推薦合格の裏側━(陽子編)
「一ノ瀬家は才能に恵まれているわね」
リビングで母が微笑むたび、私の胸の奥に、ささやかな棘が刺さる。「そうね」と当たり障りのない返事をして、私は自室のドアを閉めた。
推薦入試の合格通知が届いてから一週間。周囲の空気はすっかり変わってしまった。先生たちは「当然の結果だ」と期待を口にし、友人たちは「陽子ちゃんは天才だよね」と無邪気に笑う。
「天才だよね」
そう言われることには、もう慣れていた。否定したところで、「謙遜しすぎ」と笑われて終わりだ。誰も、私の言葉を本気では受け取らない。彼らの中で私は、最初から何でもできる人になっている。
「陽子ちゃん、息抜きくらいしたら?」
「私は天才じゃないよ。普通に勉強してるだけだよ」
と答えても、彼らは決まって「出た出た、その余裕!」と茶化す。そんな時、心の中で静かに何かが損なわれていくのを感じる。彼らは、私が泥の中で転んだことなんて想像もしないのだ。
私は机の引き出しの奥から、一冊の古いノートを取り出した。
推薦対策の初期、何度も小論文をダメ出しされ、赤ペンで真っ白になった草案が綴じられている。
「論理が飛躍しすぎている。これでは、あなたの良さが何も伝わらない」
当時の面接官役だった先生の厳しい声が、今も耳の奥で疼く。あまりの情けなさに、トイレの個室で声を殺して泣いた。指が震えてペンが握れなくなり、机に突っ伏したまま、自分の頭の悪さに絶望した夜もあった。
けれど、その苦しみは、今となっては誰の目にも触れない「過去の出来事」として処理されている。
私がどれだけ積み上げても、みんな最後は「才能」という言葉で片付けてしまう。
いちいち努力の量でマウントを取るなんて、大人げないし、何より無意味だ。諦めることにも、もう慣れてしまった。
窓の外を見ると、まだ深夜の住宅街が静まり返っている。
ふと、廊下の向こうにある陽葵の部屋に視線が向く。
その時だった。静寂の中、小さく椅子を引く音が聞こえた。
あの子も、まだ起きている。
私にはもう必要のなくなった戦いを、あの子は今も続けているのだと、突きつけられた。




