第5章4 世界への投資
「アーク、かっこいいわ。さぁ行きましょう」
私は身なりを整えた彼を褒め称える。
「行くって、どこへ?」
「商業ギルドよ。行ってきます」
サラたちに向かって手を振りながら、先に立って歩き出した。
足を進めながら、大事な取引に行くのだから、先方に失礼のないように、尋ねられたことにはハキハキと答える、など細々とした注意をアークに話す。
そうして石畳の街を歩き、どっしりとした石造りの建物に着いた。
影が落ち、辺りは少しひんやりとしている。
「こ、ここに入るの?」
アークは少し尻込みをしている。無理もない。今までは市場にある露店にしか顔を出せなかったのだから。
「さっ入るわよ」
そう言って颯爽とドアをくぐり抜ける。アークもへっぴり腰になりながらついて来た。
受付を済ませ待っていると、「かおりさま、お待たせしました。どうぞこちらへ」と、整った髪の、胸にギルド章を付けた、いかにも誠実そうな男性が現れる。
「今日はよろしくお願いします」
私は頭を軽く下げ、笑顔を向けた。
「こちらの方は?」
「私のボディガードです。同行してもらいました」
ああ、最近は物騒ですからねという顔になり、ではご一緒にと案内をされる。
一度アークを振り返ってから、職員の後について行った。
「本日はお越しいただきありがとうございます。今回の案件を担当いたします主任でございます。世界分散~ワールド~の契約でお間違いございませんか?」
「はい。今日をとても楽しみにしていました」
「それはよかった。では、書類はこちらになります」
そう言って、一枚の紙が手渡される。
先日作られたばかりの投資商品の契約書だ。
事前に説明用の書類は手にしていたので、概要はわかっていた。今回はその契約になる。
私は素早く目を通す。ひとつひとつ、確実に、おかしな点がないかをチェックしていった。
「ひとつ質問をしてもよろしいでしょうか」
「はい、なんなりと」
「出資者はどういった方々ですか?」
この商品を作るには巨額のお金が必要だ。商業ギルドの資金だけでは、とても足りない。
「まずはこの商業ギルドの資金が基盤になっております。それにメルナドの街の各ギルドはほぼ全て参加しています。さらに他都市や、他国にも声を掛けており、大商会や貴族の方々も続々と参入されています」
「そうなんですね」
渡された紙をチラリと眺め、私は少し安心した。それならば簡単に無くなることはないだろう。
「――こちらで大丈夫です。お金はこれを」
言いながら、バッグの中から守り袋を取り出す。中に入っているのは――真珠のネックレスだ。
「三粒を換金してこちらに当ててください」
「かしこまりました。まず、拝見させていただきます」
彼は私の真珠を鑑定している。
後ろでは、アークが口をポカンと開けて固まっていた。
「はい。傷も汚れもございません。これは見事な品ですね。2100Gにて換金させていただきます。よろしいでしょうか」
真珠を扱う所作は丁寧で、彼の仕事ぶりがうかがえる。
「ありがとうございます。では、契約を」
私はわずかに震える指先で契約書を取り上げた。
この契約書には、世界そのものが詰まっている。
いい時も、悪い時もあるだろう。
ここ、メルナドの商業ギルドも、農業・冒険者・運輸ギルドも、王都ラディアに移るというアイリス商会、ううん、それだけじゃない。セリオン、オルグレン、フロスケイル、ルリア各国の産業も――。
それらの国々が次々頭に浮かんできた。
この部屋にも飾られている、世界地図とも重なって見える。
そしてチラリと元の世界で投資をしていた――世界分散型投資信託のチャートを思い出す。
フッと時が止まった気がした。
手首の、シュシュの中に隠された、珊瑚の数珠が温かい。
私はそれを握りしめた。
「かおりさま?」
声を掛けられ、私はハッと現実に引き戻された。
「ご、ごめんなさい。少し、ぼーっとしてしまって」
「こちらの商品は、かおりさまのお力添えなくしては成立し得ませんでした。そのお気持ちは、よく理解しております」
穏やかな微笑みが私の心を落ち着かせる。
ペンを取り、先に魔法インクをつけて、佐々木香織と、名前を書いた。
途端、名前は光を放ち虹色に輝いてから、紙の上にくっきりとした文字を残した。
「本日は、ありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ。よい取引ができました。この後は、彼女が案内致します」
そう言って主任は立ち上がり、部屋の外に控えていた年配の女性を紹介する。
「アーク、行くわよ」
すっかり圧倒されて、ぽかんとしていたアークに声を掛け、私も椅子から立ち上がった。
「かおりさま、アークさま、どうぞこちらへ」
そうしてまだ少し緊張感の残っている部屋を後にした。
「かおり、あんた、すげぇ人だったんだな。2100Gってとんでもないお金じゃねぇか。それに世界って」
後を追いかけてきたアークが小声でささやく。
その日の食べ物にも事欠く街の浮浪児だった彼からすると、天文学的な数字なのだろう。
「まだまだ、目指す目標は高いわよ」
私はイタズラっぽくウィンクした。
「これからどうするんだ?」
「商業ギルド内の見学よ。お願いしておいたの。面白そうでしょ」
えっ! と叫んだが、案内をする女性の視線を感じ、アークはヘヘッと笑ってごまかしていた。
「……こちらは、各商会の資料が収められています。年別に分けられ、すぐに必要な書類が取り出せるようになっております」
「手に取って、中を拝見してもよろしいでしょうか」
「手に取ってご覧になられても差し支えございません。こちらの棚の資料は、10年以上前のものとなっております」
私は紐で綴じられた一冊を手に取り、パラパラと中を見る。
きちんと数字が書き込まれ、とてもわかりやすい体裁になっていた。
「へぇっ。こんな資料があるのか。あっ織物の売り上げも載ってる。こっちは薬であっちは銅の価格……うわぁ!」
古い資料を手に、アークがよだれを流さんばかりに見入っていた。
どう見ても、金融オタク少年だ。お尻にパタパタと振られる犬の尻尾まで見えるようだ。けれどそれがここでは武器になる。
案内の女性も、彼のことを興味深そうに見つめていた。
「――以上になります。お疲れ様でした」
「いいえ、こちらこそ、ありがとうございました。とても興味深かったです」
あれから事務員の執務室、カウンターのバックヤード、商会への融資専門室、書類配達部署など、様々な部署を見学させてもらった。
どこを見ても興味津々のアークの態度は目を引き、職員たちの注目を集めていた。
「それであの、いかがでしょうか」
「はい。よろしければ、アークさまには明日より、商業ギルドの書類整理をお手伝いいただければと存じます」
そう言って女性はまだ興奮冷めやらぬ状態のアークに向き直った。
「へっ。あれっ、オレ? 今、書類整理の手伝いって言った?」
突然話を振られて、アークはおかしな声を上げている。
「商業ギルドへの採用が決まったのよ。まだ手伝いだけど――どう?」
「各部署への書類配達も兼務していただく予定です。いかがでしょうか?」
低めの落ち着いた声が優しく掛けられる。
「は、はい。どうぞよろしくお願いします」
彼は一度飛び上がり、直角になりながら頭を下げる。
再び上げた顔は、喜びで満ちあふれていた。
彼の未来は輝いている。そして私の世界も広がっていく。
光あふれる空へ向かって、翼を広げる鳥のように。
――世界はきっと、変えられる。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
よろしければ、続きを読んでいただけると嬉しいです。




