第10話 新作
「ふうー……。美味しいねえ」
飲み干した温かいお茶が、体に染み込むようだ。リリシーナは、両手で持った湯呑を口から離して、しみじみと呟いた。
彼女は、駕籠の中に座っている。両開きの扉は、張り出した屋根の方だけ開放してあった。シビアナとレイセインの二人は、外に置いた折り畳み式の椅子に。リリシーナと同様、湯呑の底を手のひらに乗せて両手で持ち、のんびりとしている。
ただ、シビアナは髪が長い。地面に着かないよう、その先を丸めて結んでいた。そして、細長い髪留めで挟み、纏めている。椅子の脚が低い分、そういった手間が必要だった。
彼女たちが飲んでいるのは、『巓露茶』という甘いお茶。口当たりの良いすっきりとした甘さで、疲れた時に飲むと元気が出ると言う。甘味料の類は入っていない。甘いのは、そのお茶の葉だけによるのもの。
湯呑は竹細工だ。他の二人が使っているのも同じ。竹の節を利用したもので、光沢のある白緑色をしているからか、上品に見える。それから、小皿やお椀も、同じく白緑の竹細工だ。細い竹を編み込んで、その形にしている。
「ことり――」
リリシーナは、手前の卓となった座席の上へ、飲み干した湯呑を置く。それが見えて、シビアナも自分が設置した目の前の卓へ、湯呑を置いた。
そして、立ち上がると、その卓にある金瓶を手に取り、リリシーナがいる駕籠へと歩き出す。その中に身を入れて、空の湯呑にお茶を注ぐ。
彼女は、この王女様の側付筆頭侍従官。そして、レイセインはその副官という立場だが、これはシビアナの役目。王女であるリリシーナの口に入る物は、彼女の目を通すようにして行われていた。
レイセインは、護衛としての側面の方が強い。彼女は、騎士最強と謳われる近衛騎士だった。その腕を買われて、王女の側付侍従官になっている。ただし、理由はそれだけではないのだが。
リリシーナは、湯呑の中にお茶が注がれていくのを見つめる。十分満たされると、傾けられた金瓶が元に戻った。
「ん。ありがと」
そう言って、温かくなった湯呑をもう一度手に取る。そして、「ふーっ」と息を吹き掛けて一口飲み、席に彼女が戻ってから尋ねた。
「それで、シビアナ」
「はい、なんでしょう?」
湯呑を膝の上に置いて、振り向く。
「話を聞いて、あれから何日か経ってるけど――。カンビノーセの件は、何とかなりそうなのか? 見当付けれた?」
シビアナの表情が少し陰る。それから、首を振った。
「いえ――。今も変わらずです。何とも言えませんね」
「って事は、新しい情報もなし?」
「はい。これと言っては」
「そっか……」
(シビアナでも無理。まあ、追加情報がないなら、それも仕方ないか……)
リリシーナは、湯呑を卓の上に置いた。そして、両腕を胸の前で組み、湯呑から上がる湯気をじっと眺める。
(うーん、でも――)
そう迷いながら、シビアナをちらりと見やった。
(実際、その目で状況を確認したら、どうかな? また違ってきそうなんだけど)
彼女は、そんな予感を抱きながら、腕を解きお茶を一口飲む。それから、一つ息を吐き、気を取り直して言った。
「しっかし、一体何だろうね、原因は? 『月鏡院』でも掴めないってんだから、相当なもんじゃない?」
「はい。仰る通り、私もそれは気掛かりですね」
月鏡院は、このトゥアール王国の情報機関。国内外の情報がここに集まってくる。それを元に、諸問題の対処や事件を捜査し解決しているのがここだ。
つまり、この国では月鏡院以上の、捜査能力を持つ国家機関というものは存在しない。しかし、その力を以ってしても、今回のこの件は解決不可能な事態に陥っている。リリシーナは、そう報告を受けていた。
「ですが、殿下」
シビアナが言う。
「対処が出来ない様なら――。陛下のご命令通りです。カンビノーセ様には、無理矢理でも王都へお越し頂くことになります」
「ま、それが手っ取り早いからな」
「はい。気付いた時には、予断を許さない逼迫した状況まで、既に突き進んでいた――。そのような事になど、ならない内に、ですね」
「うん」
リリシーナに答え、シビアナはお茶を飲む。
(今回、陛下から殿下に下された命令は、あくまで奈落での至極天探索。これが、メインです。そのため、北都での滞在時間は、殆どありません。準備が整い次第、奈落へ出立となります。
カンビノーセ様の件は、その間に解決出来そうならそうする。しかし、無理なら後は他に任せ、そのまま奈落へ。それで構わないと、陛下から直に指示を受けていますから。
解決策は、取り敢えずあるのです。今言った通り、北都を離れ王都に。これだけで、当面の危機は回避できるはず)
「とは言え――」
湯呑みを膝の上に戻して、シビアナが言う。
「最悪の場合。カンビノーセ様には、そのまま王都に残り、将軍職を辞して頂く事になるでしょう」
「うーん。確かに、北都へ戻れないとなると、そうなるよね……」
将軍としての公務が出来ない訳だし。と、リリシーナの顔が渋くなる。
「これは、仕方がありません。何より、命が第一、ですから」
「まあ、ね……」
「はい。もしもの事があれば、この国にとっても大きな損害となります。悲しまれる方も大勢いらっしゃるでしょう」
