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十九本目 ザッハトルテ

 それはそれは、初雪で作った雪兎のように儚げな少女だった。白い肌に艶やかなお色の着物を身にまとい、美しく整ったお顔の彼女は、可憐そのもの。これまで止まり木旅館にいらっしゃったお客様の中でも、指折りのしとやかさである。


 一方、こちらには残念系美少女……じゃなくて男の娘が、目を輝かせながら彼女に向かって手を合わせていた。


「眼福!」


 ……それは、新手の御挨拶ですか? こら、研修生しっかりしろ!


 先日、アスティオ様がいらっしゃった際は、私が全ておもてなししてしまった。うっかり早寝して出番がなかった椿さん。今回こそは、これまでの成果を出すんだと張り切って、昨日は忙しくお迎えの準備をしていた。


 おもてなしは、その時々、ぶっつけ本番の機転も大切だが、事前の準備も物を言う。私は、今回に限り、全ての事前準備の段取りを彼に任せてみた。


 私が椿さんの着物の袖を少し引っ張ると、ようやく彼は正式に再稼働。


「「ようこそいらっしゃいました!」」


 今回のお客様は、栞鋏しおりはさみ 凛声りんせい様。まだ13歳のお方である。先頃、彼女がお住いだった屋敷の事故でご両親を亡くし、彼女の叔母様に引き取られたばかりだ。台帳の情報によると、少々風変わりな体質もお持ちのようである。


 椿さんは、凛声様に向かって一方的に自己紹介。すると彼女は、持っていた風呂敷を小さなお膝の上で広げると、その中から帳面と鉛筆を取り出し、さらさらと書き物を始めたではないか。


 私は、庭先でこのようなことをさせてしまうぐらいならば、書きやすいように机でも出しておけば良かったと後悔した。


 暫くして、凛声様は、帳面と不安げな表情を同時にこちらへ向けた。


『私、栞鋏 凛声と申します。叔母と東京に向かうところ、はぐれてしまいして、困り果てておりましたところ、こちらに辿り着きました。叔母が見つかるまでの間、こちらで御厄介にはなれませんでしょうか?』


 すると、見る間に凛声様の目元には涙が浮かび、それがボロボロと零れて、彼女の着物の上を滑り落ちていった。


 それを見た椿さんは、着物の袖からメモ帳とボールペンなどを慌てて取り出す。あのね、筆談っていうのは、双方がしなくても良いものなのよ?


「楓さん、事前にこんなものを用意していたんですけど、使えますかね?」


 椿さんは、メモ帳の裏側から3枚のカードを引き抜き、神妙な顔でそれを私に見せてきた。そこに書かれてあったのは、『ごはん』『お風呂』『私』。


「どこに目つけてんの?! どう見てもそういうノリのお客様じゃないでしょ!! っていうか、一応男の子だってこと自覚しなさい! うちは、そういうおもてなしはやってないの!」


 私は、できるだけ声を殺して、そう叫ぶと、椿さんを押し退けて凛声様の前に進み出た。そして、そっとハンカチを彼女に差し出す。


「お客様、ご心配なさらないでください。凛声様が当旅館でごゆるりとお過ごしになり、満足してくださいましたら、自ずと叔母様の所へお帰りになれる扉が開きます」


 私が微笑んでみせると、凛声様は一瞬キョトンとしたが、少しはにかんで見せてくれた。でも、着物の袖から伸びる細いお指は、自らの着物をギュッと掴んだまま。


 そりゃそうだ。親御さんを亡くされたばかり。いくら養い手が、お洒落でハイカラ好きの素敵な叔母様だとしても、止まり木旅館に来てしまうなんて、こうトラブル続きでは参ってしまうだろう。


 私は、凛声様を客室にお通しすると、1つのアイデアが頭に浮かんだ。題して『美味しい物作戦』。嬉しい時も、悲しい時も、いつだって美味しい物は、私たちの人生を彩り、盛り上げ、満たしてくれる。


