予定の綻び2
「その…久しぶり、です」
「うん」
中庭の一角の目立たないベンチで行われる、ぎこちない会話。
もうずっと会話することのなかった弟の疾風と、里見は何を話していいのか分からなかった。
近況の話?
世間話?
いっそ天気の話とか?
次にとる行動に迷って頭の中がぐるぐるする。
昨日といい今日といい、なぜいきなり意図せぬ緊張を強いられなくてはならないのか。
理不尽さを感じずにはいられなかった。
(それにしても…)
里見はうつむきながらちらりと疾風の膝もとへ視線を移す。
見慣れたブレザーの制服は、間違いなくこの学校のものだった。
小学校卒業前からほとんど関わりのなかった弟。
里見の一つ下なのだから、去年高校1年生になったというのは分かっていたのに。
(なんでよりによって同じ学校なんだよ!)
思いもよらなかった。
「えーと、学校一緒だったんだ…ですね。気付かなかった」
「うん」
「あー…そうなんですか」
「…」
「…」
悲しいくらいに会話が続かない。
こっちが必死で愛想を振り絞ろうとするも、疾風はにこりともせず正面の中庭を見つめるばかりだった。
(ていうか、呼び出したのなら何らかの話があるはずだよね…)
そう、そもそも里見をここまで連れてきたのは疾風だ。
話があるならさっさと本題に入ってくれればいいものを、何故かここに座ってかれこれ10分はこの状態である。
正直、何がしたいの、という話である。
「えー…何か用があったのでは」
「敬語」
「は?」
いきなり飛び出した単語の意味がつかめない。
敬語を使えということか?
いや、相当怪しいがすでに使っている。
「なんで敬語なの。弟相手なのに変じゃない?」
「え、そ、そうですか」
敬語がおかしいという意味だったらしい。
自分でもそれはわかっていたが、タメ口でいいかどうか迷った末の苦肉の策だ。
久しぶりに会った、ということもあった。
だがそれ以上に、疾風は里見を戸惑わせる要因を持っていた。
顔、だ。
(ますますそっくりになってるなあ…お母さんに)
色素の薄い髪に白い肌、大きなつり目を長い睫毛が飾り、その下に形のよい鼻と小さめの口。
疾風は驚くほど母と似ていた。
一瞬男がどうか戸惑うほどの、迫力のある美人顔だ。
疾風に直接何かされたわけではないが、里見は彼を見るたびに母を思い出すことが特に苦痛だった。
悪いと思いつつも、今すぐ教室に帰りたい。
「まあ、それはそれで…そろそろ私、戻らないと。次が移動教室ですし…」
「姉さん」
耳慣れない言葉に思わず顔をあげる。
いつの間にこっちを向いていたのか、疾風の大きな目がこちらをまっすぐ見ていた。
妙に違和感があると思ったら、記憶の中の疾風の呼びかけが確か「お姉ちゃん」だったことを思い出した。
声もずいぶん低くなっている。
あの頃ほんの少し越された程度だった身長もすっかり引き離されて、まさに「見下ろす」という表現がぴったりだ。
5年という時間は大きいのだな、と里見は心の中で感心した。
「なんですか」
ようやく用件を聞けるらしい。
早く済ませてしまおう、と里見は先を促した。
「三者面談のプリント、俺のクラスでは今日配られたんだけど。姉さんももらったの?」
唐突な質問に、里見は一瞬リアクションできなかった。
また三者面談か。
昨日は父、今日は弟。
三者面談は自分に何か恨みでもあるのだろうか。
「え、まあ、そうですね」
「間違いないよね」
「なんで三者面談なんですか?」
本当に何でなのか?
里見にはさっぱり分からなかった。
父ならともかく、疾風が里見の面談に興味がある理由がわからない。
「だって去年は黙ってたから。一応確認しておきたかった」
確認?
里見がいぶかしげな目を向ける。
「良く言っている意味がわからないんですが」
「わからない?」
疾風の顔が呆れた色を含む。
「あのさ、姉さんが親父や母さんと話すのが苦手なのはわかってるけど、進路関係の大事な行事まですっぽかすのはどうなの?そのまま何も話さずに卒業までいくつもり?最低限、必要なことは話しなよ。困るんだよ」
咎められるように言われ、里見の体が冷水を浴びたように冷えて動かなくなった。
(あ、だめだ)
そんなにキツイことを言われているわけでもないのに、責められている、という雰囲気が里見を追い詰める。
不機嫌なような呆れたようなその表情は、まるであの時。
同じ。
昔も今も、変わってない。
疾風は疾風のままで、里見も。
(私、相変わらず迷惑かけてる?)
家族の空気を乱さないことで少しは役に立てていると思っていたのに。
わざわざ困る、と伝えに来た疾風に申し訳ないと思うと同時に惨めな気持ちが蘇る。
このままここにいてはだめだ。
教室にまでこの気分を持ち込むわけにはいかない。
「うん…わかってる。ちゃんと伝えますよ」
顔の筋肉を全力で笑みの形へ固定する。
引きつっているかもしれないが今はどうでもいい。
とにかく終わらせるのだ。
「昨日お父さんとも約束したんだけど、次の日にお知らせ来るなんて早いな~って思ってたところ。迷惑掛けてごめんなさい」
「…迷惑とか言ってないけど」
「あ、うん。わかってるわかってる。じゃあ、もう行きますね」
明るい声色で言いきると、里見は返事を聞く前に立ちあがって歩きだした。
後ろで動く気配があったが、振り返らない。
ため息のような音が聞こえたのも気のせいだ、そうに決まっている。
「…あーもう、何なんだろ」
人気のないところまで来て里見は額に手を当てた。
頭痛がしてくる。
なんだかここのところついてない。
今日でこんな気詰まりなことが終わりますように。
そう祈りながらズキズキする頭を押さえ、よろよろと教室に向かうのだった。
―――しかし。
この時を境にこれまでの均衡が崩れ落ちようとは、今の里見には及びもつかなかった。