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第5章2 密封という名の火種

 朝の凜とした空気は、まだ眠い頭を目覚めさせる。

 ここ数日行っていた農作業での筋肉痛も、桶の冷たい水が忘れさせてくれた。

 裏の畑に水を撒いていると、ゆらりと白い湯気が立ち昇っているのが見える。一瞬、煙かと思ってドキリとしたが、焦げるにおいはしなかった。積み上げた雑草の山が、発酵したのだろう。

 私は胸を撫で下ろし、作業を終えると、朝食を取るために宿へと戻った。


「行ってきます」

 私はそう言ってとまり木亭を後にする。

 今日はクロードと会う約束をしていた。動きやすいパンツスタイルに、生成りのトートバッグ。とても高貴な男性と時間を過ごす服には見えないけれど、これでいい。

 元気よく商業ギルドまで歩いて行った。


「おはようございます。かおりさま、本日はお時間をいただき、感謝いたします」

 クロードが紳士的に出迎える。

 彼も普段と違って外出着を着ていた。どこか狩りを思わせるスタイルで、とても上品な服装だ。

「よろしくお願いします」

 そう言って頭を下げるともう一人、大柄な赤毛の男性が姿を現した。30代から40代といったところだろうか。


「本日は、私の判断で護衛として一名同行しております。どうかお気になさらず」

 クロードが軽くそう紹介する。


 だが厳しい視線でピシリと立つその姿は――護衛というより、戦場に立つ者のそれだった。

 彼も一礼すると、特に名乗りもせずに共に馬車に乗り込んだ。


「これはクロードさま。いらっしゃいませ。どうぞこちらへ」

 目的地に着き、クロードに手を取られて馬車から降りた。

 ここは工房だ。リップの技術を使った密封容器を試作している。私は彼に頼んで、現場に連れて来てもらったのだった。

 

「初めまして。今日はよろしくお願いします」

 女性が見学に来るのは珍しいのだろう。技術者は表情を柔らかくして、中へと案内してくれる。

 工房は簡素な作りでひんやりとしている。石造りの建物で、床までも石だ。埃が出にくいようにそうしているのだろう。

 

「こちらが現在開発中の容器になります。あのリップの技術は素晴らしい。とてもいい刺激をいただきました」

 大小様々な容器が並んでいる。金属で作られたもの、木でできたもの、竹を使った試作品もあった。

「商品となると、まだしばらく時間が掛かりそうですが、他の業者とも協力して進めております」

 産業は確実に進化している。私の持ち込んだリップひとつで、世界は変わっていく。それを目の当たりにするのが少しこそばゆく、そして嬉しかった。


「あの、今日はお願いがあって参りました」

 私は彼に語りかける。

「密封容器を作っておられるということをお聞きして。――こういうものが出来ないかと」

 私は布のトートバッグから畑で使っている竹でできた水鉄砲を取り出した。

 これは、害虫駆除用としてとまり木亭にあったものだ。中に薄めた木酢液を入れて散布する。


「こちらが――なにか」

 ありふれた道具を前に困惑している。こどものおもちゃにも使われる日用品だ。

「はい。もうひとつ、小型の物も用意しました。こちらなんですが」

 街で買った、一回り小ぶりの水鉄砲も取り出した。


「その、火起こしの道具として使えないかと思いまして。火打ち石で火を点けるのが大変で」

 火打ち石はなかなか難しい。ライターやマッチに慣れていた私は火を点けるのに苦戦していた。

 ダンなら上手くできるけれど、リサも手こずっている。

 危ないので一日の終わりには必ず火を消す。そして翌朝また起こすのが――大変だった。


「なるほど。しかしご婦人、それと水鉄砲はどう関係が?」

 技術者が疑問に思うのも当然だ。この世界では水鉄砲は水を飛ばすだけの道具なのだから。


「こう、空気を圧縮すると、熱が起きます」

 私は小型水鉄砲の先端を塞ぎ、小さな綿を中に入れた。床に先を押し当てて、後ろの棒を勢いよく押し込んだ。

 