どんな治世でも、多くの問題を抱えているもの。だが、それでも北都の発展は、取り敢えず順調と言って良いほどには、推移しているのだろう。また、民が苦しみ、悪政に耐えかねている。少なくとも、その様な事はなかった。
無論、酷い圧政を敷けば、決して許されず叩き潰されるわけだが。それがこの国の在り方でもある。これには、この国で広く信仰される、武神カトゼの教え――例えば、
『腐れ外道。それに身分は関係ない。慈悲も許しも容赦も不要。蹴って殴って斬って良し』
と、いうような教えが、根付いているのもまた一因となるだろう。
そして、この武神を信仰しているのもあって、強い武人というのは人気がある。カンビノーセは、その武人であり、しかも万夫不当の強さを誇る、最強の一角。現在、王国に七人しかいないほどの、高い戦闘能力を持つ。
おかげで、彼の人気は非常に高い。こういう背景もあり、北方将軍カンビノーセは、自身が治める北都やその周辺の民に受け入れられていた。
「あ。ちなみにさ。次の将軍は誰がやるかとか――、そういう話はない? 知ってる、シビアナ?」
小首を傾げ、リリシーナが尋ねた。
「いえ。私は聞いてませんね」
「うーん。そっか」
「…………」
(本当は聞いていますが。しかし、これは内緒です。ごめんなさいね、殿下)
「じゃあ、やっぱり将軍交代ってのは、全然考えてないのかもな。私も、出来る事ならそれは反対だよ。性格があんなんでも、やる事はちゃんとやってて、慕われてるようだからさ」
ま、臣下が優秀ってのもあるんだろうけど。リリシーナは肩を竦める。
「ふふっ。それは私も同意見ですね」
シビアナは、その様子に微笑むと、少し目を落とした。
(慕われている。だから、もしもの事があれば、悲しまれる。確かにその通り。ですが逆に、喜ぶ者もいるのでしょうね。
何分、人間関係というものは、複雑怪奇。どんな些細な事でも、敵対する要因と成り得ます。そして、自分自身の破滅に繋がると分かっていても、その感情を抑えられない。恐ろしい事です。ただ、これは私自身にも言える事。身に覚えがありますので。ふふふふ――。
しかし、今回私は、主観的立場ではなく、客観的立場に置かれている。部外者ですね。そう言っても良いでしょう。だから言える、というのもあるですが、あの方の不幸を喜ぶだけではなく、それを成すために自ら行動を起こしたと言うのなら――。
それは愚かな行為だと、私は断じます。このトゥアール王国には、『重樹』の脅威があるというのに。それなのに、その重樹を退けるための、特効的な力を持つ七人。その内の一人を、ですからね)
重樹とは、この国を襲う岩や木で出来た巨大な化け物の事だ。数は、大軍と言っていい程で、大抵それが一度に襲い掛かってくる。
また、大きいものになれば、巨大な山にも匹敵する。そこまでのものになると、常人に討ち取る事は叶わず、カンビノーセを含めた七人の達人に頼るしかなかった。
(そう、七人。七人しかいないのです。そして、この七人を失えば、対処出来なくなる重樹がいる。しかも、それは山のような巨体で動き回り、気性が凶悪な上、人を優先的に襲う――。
これが如何に危険か分かるでしょう。その重樹によって、この国は滅亡する。カンビノーセ様を失う事は、それに直結しているのです。そして――)
彼女は、湯呑のお茶に映った自分の顔を見る。
(あれに対抗するための大切な戦力――。その力、失うわけには参りません。絶対に)
湯呑を持つ両手に力が籠った。それから、ふっと体の緊張が和らぎ、顔を上げて言う。
「ともかく――。現状では、カンビノーセ様は王都へ、ですね。それは変わりません。殿下には説明と説得を。そのつもりでいて下さいね?」
「分かった。そのつもりでいるよ」
一応ね。と、心中で付け加える。
「お願いします」
「ん」
納得して、湯呑に口を付ける。そして、シビアナも口に運んだ。二人とも、北都での対応を再確認し、一息入れた。
その二人の会話を余所に、静かにお茶を飲んでいたレイセイン。彼女は、会話に入らないよう控えていた。だが、その必要もない。ここで出た内容も、既にシビアナから聞いている。自分がする事も。だから、特に疑問もなかった。
しかし、今の話とは別で、ふと気になった事がある。話し合いも終わったようだし、黙っておくのはもう良いだろうと、それを尋ねた。
「殿下……」
呼ばれて、背もたれに体を預けたまま、顔を向ける。
「んー? 何だー?」
レイセインは、目の前の卓にある、お椀を見た。中には、串団子が十本ほど。種類は、白と薄い紅色の二つで、本数は同じ。包まっていた笹の葉の上に乗っている。そして、お椀の円い縁に沿って、色が交互になりながら綺麗に並べられていた。
お団子は丸く、四つずつ竹串に刺さっている。この団子は大きめだろう。口を一杯に開かなければ、彼女たちは一口でぱくりと食べきれない。
また、真ん中には、紅葉の葉を丸で囲んだ焼印が押されており、どこのお店の物か分かる様になっていた。
彼女は、そのお椀の中身を見てから、リリシーナにもう一度顔を向ける。
「お団子は……。召し上がらないの……、ですか……?」
来た――。シビアナの頭上に、一条の閃きが真横に走った。




