無理なんだ……)

バチンッ!

「ユウ! しっかりして下さい!」

目の前にシェリエール。頬が痛い。俺は今、何を考えていたんだ……。

「私が……道を!」

アーリンが放つ光が一際強くなると、黒を切り裂き――呑まれた。

 微かな光の中、俺たちは身を寄せて膝をついていた。二人の顔にも、諦めの色が見えている。

(くそっ。二人を、守るんじゃないのかよ……)

 俺はアーリンを抱き上げ、シェリエールの肩に腕を回して立とうとしたが、足に力が入らず、そのまま転がった。


――そして、うずくまる三人の目の前で渦が裂けた。その向こう、強い光で瘴気を抑えつけるようにして、静かな圧とともに細身の老人が立っていた。

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