「キャッ」

 まるで目に見えないバネが入っているかのように、空気の力で跳ね返されてしまった。

「もう一度、やりますね」

 足で固定して押し込むが、上手くいかない。想像以上に空気圧の力で反発する。


 何回も失敗していると、クロードが手を貸そうと足を一歩踏み出した。

 けれど、「失礼、私がやりましょう」と言って赤毛の男性が声を掛けてくる。私のような非力な者より、鍛え上げられた肉体の彼に任せた方がいいだろう。


「フンッ」


 筋肉隆々とした腕で、力強く押し込んだ。

 ミシリ、という水鉄砲がきしむ音がする。次の瞬間、パンッという高い音が鳴った。焦げ臭い匂いが辺りに漂う。


 棒を引き抜くと、中からコロリと火の点いた綿が転がり落ちた。

 技術者も、赤毛の男性も目を丸くしている。


「……と、このようにして火をつけたいのですが、できるでしょうか」


 火をつけるには密封容器が欠かせない。水鉄砲では非力な者では成功しないと今の実験でも立証された。

 でもリップの技術を使った容器なら――。


「これはいい! こんなに簡単に火種が作れるなんて」

 技術者が興奮して目を輝かせる。

「様々な現場で使えます! 料理店でも、鍛冶屋でも。遠征中のたき火だって簡単に起こせる」

 赤毛の男性も唸っている。彼の目に、油断のならない火が灯った。

 クロードは、そんな二人を一歩離れたところで面白そうに眺めていた。


「これ実は、逆のこともできるんです。ちょっと綿を濡らして――」

 今度は濡らした綿を水鉄砲の中に入れる。

 もう一度固定して、今度は後ろに引っ張った。


 ――固い。なかなか引けない。


「ご婦人、私が」

 今度も即座に赤毛の男性が申し出る。

 うん? 技術者でもなさそうなこの人も興味が? と思ったが、私は彼に水鉄砲を渡した。

「勢いよく引いてください。できる限り一瞬で」

 彼は頷いて「ハッ!」という掛け声とともに棒を引く。

「――!」

 中から固まった綿が転げ落ちた。指で触れると、――冷たい。凍ってる。

 成功だ!


「なんとこんなことが!」

 技術者は感動に震えている。彼の職人魂に火がついた。

「あなた――素晴らしいですね。ぜひご意見を参考にしたい」

 そう言って私の手を取った。

「かおりさま。見事なアイデアですね。正直驚きました」

 クロードも、目の前で起こった実験に賛美の言葉を贈ってくる。

 私がしたことなんて、中学の理科で習う簡単な実験のようなものだけど、少し嬉しくなって思わず鼻が高くなった。


「――彼女を、どう評価する」

 私と技術者が熱心に話し込んでいるところから少し離れた場所で、クロードが赤毛の男性にそっと囁く。

「底の知れぬ人だ」

 男性は短くそう言った。そしてじっと水鉄砲の改良方法のやりとりをしている二人を眺めている。

「密封――か」 

 彼は頭の中で計算をするようにブツブツと口の中で呟いていた。

 そしてひとこと、「これは、革命が起きるぞ」と言った。


 男性は黒くなった綿を拾い上げ、指先で転がしながらしばし考え込んでいた。

 密封された空間で起きる熱と圧力――その条件が、彼の記憶のどこかを刺激する。

 そして、何か他の考えに思い当たったように口を開いた。

「そう言えば、最近魔物の発生原因となっている場所の報告があった」

「なにっ?」

 クロードがハッとして赤毛の男性の顔を見返す。

 

「下水の澱み、腐敗したゴミ捨て場、放置された古い鉱山の中、ひどい臭気の漂う熱せられた泉、火山――。いずれも逃げ場のない空気が滞り、生き物が大量に死んでいた場所だ」

「生き物の墓場か。死の濃度が高い場所で魔物が生まれる――それは」

「最近街でも魔石を拾ったという住民が増えているそうだ。嫌な兆候だな。密かに、何事かが進行しているのかもしれん」 


 そんな二人の会話にも気づかずに、私は密着させるために棒の先端に油を塗ったり、ほくちを詰める穴を作った方がいいのではないかと、熱心に話し込んでいた。

 

 帰りがけに、私は技術者にお願いした。

「見本が出来たらぜひ教えてくださいね」

 クロードの隣にいた赤毛の男性も声を掛ける。

「よろしければ、私にもひとつ分けてもらいたい。――これは画期的な発明だ」

 低い声で言うその言葉は、どこか切迫している。

 まるで――その道具が近いうちに必要になると予見するかのように。

「できあがるのが楽しみですね」

 しかしその言葉もクロードの爽やかな笑顔にかき消された。 

 そうして私たちは帰路についたのだった。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


よろしければ、続きを読んでいただけると嬉しいです。

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