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異世界のいけにえ  作者: 谷尾銀
第三章 異世界〈1025〉
11/27

【02】いけにえ達


 一〇二五年の始め。

 大陸北岸の小国ベリントにて。

 港外れの古びた廃屋に潜伏中だったロザリア一派に教会の追っ手が夜襲をかけた。

 ベリントの憲兵の力も借りて行われた大捕物の結果は以下の通り。

 ロザリア一派三十名中、五名を捕縛。二十三名を討ち取ったものの、必死の抵抗に合い教会側は甚大な被害を被る。お陰で肝心の姫とその側近の一名を取り逃がしてしまった。

 それから三日後――。

 港に程近い留置場内での事だった。

 燭台の明かりに照らされた窓のない部屋にて。

 その部屋の中央には床に固定された四脚の丸椅子があり、そこには後ろ手を縛られた裸の闇エルフの女が縛りつけられていた。

 両足は椅子の脚に縄で固定され、大きく目を見開いている。

 彼女は丸二日以上眠っていない。

 それもそのはずで左右の目の下に針の並んだ小さな板が取りつけられていた。針の先端は目を閉じようとすると上目蓋に突き刺さる様になっている。

 更に女は全身が血塗れで、体のいたるところの皮が切り取られ、筋肉が露出していた。目の下の針がなくても苦痛で眠る事などできはしないだろう。

 背中は鞭打べんだの痕で覆われ、下腹部から太股を伝いしたたる大量の血液が床を汚した排泄物と混ざり合い、凄まじい臭いを放っている。

 両耳は斬り取られて爪は既に一枚もなかったが、歯や舌、喉回りだけは綺麗だった。

 女は捕縛されたロザリア一派五名の内のひとりで、姫つきの侍女だった者である。

「ふーっ、ふーっ、ふーっ……」

 荒い息遣いが、薄暗がりを震わせる。

 と、そこへ足元の汚濁に集っていた蝿が一匹、彼女の血走った右の眼球に止まった。

「おああああああああっ!!」

 思わず瞬きをしてしまい、狂人の様な悲鳴を上げた。

 すると部屋の扉が開き、修道服姿の男を引き連れた身なりの良い人物が姿を現した。まだ若く短い金髪で、整った顔立ちをしている。

 聖騎士のホプキンス将軍であった。今回のロザリア姫の追跡を教会から一任されている。

「……話す気にはなったか?」

 ホプキンスは、ほくそ笑みながら侍女に語りかける。

 教会は三日前の大捕物のあと、すぐに街道と港を封鎖した。町中の捜索も続けている。しかし、姫と側近一名の行方は依然としてわかっていない。

 建前上・・・は、その行方を探るための尋問であった。

「……くたばれ!」

 その罵倒の言葉を涼しげな顔で受け流し、ホプキンスは修道服の男に右手を差し出す。

 男は鞄からペンチを取り出し、その右掌に乗せる。

「ふむ。一本ぐらいは無くても喋る事はできる……」

 ホプキンスは闇エルフの顎を左手で持ち上げ、無理矢理口を開かせると、ペンチを乱暴に突っ込んで奥歯を挟んだ。

「あ……ごっ、がっ……」

「もう一度訊こう。姫の行き先に心当たりは? 喋る気になったか?」

うああぁえくたばれ!」

 ホプキンスの顔が、まるで甘いお菓子を食べた時の様に歪む。

 がりっ、という音がして女が悲鳴を上げた。

 血に濡れた褐色の腹がうねり、女は胃液をぶちまける。

「おっと、危ない」

 ホプキンスは飛び退いて、ペンチで強引に引っこ抜いた女の前歯を投げ捨てた。

「次はどこが良い?」

 答えはない。

