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異世界のいけにえ  作者: 谷尾銀
第三章 異世界〈1025〉
23/27

【14】嘘


 充分な休憩を取ったあと、ロザリア、ミーシャ、パミーナの三人は洞窟をさ迷い歩く。

「……それにしても、この洞窟はいったい何なのだ? 誰が何の目的で……」

 石造りの通路を進みながら、ロザリアは誰にでもなく問うた。

 ミーシャがその疑問に対する己の見解を述べる。

「恐らく以前、姫様に話した人喰いの魔女エレナ……」

「ああ……」

「彼女に所縁ゆかりのある場所だと思われますね。もしかしたら、秘密の隠れ家だったとか」

 そこで二人の後方を歩くパミーナが話に割り込む。

「そういえば、魔女が被っていたのは、大鴉の仮面だったわね……あの大男も鴉の仮面を被っていたけど……」

 彼女の口から“あの大男”という言葉が出た瞬間、ロザリアが露骨に顔をしかめた。

 きっと、殺人鬼の事は思い出したくもないのだろう。

 慌てて話題をそらしにかかる。

「そっ、それより、笛吹き男パイドパイパーよ」

「何ですか? 姫様」

「異世界とは、いかなるところなのだろうか?」

 パミーナが答えようと口を開きかけると、それを遮る様にミーシャが言葉を被せた。

「きっと、素晴らしいところですよ」

「本当か?!」

「ええ」

 パミーナは唇を尖らせる。

「あまり、いい加減な事を言って期待させない方がよろしいんじゃない?」

 しかし、ミーシャは、

「大丈夫。姫様はきっと幸せになれる」

 それは確信に満ちた力強い言葉だった。

 そして、唐突に彼女は「あっ」と声を上げて立ち止まる。

「どうした? ミーシャ」

 ロザリアは小首を傾げた。

「今のうちに渡しておきますね」

 そう言って、ミーシャは荷物の中から封蝋の施された手紙を取り出した。

「何だこれは? 手紙……? 余に宛ててか?」

「はい。昨日の夜、書きました。あとで開けてください」

「あとで? ……余に言いたい事があるならば、今この場で、口で言えば良いではないか」

 訝しげなロザリアに向かって、ミーシャは少し困った顔をする。

「面と向かっては、言いにくい事もありますゆえ……」

 二人は、これまで身分の差はあれど、仲の良い姉妹の様に遠慮なく何でも言い合って来た。

 ロザリアは、こんな風に遠慮するミーシャを見るのは初めての事だった。

 違和感はあったが、考えてみてもミーシャの意図をさっぱり掴めなかった。

「……まあ、よいだろう。落ち着いたら、そちのいないところで読むとするか」

 そう言って、ロザリアは手紙を荷物の中にしまい込んだ。




 それから三人は、滝壺の西側にあった茂みの中の洞穴から外へと出た。

 雨足は随分と弱まり、頭上の枝葉の隙間から灰色の空が見えた。

 すぐ近くの木立の向こうに台地の岩壁が覗けたので、方角やだいたいの位置はあっさりと掴めた。

 三人は岩壁を目印に東へと進み、滝壺の南を流れる渓流へと突き当たった。

 その対岸に見える森は、まだ火の手が収まっていなかった。

 三人は川原の手前にあった低木の茂みに隠れながら周囲の様子を窺う。

「教会の連中はいないみたいね……」

 ミーシャは木の葉の間から川原を覗き込みながら言った。

 パミーナが言葉を続ける。

「あの鴉の仮面にずいぶんとこっぴどくやられていたから。それに、あの酷い火事ですし……流石にもう諦めたんじゃないかしら」

「だと良いのだか……」 

 と、暗い表情で呟くロザリアだった。

 すると、そんな彼女を安心させようとミーシャが明るく笑う。

「大丈夫ですよ、姫様。流石の教会も、異世界までは追っていかないと思います」

 これにはパミーナも同意する。

「そうですね。そもそも転移術では、向こうに到着する時代と場所は選べません。だから、例え教会の連中が転移術を使って姫様のあとを追いかけたとしても、よほど運が悪くない限りは大丈夫かと思います」