 私は早速、巴ちゃんに相談した。すると、つい先程、礼くんが仕入れから戻ってきて、ザッハトルテを持ち帰ってくれたと教えてくれた。私の母さんから皆への差し入れとのことだ。常連さんから、オーストリア土産としていただいた物を横流ししてくれたらしい。


 凛声様は、母さんがいるのと同じ、日本からのお客様。でも時代はもう少し遡った頃からのお出ましなので、ザッハトルテはまだご存知ないのではないだろうか。


 ザッハトルテは、チョコレート味のバターケーキをチョコレート入りの糖衣フォンダンでコーティングしたもの。西洋由来の濃厚な味わいは、きっと彼女の心を掴んでくれるに違いない。


「甘い物でもいかがですか? よろしければ、召し上がってください」


 ザッハトルテを前にした凛声様は、お目目をぱちくりさせていた。初めて見る物なのだから、練り羊羹の親戚ぐらいにしか思えないことだろう。私はチョコレートやザッハトルテについて、ひとしきり知っている限りの薀蓄うんちくを並べてみた。すると、彼女の目に少しずつ光が戻ってきたではないか!


 凛声様は、手を合わせると、添えてあったフォークを使ってザッハトルテの端を一口分、切り落とした。そして、それを可愛いお口に運んだ時……


「美味しいぃぃぃッ! あぁ……」


 しまった。そう思った時には、私は自分の耳を両手で塞いでしまっていた。凛声様が金切り声だということ、そして彼女はそれを大変気にしているということは分かっていたので、こんな態度を取るつもりはなかったのだ。けれど、彼女の声は抗えない程の高音で、あまりの鋭さに座敷の障子までがブルブル震えた気がした。


 凛声様は、おろおろした様子で、忙しなく周囲を見渡している。おそらく、あの事を心配しているのだろう。


「凛声様。止まり木旅館では魔力や魔術の類は使えません。お話しになられましても、何も壊れたり傷ついたりしませんから、ご安心ください」


 彼女の声は、『声刃せいじん』と言って、音速と等しい速さで振るわれる声の刃。ただしこれは、彼女の母親の実家、栞鋏家の血に由来する魔術の一種なので、止まり木旅館では発動しなかったのだ。

 凛声様はほっと胸を撫で下ろしたご様子。


「凛声様。叔母様から力について学び、普通のお話もできるようになればいいですね。凛声様の世でも、これから時代が進むにつれ、もっと美味しいものがたくさん現れます。その時に、素直に『美味しい』と言えるようになっておかなくては、不便ですよ」


 私の言葉をはっとした表情で聞いてくださっていた凛声様。彼女がふっと、花が咲くように笑った瞬間、その背後に扉が現れた。


「お帰りの扉が現れました」


 凛声様は、傍らに置いていた風呂敷を大切そうに抱えると、扉の前へ進み出た。


「この度はご利用ありがとうございました。もう二度とお会いすることがありませんよう、従業員一同お祈りしております」


 不思議な力をもった彼女。あの歳では、全てを受け入れて昇華していくことは、なかなかに難しいことだろう。でも、お帰りになる瞬間、とても良い目をしていた。これからの未来、新生活に期待するキラキラした瞳。おそらく、芯は強い娘さんなのだろう。いつか、声を自在に操って、おしゃべりもたくさんできるようになった姿を見に行くことができればいいのに。

 

 でも私は止まり木旅館の女将。永遠に時の狭間の住人であり続ける私には、叶わぬ夢である。









【後書き】

今回は灰薔薇 黑木様作の小説『彼女は金切声です。いけませんか?』から凛声様にお越しいただきました。小説は、下記からお読みいただけます。

https://www.novelabo.com/books/2309/chapters

文体と言い、趣と言い、大変素晴らしい作品です。この時代特有のお洒落感がもう、たまりません!

今回は主人公の凛声様だけのご登場でしたが、彼女の叔母様も本当に良い味を出ているので、是非御一読いただければと思います。



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