8話
月光は潜伏が得意である。
こればかりは人生経験がものを言った。月光は人の意識の後ろ側に隠れる。
『まさか、あんな場所にいるはずがないだろう』というような場所――ではない。まさかいないだろう、とさえ思えないような、意識にも浮上しないような場所を隠れ場所に選ぶのだ。
彼女が気を払うのは『目に留まる』よりも『意識に留まる』であった。
そんな彼女の隠れ家を看破することができるとしたら、それは、月光自身に教育を受けて、月光の思考方式を会得した者ぐらいだろう。
つまり、アレクシアには可能だった。
「あの森の中の家に帰ったらいないんだもん。探したよ」
人を招くことを想定していない隠れ家である。
テーブル一つに椅子一つしかないこの場所では、アレクシアは立っているしかない。
成長したアレクシアは、人間族の女性相応の背の高さだった。
平均より、やや高いかもしれない。手足がすらりと長く、髪は綺麗に整えられ、月光が何より熱心に教えた『美しさ』にかんする教育をすべて実践し続けている様子であった。
親の欲目を抜きにしても、街でもちょっと飛び抜けた美女だろうなと思える。
背の高い彼女に見下ろされるのは、アレクシアが何を考えているかわからない表情なところもあって、かなりの重圧だった。
月光は――
こういう時に、強がるクセがある。
おどろいていた。言葉に詰まっていた。
成長した我が子を久しぶりに見て胸がいっぱいだった。
それでも、椅子にかけたまま、不遜にテーブルに肘をつき、鼻を鳴らして、述べる。
「母が恋しくなったか?」
「手紙は読んだでしょ」
アレクシアは月光を知っているので、無駄話には付き合わない。
少しでも本筋から逸れた話に応対してしまうと、そのまま本筋をうやむやにされるものと、しっかり学習しているのだった。
月光は肩をすくめる。
「今、その返事を書いておったところじゃ」
「どうせ『会わない』とか、『勝手にしろ』とか言うに決まってるから、直接会いに来たよ」
「……」
「一人で来たのは、彼が足手まといだから」
彼、重戦士なの――アレクシアはなんとなく嬉しそうに述べた。
……まあ相手の親へのあいさつに鎧姿で来るはずもなかろうが、斥候としての能力は低かろうなというのはわかった。
月光は耳慣れない足音が聞こえれば逃げる。
その性質を、というか『耳慣れない足音が聞こえたら、正体を見極めようなどと思わずに逃げろ』という教育を、よく覚えているアレクシアなのであった。
この状況は『詰み』だ。
こうなると観念が早いのが月光だ。
相手が敵対者なら死ねば逃れられるし――
娘なら、素直に応答すればいいだけの話だろう。
「で、なんじゃ。こうまでして、わらわの機先を制したからには、どうしても通したい要求があるんじゃろう?」
「不安は意味ないから」
「……は?」
「お母さんがずっと子供の姿のまま歳をとらないことも、しっぽが普通の獣人より多いことも、私が捨て子だったことも、みんな言ってあるから」
「…………貴様」
「……まさか、私が捨て子だったこと、秘密のつもりだった?」
うん。
明かしたつもりはなかった。
だが、月光はどうにも、相手の想像力を甘く見る悪癖があるらしい――甘く見るというのは、侮るというのとは少し違う。相手の能力が低くないとうまくいかないので、希望的観測にすがる、という心の弱さからくるものだった。
だが、まあ――
どうやら、完敗してしまった、らしい。
月光は深く大きな息をついた。
「しゃべり方がのう」
「え?」
「しゃべり方が、もう少し、わらわに似るものと思っておった」
「……?」
「わらわの、この話し方はな、教育のたまものなのじゃ。まだまだ世界が未開のころ、ある集落に『予言』の力を持つ子が生まれた。その者の言葉が、予言なのか、そうでないのか、判断できない村人たちは、その子にさまざまな枷をつけた。大仰な口調、神聖な雰囲気、予言以外の言葉は呪いなのだと教えこみ――その子の人間性の剥奪を試みた」
「……」
「そうしてその子は、予言を話すだけの装置となった。……そう教育されたのだから、それはまあ、そうなるじゃろ、という話じゃな。だというのに貴様は、わらわに教育されながら、そんなにも、まともになった」
「……」
「賢い子じゃ」
近う、と言いながら、月光は立ち上がる。
すっかり大きくなった娘は戸惑いながらも月光のそばに寄った。
「もう、手がとどかなくて、なでてやることもできん」
「……」
「賢い子よ、理解せよ。まともに育ち、まともな職につき、まともな社会で生きる貴様は、もう、わらわに近寄らん方がよい。わらわとの関係性を誰にも明かすな。今は熱病のような恋心で頭がいっぱいなだけで、いずれ、わらわの奇異さが鼻につくようになる」
「そんなこと」
「貴様の話ではない。貴様の、周りにいる者の話じゃ」
「……」
「人は奇妙なものを殺すぞ。どんな理由をつけても殺そうとするぞ。殺す以上のことさえ平気で行うぞ。奇妙なものにはなにをしてもいいのだという感情がまずは根本にあり、そのあとに理屈をつける。そして理屈など、いかようにもつく。『真の正しさ』などなく、人は自分の信じる正しさのためならば、いくらでも正義を捏造するし、その検証などしない」
「それは、経験談?」