 それを聞いた瞬間、ロザリアはある事に気がついて大きく目を見開く。

「ちょっと待て! 笛吹き男よ」

「何でしょう? 姫様」

「時代はまあ良いとしても……場所を選べなかったら大変ではないか?」

「と、言いますと?」

「だって、向こうに着いた先が海の底だったり、空の上だったらどうするのだ?」

 目を白黒させて慌てるロザリアを見て、パミーナはくすりと笑う。

「そこは、大丈夫です。確かめようがないので、あくまでも理論上は……という話になりますが、少なくとも地表、もしくは、水面付近に到着するはずです。詳しい理屈の説明は省きますが、転移術とはそういう術なのです。壁や物にめり込む事もありません」

「そっ、それでも着いた先が海の上という事もあるのだろう?!」

「あるでしょうねえ」

 と、パミーナは慌てふためくロザリアとは対照的にのんきな調子だった。

「何とかならんのか?!」

「こればかりは、今の技術では何とも」

 パミーナが首を横に振った。ロザリアは見る見るうちに涙目になる。

「そんな……」

「我慢してください。今から五十年くらい前は、それこそ、空の上に出たり、水の中だったり、壁にめり込む可能性もあったそうですよ? 今はこれでもずいぶんと進歩したのです」

 パミーナは鹿爪らしい顔で言う。

 すると、ロザリアがミーシャに懇願する。

「よ、余は泳げん。ミーシャ。もしも水辺に出たら頼んだぞ?! 本当に頼んだぞ?!」

 そこでミーシャはくすりと笑う。

「……大丈夫ですよ。姫様。姫様ならば、きっと安全なところに到着できます。あたしが保証しますから」

 妙に確信に満ちた口調だった。

「本当か?! ミーシャ」

「ええ」

 ミーシャが頷く。

 しかし、パミーナは呆れ顔で眉をひそめた。

「……またいい加減な事を。あまり期待させない方が……」

 その言葉の途中でミーシャが立ち上がる。

「教会の連中もいないみたいですし……行きましょう。姫様」

「うむ」 

 ロザリアも立ち上がる。

「ちょっと、待って」

 パミーナが二人のあとに続いた。




 三人は川原沿いに上流へと遡り、滝壺の西側の岩場へと辿り着く。

「この辺で良いわ」

 パミーナの言葉で三人は立ち止まる。そこは大きさも形も、うずくまった火竜に似た大岩と水際の間だった。足元は目の細かい砂礫されきに覆われている。

「いよいよか。長かった……」

 ロザリアが両手を突き上げて背伸びをした。

「では、儀式を始めるから、ちょっと、待っててください」

 そう言ってパミーナは荷物から細い棒を取り出す。それは木製の縦笛だった。

 パミーナは、その縦笛の先で砂礫の上に魔方陣を描き始める。

 魔方陣の半径は、ちょうどロザリアの身長ほどだった。

 四重の円の中に、見たこともない様な記号や文字が次々と書き加えられてゆく。

 魔方陣が完成するとパミーナは縦笛を奏で始めた。

 死にかけの老婆の悲鳴の様な音色だった。曲調も薄気味悪い。

「何だ……気持ち悪い」

 ロザリアが顔をしかめる。

 曲が終ると魔方陣が青白く輝き始める。

「それじゃあ、魔方陣の中へとお願いします。まだ次元の穴が開くまで数分かかりますので、そのまま、お待ちください」

「うむ」

 ロザリアが魔方陣の中心へと向かう。

 しかしミーシャは動かない。

 魔方陣の縁に立ったままだ。

「どうしたのだ? ミーシャ。そちも早く来るのだ」

 ロザリアは首を傾げる。

 ミーシャが寂しそうに微笑む。

「ごめんなさい。姫様……ここで、お別れです」

 ロザリアの表情が凍りつく。

 パミーナが目を見開いて、ミーシャの顔を見た。

「あなた……何を言っているの?」