 闇エルフは嘔吐えづき続けている。

 しばらく待ったあとホプキンスは、笑顔をひそめて淡々と言った。

「目や耳、鼻の穴。いくつかの臓腑もそうだ。人の生命維持に関わる器官には二つある物が多い。なぜかわかるかね?」

 やはり答えはない。

 すると、ホプキンスは左手を修道服の男に差し出す。

 その掌に剃刀が乗せられた。

「答えは簡単だ。ひとつ無くなっても平気な様に二つあるのだ」

 そう言ってホプキンスは、闇エルフの前髪を鷲掴みにすると、右目の下についていた針つきの板をむしりとって、その眼球を斬りつけた。

 再び獣の断末魔じみた絶叫。

 右の眼窩から血の涙がこぼれる。

 闇エルフは恐怖と痛みで再び吐きそうになった。

 しかし血塗れの腹部が波打っただけで何も出てこず、むせ返っただけだった。

「ああ。質問を答えるのに目が見えている必要はないな。……もうひとつ無くても構わない……か」

 ホプキンスが淡々とした口調でそう言うと、闇エルフはついに咽び泣き、その言葉を口にする。

「ひっ、姫は今頃……魔女の庭の水竜の滝を目指しているはずです」

「なぜだ?」

「滝壺で協力者と待ち合わせて……その者を頼るつもりなのです」

「協力者とは、いったい何者だ?」

笛吹き男パイドパイパー……」

 笛吹き男とは裏社会で有名な転移術師である。

 金次第でどんな物でも異世界へと流す。危険な呪物から死体、生きた人間まで……。

「笛吹き男……その者の人相は?」

「わっ、私達も知らない……人づてに連絡を取ってもらっただけだから」

 笛吹き男の正体は、いっさい謎に包まれている。連絡を取るには世界のどこかの港にいるという、肩に双頭の魚の刺青を入れた片足のドワーフに頼むしかない。

「姫は異世界へと去るつもりよ……そうなったら、あなた達の目論見も、潰えるわね」

 ロザリア姫が異世界に去れば、それで世界の平和は守られ、教会の目的は叶う様に思える。

 しかし、そうなっては駄目なのだ。

彼らが目指すのは世界平和などではなく、魔王を討ったという偉業の達成である。

 それを証明するためには、是が非でもロザリア姫の首級が必要となる。

 そうした教会側の意図については、ロザリア姫側も良くわかっていた。

 しかし、ホプキンスは特に慌てた様子もなく、にやりと口角を歪める。

 その微笑の意味が理解できず、闇エルフの侍女は首を傾げる。

 そんな彼女の顔を見てホプキンスの顔が悪魔の様に歪んだ。

「ああ。君が最後・・なんだ」

「は……?」

「だから、尋問は君が五人目だ。良く効く自白剤があってね。君が今、話した程度の情報は、最初のひとりが洗いざらい喋ってくれたから知っていたよ。だから、これは尋問なんかじゃあないんだ」

「何を……言って……じゃあ、何でこんな酷い事を……」

全部・・君のためだ・・・・・

「何を……言って……?」 

 侍女の顔が恐怖に曇る。

 ホプキンスは、心底楽しそうに笑いながら修道服の男に向かって言う。

「街道や港は封鎖してある。という事は、恐らくお姫様達は南下してホロンボロス山脈を越えるつもりなのだろうな」

「どうします? すぐに追わせますか?」

 修道服の男の問いに、ホプキンスは首を横に振る。

「ホロンボロス山脈は、竜族や巨人族が闊歩かっぽする人外魔境。下手に踏み込むのは危険すぎる……それより、東の街道を使ってフェルデナント王国側に回り込む。今からなら我々の方が早く辿り着けるだろう」