「そういった、爪弾きものどもが、過去にはいたという話じゃ。今も、必ずいる」
「……」
「爪弾きものどもが認められるには、偉業を成し遂げるしかない。圧倒的な暴力をもって、国家を興すほどのことを成すしかない。そこまでの重責を、わらわは貴様に負わせるつもりはない」
「でも、その話は、あんまりにも極論に思える。悲観的にすぎるよ。世の中は、もっともっと、いいことがあるし、いい人もいる」
「いい人などおらんよ。悪い人もおらんがな。人は、状況に応じた反応をするだけの肉のカタマリにしかすぎん。人格というものは幻想上の存在でしかない」
「じゃあ、私はなんなの? お母さんと今、話してる私は。私の意思で、引きずってでも彼氏に合わせようとしてる、私は」
「そこには、人格がある」
「幻想上の存在なんじゃないの?」
「幻想上の存在とて、数は少ないが実在するじゃろう。ただしそれは、多くの人にとって、異世界の話じゃ」
「わからないよ。なにを言っているの?」
「わからんでよい。……まあ、あとな」
「なに」
「わらわは、貴様を看取りたくない」
「…………」
「察しているじゃろうが、わらわは、長生きするぞ。人間よりも、エルフよりも、長生きする。あるいはドライアドより、長生きするかもしれん。先に貴様は死ぬ」
「……」
「『育てた娘は、街で生き、結婚して、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし』――と、ここらで終えておくのが、わらわにとって、もっとも重圧の少ないところじゃ。だから、もう、わらわにはかかわらん方がいい」
「それを、言われちゃうと……もう、どうしようもないじゃん」
「本当はなあ、貴様には不死者殺しをやってもらいたかったのじゃがのう。具体的な方法がわからぬゆえ、教育だけして、あとは偶然そこにたどり着くのに任せるうちに、なにやら、そういった世界の抱える問題とは関係のないところで生きて、勝手に幸せになっていく」
不死者殺しは月光が生涯を懸けて成すべき目的だ。
けれど、あまり一生懸命とは言えないかもしれない。
月光の一生は長い。
全力で取り組み続けていては、息切れしてしまう。
「だからな、アレクシア。貴様は勝手に幸せになれ。貴様の人生はわらわの本筋とはなんら関係がなかったし、わらわの成すべきことも、貴様の人生に関係はしなかった」
「お母さんに叶えたい夢があるなら、私、やるよ。そうしたら……」
「やる気があってもどうにもならん。天分や天運というものがある。貴様にはそれがない。……あまり食い下がってくれるな。わらわはな、貴様にとっての厄介者にならぬ今のうちに、貴様の美しい思い出になりたい」
「言ってることがわかるのに、引き下がれないよ。どうして、こんな……私が会いに来なかったら、まだ私たちの関係は続いたの?」
「いやあ、わからんぞ。わらわも、ひっそりと消えていたかもしれん。別れの言葉を交わせるのは、運がいい。たいていの別れは唐突に訪れるものじゃからな」
「力づくで引きずっていってもダメかな」
「やめんか馬鹿者。かよわい少女たるわらわになんてことをしようとするんじゃ」
アレクシアは、何かを考え込んでいるようだった。
けれど、いいことは思いつかなかったらしい。
「平行線だね。こうなったらもう……勝てない。無駄話を永遠に続けるほどの時間は、私にはないもん」
仕事があるからね、とアレクシアは言った。
わらわには仕事なぞない、と月光は笑った。
「しっぽもらっていい? いっぱいあるから、一本ぐらい」
「おそろしいこと抜かすな貴様……」
「ダメなやつかあ……思い出にするしか、ないんだね、本当に」
「わらわと貴様は関係なかった。それだけじゃ」
「さすがにそれは無理だよ。だって、私を拾って育てたのは、お母さんだもの。私の体のすみずみに、お母さんはいるんだもの」
「では、『それ』をもって行け」
「うん、そうする」
アレクシアの腕がすっと動いて、月光を抱きしめる――
直前で、止まる。
「持って帰りそうだから、やめておくよ。――ああ、もう、本当に。いろんなことを私に教えたくせに、無茶な夢の見方だけは、一回も教えてくれなかったね」
――じゃあね。
アレクシアは存外あっさりと去って行った。
無茶な夢の見方だけは教えていない。その通りだった。その通りすぎた。
月光は夢みたいな目標を持っているけれど、自分なんかがそれを達成できるわけがないと、心の底ではいつも思っている。
夢を見ているフリならできても、夢を見ることは、できない。
だから。
……一瞬だけ心によぎった、娘と、その夫と、その子供と、自分がいる、暖かい光景は。
ぼやけて、暗闇の中に溶けていった。
アレクシアが去っていって、しばらくして。
月光は椅子にかけ、しっぽを揺らして、テーブルに頬杖をつきながら、思い出したように、つぶやく。
「……まあ、良い、ヒマつぶしじゃったわ」
本当に。
ヒマつぶしどころではない――長い長い、激動の、時間だった。
育てた娘は、街で生き、結婚して、幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。
めでたしの、先は――
もはや、月光とは関係のない、彼女の、物語だ。