 ミーシャはロザリアの方を見たまま言った。

「あたしは元々、この世界の者ではないんです」

 一度、漂流物となった存在は、二度と次元の穴を潜る事はできない。

「何を……ミーシャ……そちは何を……」 

「あたしは、向こうの世界の二〇四〇年から来ました。だから、もう向こうには帰れないんです」

「……ミーシャ。冗談はやめろ」

「冗談でも嘘でもありません。姫様……」

 少しの間、無言で見詰め合う二人。

 ロザリアが先に口を開いた。

「向こうに行ったら……そちの演奏をもう一度、聞かせてくれる約束だったではないか……」

「すみません……嘘を吐きました。その命令に従う事はできません」

「そんな……そんな馬鹿な……」

 魔方陣が輝きを増す。

「もうすぐ、次元の穴が開く!」

 パミーナが声をあげた。

 ロザリアが魔方陣の縁に立ったままのミーシャに向かって手を伸ばす。

「ミーシャっ!」

 しかし、ミーシャはその手を払いのけ、ロザリアの胸を右手で優しく突いた。

 尻餅を突くロザリア。

「ミーシャ……」

 そんな彼女を見下ろして、ミーシャは精一杯の笑顔を浮かべながら言った。


「ジントニック、飲み過ぎないでね」


 ちょうど、その言葉が終わった瞬間、ロザリアの姿は青白い光に包まれて、跡形もなくこの世界から消え失せた。

 やがて魔方陣は輝きを失う。

「……あなた、いったい何者なの?」

 パミーナは唖然とした表情で問うた。

 すると、ミーシャは肩をすくめて冗談めかした調子で言葉を返す。

「ごめんなさい。G23Fはまだまだあなたにあげる事はできない」

「そんな……事は、別に良いんだけど……いや良くもないけど……ていうか欲しいけど」

 その言葉の直後だった。

 滝壺の南から、怒り狂った雀蜂のはばたきじみた音が近づいて来た。

「……この音……!」

 ミーシャは滝壺の南側を向いた。

 すると南の川原から滝壺の縁へと続くなだらかな傾斜を登って来る者がいた。

 死んだはずの殺人鬼である。

「何なの? あの光……」

 パミーナは殺人鬼の瞳の赤い輝きを見ておののく。

「チェーンソー、回ってる……キャブレターまでたっぷり水に浸かったはずなのに……」

「きゃぶれ?」

「あいつ、不死族アンデッド化したのか?」

 そのミーシャの言葉にパミーナは首を横に振る。

「不死族を産み出す秘術は、ずっと大昔に聖イトーによって封印されたはず……」

「じゃあ、あれは、何なのさ!」

「私が知る訳がないでしょう?!」

 殺人鬼は困惑する二人の元へと徐々に近づいて来る。

 その姿は最早この世界では伝承の中の存在となった不死族などより、ずっと禍々しい何かだった。

 しかし、ミーシャは「ふう」と息を吐き出すと落ち着き払った表情に戻る。

 それを見たパミーナは眉をひそめる。

「ねえ、どうしたの? 早く逃げないと」

 ミーシャは首を横に振る。

「……こんなところでタイミング良くラスボス戦だなんて、昔好きだったVRゲームみたいで、懐かしくなっただけ。もう、あたしがこっちに来た目的は果たしたし、出し惜しみしないで思う存分、暴れてやる」

 ミーシャは左手にG23F、右手に三日月刀シミターを構えて獰猛な笑顔を見せる。

「ちょっと……あなた、頭おかしいんじゃないの!?」

 パミーナの言葉を無視してミーシャは晴れ晴れとした表情で高笑いしながら駆け出す。


「あはははははははっ ……こういうのって、最高にエキサイティング!」


 こうして最終決戦ラストバトルが始まった。

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