「ロザリア姫の方は大丈夫でしょうか? ホロンボロス山脈でのたれ死ぬなどという事になれば、それはそれで厄介ですが……」

「その心配はないだろう。姫と一緒にいるのは、あのミーシャ・ベックだ。必ずマゴットまで到着するだろう……」

 ミーシャ・ベック。

 冒険者あがりの元近衛隊長で、幾人かの仲間と共に火竜を討伐した経験があるのだとか。

 先の大捕物で教会側に甚大な被害をもたらしたのも彼女の仕業であった。

 剣の腕もさることながら、見た事もない様な必殺の術を使う魔法剣士である。

 しかし、その戦闘力よりも恐ろしいのは動物的な勘の良さと、相手側の動きを俯瞰して眺めているかの様な読みの深さだ。

 彼女がいなければ、この港町で姫の命運は確実に尽きていた。

「まあ、それよりもだ……」

 そう言ってホプキンスは再び右手を差し出す。

「何にされますか?」

 この質問にホプキンスは少し考えて答える。

「……はさみだな」

 男は鋏を鞄から取り出して差し出した。妖精銀ミスリル製の切れ味抜群の逸品である。

 ホプキンスは闇エルフの背後に回り込み、後ろ手になったままの右手の小指を鋏で軽く挟んだ。

 そして、彼女の耳元で囁く。

「どうだ? 見えないとタイミングがわからなくて怖いだろう?」

 闇エルフは青い顔で歯をガチガチと鳴らしながら頷く。

「やめて、やめて……やめてぇ……」

「……君は今、苦痛に負けてロザリア姫の情報を口にした。つまり、魔王を裏切った」

「違う……嘘……やめて、ごめんなさい」

「それは逆に教会の利するところ……つまり、背信者である君は今、教会への……聖イトーへの信仰を苦痛によって取り戻したという事になるだろ?」

「そんな……何を……何を言ってるの? 意味が……わからない……」

「だから、全部・・君のためなのだ・・・・・・・

 と、言い終わる前に鋏を握る手に力が込められた。

 絶叫が轟く。




 それから半月後の事だった。

 マゴットにて。

 この集落の中央広場は大きい。周りには宿屋や酒場、様々な用品店や馬房が建ち並んでおり、そこだけ別の町の様だった。

 これらは魔女の庭を訪れる冒険者や狩人を客として見込んだ店である。以前は春から秋の終りにかけて、それなりの賑わいを見せていた。

 しかし、三年前の冒険者大量失踪事件を受けて、どの店も開店休業状態であった。

 そんな広場の一角に騎士や聖衣姿の者達が整列していた。総数は百名ほど。

 神聖イトー教会の銀鬣ぎんりょう騎士団である。

 そして、その隊列の前に立ち一同を見渡すのは、銀鬣騎士団を指揮する聖騎士のホプキンス将軍であった。装飾過多な白銀の鎧に身を包み、腰にはレイピアを提げている。

 その右隣には副官のジョナサン・コールファクス、その更に右隣に西方人らしき狩人の女が並んでいた。

「……で、あるからして、王女達より先に、滝壺周辺に辿り着いて待ち伏せる。その際の道案内は、このパミーナどのにお願いした。彼女はたまたまこの集落を訪れていた狩人で、これまでにも何度か魔女の庭へと入った事があるそうだ」

 と、ホプキンスが述べると、西方人の狩人がお辞儀をする。

「わたしはパミーナと申します。ホプキンス様にお声をかけていただきました。みなさま、よろしくお願いします……」

 革鎧にフードつきのマント。矢筒に弓を肩にかけており、腰に山刀を提げている。

 銀髪で狐に似た顔立ちをしている。

「……魔女の庭には、それほど強力な魔物は滅多に見られませんが、時折ゲルトナ台地からやって来るグリフォンやワイバーンが目撃される事があります。決して油断されない様にお願いします」

 と、パミーナが言い終わると、ホプキンスが再び隊列を見渡す。

「何か質問はあるか?」

「はい!」

 最後列右端の騎士が挙手した。彼はマーク・ウベルヌという新米だった。まだ十代半ばであどけない顔をしている。

「どうした?」

 ホプキンスに促され、マークはおずおずと質問を発する。

「……あの、噂で聞いたのですが……」

「噂だと……?」

 ホプキンスの顔が不機嫌そうに歪む。挙手した騎士は狼狽える。

「あ……あの、やっぱり良いです」

「良いから言ってみろ」

「いやでも……」

「早くっ!!」

 怒鳴られ挙手した騎士は恐る恐る口を開く。

「あの、その……噂では、三年前、魔女の庭で漂流物デブリ回収に向かった二十八名の冒険者が消えたと聞きました」

「だから、なんだ?」

「あ……え、その、近隣の元達は、魔女の呪いであると、恐れているらしいのですが……」

「だから?」

「あ、えぇ……その、あの、魔女の庭に入って、大丈夫なんでしょうか……」

「だから、どうした?! 愚か者がぁっ!!」

 ホプキンスがマークに歩み寄り、レイピアを抜いた。

 一同が騒然とする。

「ひっ、ひいっ!」

 ホプキンスは彼の鼻っ柱をレイピアの護拳で思いきり殴りつける。鼻血を吹き出しながら、尻餅を突くマーク。

 その彼をレイピアの切っ先で指しながらホプキンスは声を張り上げる。

「良いか、良く聞け! 蛆虫共めッ!! そんな糞みたいな噂でビビるこいつの様な腰抜けになるんじゃあないぞッ!!」

 一同は静まり返る。

 ジョナサンは、にやにやと笑っている。一方、パミーナは真顔で引いていた。

「冷静に頭を使って考えろッ!! そもそも冒険者など無法者の根無し草。そんな輩が突然千人消えたところで何の不思議もないわッ!! 大方、噂に尾ひれがついただけだッ!! 金輪際、魔女の呪いなどくだらん迷信を口にした腰抜け野郎は弁明の余地なく鉄拳制裁を加える、いいか、わかったなッ!!?」

 一同が返事をする。

 ホプキンスは怯えた瞳で自分を見上げるマークをひと睨みして舌打ちをすると元の位置に戻った。

「良いか?! お前らは、この私と共に魔王討伐をなすという歴史に名を残す偉業を達成する勇者となるのだ! それなのに魔女の呪いなど恐れてどうする……そもそも貴様らは……」

 このあと小一時間もホプキンスの何の役にもたたない説教は続いた。


 こうして、総勢百名のいけにえ達は殺人鬼の潜む森へと足を踏み入れる事となった……。

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