第56話 エマの行方(12)祈り
私は、震える声を抑えながらレティシア校長に一部始終を話した。彼女は言葉を遮ることなく、最後まで静かに耳を傾けていた。
「今は、推測の域を出ません。ですが、あなたが見たものは、いずれも看過できない重要な事実です。それらを念頭に置いて、調査を再編しなければなりません」
レティシア校長は、沈痛な、苦痛を堪えるような面持ちで私の手を握った。
校長の手の温かさが伝わってきて、私は初めて、自分自身の手が震えていたことに気づいた。
私が恐ろしい想像を膨らませているだけであってほしい。エマが誰も知らない方法で校外へ逃げ延びた可能性だってある。でもその可能性を確かめる術を、今の私は持ち合わせていない。
私が下を向いて押し黙っていると、レティシア校長が消え入りそうな声でつぶやいた。
「しばらく、ここにいてはくれないでしょうか。私の家で、少しの間だけでも」
穏やかな申し出だったけれど、そこに含まれる意味は重かった。校長は私の身の危険を案じているのだろう。
私は反射的に首を振った。迷惑をかけたくない。校長の手を煩わせるわけにはいかない。
「私は大丈夫です。寮に戻ります」
校長は私の顔をじっと見つめ、私の目に浮かぶ隠しきれない恐怖を見抜いたように、ゆっくりと息を吐いた。
「《《私は、あなたを守らなければなりません》》」
火災の調査のときにも聞いた、あの言葉だ。
私は校長が続きを話すのを待ち、じっと瞳を逸らさなかった。
やがて彼女は遠い日の記憶をたどるように、語りはじめた。
私の故郷であるメディリェナは、ヴェテロク連峰の先にある小国であり、このイクスロディア連合王国とは同盟関係にあった。レティシア校長が軍に所属していた頃、敵国がメディリェナに侵攻。彼女も防衛戦の援軍として派遣された。
しかし、イクスロディア軍は冬の峻険な連峰に足止めされ、ようやく到着したときには、すでにメディリェナは滅亡していた。
瓦礫の中から、ただ一人、幼い子どもを見つけて保護した。
それが私だった。
私は言葉を失った。自分の出生にまつわる記憶はない。幼い頃の景色は、何ひとつ覚えていない。
「……私は、あなたの故郷を、守れませんでした。あの時のことが、今でも夢に出てきます。何度も、何度も」
レティシア校長は普段とは異なる近寄りがたい雰囲気を身にまとっていた。暖炉の火を眺めているようで、遥か遠くを見つめながら話しているようだった。
彼女は不意に私の方に顔を向けた。
「だから……だから、あなたを守ると誓いました。どうか償う機会を与えていただけませんか」
その表情には、長年抱えてきた悔恨が滲んでいた。
私はヴェテロク連峰の麓にある小さな村、ヴァンデルの孤児院に預けられた。そして、幸運にも善良な養父母に引き取られた。初めて養父母に会った時のことだけは、鮮明に記憶に残っている。
思い返せば、職員採用のためだけに校長が自ら辺境の村に足を運ぶのは、あまりにも不自然なことだった。
養父母から仕事があると聞かされ、村の小さな教会で面談することになった。あのときの養父母は、どこか淋しげで、それでいて誇らしげでもあった。当時の私は心のどこかで「ついに見放されてしまった」と思っていた。
でも今なら分かる。養父母は、見放したのでも手放したのでもなく、私が新しい場所で生きるための道が開かれたことを、心から祝福してくれていた。
町の小さな教会でレティシア校長と面談をして、すぐに採用が決まり、私は遠く離れた魔法学校に来た。
胸の奥に凝り固まっていた、どうにもできない肩日のないわだかまりが、ふっと解けるのを感じた。
「私はここで働くことができて、職員のみんなや先生方、そして校長と会えて良かったと、本当にそう思っています。つらい時期もあったんですけど……でも今は、この仕事が楽しいと感じています。お言葉に甘えて、少しの間、ここにいてもいいですか」
その言葉に、校長の顔がわずかに和らいだように見えた。彼女は私の手をもう一度握り、小さく頷いた。
「それを聞けて、救われました」
校長はほっと息をつき、温かい微笑みを浮かべた。
その夜から、私は校長の私邸に身を寄せることになった。用務員服以外の必要な物は、職員寮から持ち出した。
窓の外には細かな雪がちらつき、庭の木々に白い粉を薄く積もらせている。冬の気配が、ゆっくりと学校を包みこんでいく。
ベッドに横たわる前、私は窓辺に立ち、外の雪を見つめた。
雪は落ちては消え、世界の輪郭をぼんやりと曖昧にしていく。
事件を通して私が見たもの、聞いたこと、そして私の中に残るいくつかの問い。それらが雪のように降り積もっていく。
私はエマの髪留めを握りしめ、祈りを捧げた。




