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村崎里見の生活3






家の中の物音ひとつひとつにドキドキして、毎日心休まる時がない。

こんな生活が始まったのは、確か小学校を卒業する少し前だったと思う。






里見は格闘技の道場を営む村崎家に長女として生まれた。

父と母、兄二人と弟一人が里見の共に住む家族で、みな格闘技をたしなむ体育会系一家だ。


しかし里見にとって、この家庭に放り込まれたことがまず間違いだったのかもしれない。

里見は良くも悪くも普通だった…特に、運動の才能がほとんど無かったのだ。



「里見、何をやってる!そんな準備運動でへばってたらいつまでも進まんぞ!」



母の藤子の大声が頭の上から降ってきても里見は起き上がれなかった。

毎日行われる修練に、小学校中学年のころから追い付けなくなっていた。

上の兄二人はともかく一つ下の弟にももう体力で勝てない。

そんな自分に腹を立てたのか、日に日に師範である母の当たりがきつくなっていくのが里見の悩みだった。

兄弟たちが毎日ノルマをこなしていくのを横目で見ながら、なぜ同じ家で生まれてこうも違うのかと考えてしまう。



「お前ってホント、才能ねえよな。やる気もないし、やめれば?」



11歳になったばかりのときに修練の後で下の兄に言われた言葉だ。

疲れ切っていた里見には言葉を返す気力はなかったが、どうしようもない程もっともな言い分だ。

運動、痛いこと、相手に対して攻撃を加えること、一つたりとも里見には向いていなかった。

「ゆっくりやれば大丈夫だよ」と父がフォローしてくれたが、日に日に広がる溝は埋めようがなく、ある日転機がやってきた。


小学6年生の、秋の初め。

修練で、初めて組み手をしてみろと言われた時だった。

兄弟たちはとっくに組み手の練習を始めていたが、遅れていた里見はその日が初めてだった。

相手は、母だ。

ウォーミングアップも満足にできない里見が母相手にろくな反撃をできるわけもなく、ほとんど一方的にやられる羽目になってしまった。

最近はただでさえ母の機嫌が悪く、うまく修練をこなせない里見に特に厳しく接していた矢先の出来事だった。



(痛い…)



何度か畳張りの床に叩きつけられ、あちこち痛む体を横たえてぼんやりと修練場の奥を見る。

正面に立つ母の向こう側に兄弟たちがいた。


上の兄は、興味無さそうに。

下の兄は、見下したように。

弟は、困ったような呆れたようなよくわからないような表情で。


それぞれ、倒れこんだ里見のほうを見つめていた。



(なんで、私ってここにいるんだろう)



ひどく場違いな気分がした。


何をやっても突出したものがない、惨めな自分。

家事をやって修練に参加しない父だって、実際は道場経営をほぼ一人で切り盛りしている立派な経営者で、家族の信頼も厚い。


里見だけなのだ。

この家族の中で落ちこぼれなのは。



(もう)



ぼやけた視界がさらに不透明さを増す。

心臓がドクドクして、汗が伝う。


期待に応えようと、精一杯やってきた。

苦手でも、つらくても、頑張ればいつか家族の一員として恥ずかしくないようにできると淡い期待があった。

でもそうじゃなかった。

自分はこの中でひとりだけ外れている。

ダメなんだ。

違う。

私は。

この人たちとは。



(できない)



視界が白く沈んでいく。

自分の中の、いろいろなものをあきらめた瞬間だった。






そして、その日を境に里見の半引きこもり生活が始まることになる。

徐々に徐々に、里見は家族と顔を合わせることを避け始めた。

家にいる間はほとんどを自分の室内でカギをかけて過ごし、外に出るときは顔を合わせずに済む時間帯を選んで出かける。

食事も食卓で取ることをやめ、修練の時間に一人で取るようにした。

父は修練に参加せずに玄関のすぐ隣の台所にいることも多かったので比較的顔を合わせることもあったが、他の4人と会うことがほとんどなくなった。



これで、よかった。

修練の時間を無為に削られることもなくなるから、母はイライラせずに済む。

兄弟たちも落ちこぼれの醜態を見せつけられることなく修練に打ち込めるだろう。

私が見えなくなるだけで、ほら。

いいこと尽くしだ。



(高校を卒業して家を出る。それで全部大丈夫。迷惑掛らないし、こっちもストレスないし、一石二鳥だ)



胸に感じる虚しさや寂しさだって、きっとそのうち消える。

家族に私が必要ないように、私にも家族は必要なくなる日が来る。

友達がいて、普通の学校生活があって、星を毎日見て。

それで十分だ、と里見は思い込むようにしていた。






「そろそろ三者面談か…面倒な行事だ。なあ?」



美麗が頬杖をついて顔を顰めた。

美麗はあまり人目を気にせず表情を動かすが、そこがまた魅力的なのでおかしい。



「何笑ってるんだ?」


「ううん、なんでも。でも、美麗ちゃんちのおばちゃん面白いからまた会いたいな。去年とか、すごかったよね」


「ああ…あれはもう忘れてくれ!思い出したくない」


「でもすっごく似合ってたのになあ、あのドレス。どう見ても舞踏会用って感じだったけど」


「うわああ」



からかいながら昨年のことを思い出す。


母親があまりに華麗な衣装で学校にやって来たため、美麗が半ばパニックで暴れ回ったのだ。

おかげで美麗はしばらくの間、「あの女帝の…」と噂の中心になった。

気の毒だとは思いながらも思い出し笑いが抑えられず、里見は顔を伏せた。



「笑いすぎだぞ!失礼な奴め」


「ははっ…ごめんごめん」


「そういう里見はどうなんだ。去年は父親も母親も来てなかったな。今年は来るのか?見てやる」



里見の表情が一瞬固まって…すぐ苦笑いの表情が形作られる。



「あはは、たぶん来ないよ。どっちも忙しいからさ」


「そうか、共働きなんだったな。商社の営業と看護師だったか?」


「…うん、そう」



思いっきり嘘だ。

美麗に以前親のことを聞かれたときに適当に答えてしまい、今までこれで通している。

ちなみに一人っ子という設定付き。

本当は嘘なんてつきたくないが、美麗に家の事情を知られて心配されるのは嫌だった。



(三者面談か。まあ、今年もスルーだね)



家族とは極力関わらない。

それだけ守って、普通におとなしく過ごせばいい。

この生活がちゃんと、高校卒業まで続くことだけが、里見の願いだった。






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