十七本目 闇が深い
◇楓
一昨日、シェイルさんがいらっしゃった時の嵐は、やはり導きの神の仕業だった。『実は、導きの神じゃなくて災いの神なんでしょう?!』って巻物に書いたら、『いや、もしかしたら私は、試練の神かもしれない。これで楓はさらにたくましくなった。うちの娘はやっぱりすごい! 愛してるよ、楓!』という気持ち悪い返事が返ってきた。娘を試すな、馬鹿親父! お客様がシェイルさんじゃなかったら、今頃へそを曲げて、従業員コースまっしぐらだったよ。
ちなみに、あの日、里千代さんは体調不良で臥せっておられたので、あの嵐のことはほとんど覚えていらっしゃらないようだ。良かった。彼女は、何かにつけ私に攻撃的になるので、困っているのだ。
さて、本日のお客様は妖退治屋のお方。渚 蘭丸様というお名前だそうだ。そろそろお越しになるお時間。今日は私と椿さんでお出迎えだ。礼くんはどうしたのかって? あぁ、彼は……シェイルさんを担いだ後、ぎっくり腰になり、現在動けない状態なのだ。元居た世界では道場の師範代まで上り詰めた人なのに、これは本当に情けない。やっぱりこういう武道的なものって、鍛錬を怠ると身体がなまるものなのかしら。
あ、止まり木旅館の門が開いた。
「「ようこそいらっしゃいました!!」」
蘭丸様は、ゆっくりとこちらに歩いてこられた。……ちょっと待って? 私、ここまでとは聞いてない。
「楓さん、どうしたんですか? 私がご挨拶しても良いですか?」
隣にいた椿さんは、私の腕をつんつんと突いた。
「うん、あなた研修生でしょ。がんばって!」
もう、そう言うだけで精一杯だった。だって現れた彼は、備考欄に書かれてあった通りの『美青年』……いえ、それ以上だったから。墨色の着流し。長い黒髪。凛とした表情……。あれ? 私こんなに面食いだったっけ?
椿さんは、蘭丸さんにご挨拶を済ませると、客室へ先導し始めた。私は、それを立ち尽くして見送った。
「楓さん、あのお客様は……」
険しい表情で近づいてきたのは、忍くん。
「彼は、相当デキる人だと思います。もしものことがあってはいけませんので、今日は俺が護衛します」
「でも、あんな綺麗な方が、そんな乱暴するだなんて思えないのだけれど」
「いえ、あの身のこなしは只者ではありませんでした。お腰にあった得物も気になるんです。それは、あくまでも俺の勘ですけれど」
その時だ。
「これか? 妖刀『電光石火』だ」
あれ? いつの間にか、客室に向かったはずの蘭丸様と椿さんが戻ってきているではないか?!
蘭丸さんは、忍くんに向き直った。
「俺は、人は斬らん」
無言で対峙する2人。蘭丸様はあくまで静かに佇んでいるけれど、忍くんは何やら火花を散らしているように見える。
「そうか」
暫くして、忍くんはふんっと鼻を鳴らした。そして、瞼を伏せて踵を返し、庭の奥の方へと戻っていった。これで一件落着?と思っていたのだけれど、蘭丸様は旅館の建物の方を睨んだまま。
「でも、妖ならば、斬る」
はい? よく分からないけれど、とりあえずこんな所で立ち話はいけない。椿さんの方を見ると、彼は泣きそうな顔でこちらへ駆け寄ってきた。
「楓さん、すみません! 実は旅館の中で迷っちゃって、客室までご案内できませんでした!」
……こいつ!!! 迷子だと? あなた、ここに滞在して何日目なの?! 本当に椿さんは想定外のことばかり引き起こす。
私は、なんとか笑顔を立て直して、蘭丸様に向かって腰を折った。
「お疲れのところ、お騒がせいたしまして、申し訳ございません。それでは、お部屋へご案内いたします」
今日、蘭丸様のためにご用意したお部屋は、止まり木旅館の最奥の方にある『竹の間』。シェイルさんが滞在された1番良いお部屋『松の間』は、まだ導きの神が修復しに来てくれないので、使えないのだ。
「夢だと、外も中も明るいんだな」
蘭丸様は、廊下を歩きながら呟いていた。彼の出身世界では、天に昇るのは黒い太陽。昼もどこか薄暗い。彼の相方が見るような夢の一種だと思っていらっしゃるようだけれど、ここは現実。お茶でも飲めば、それに気づいてくださるかしら。
そして『竹の間』に着く直前、私達は、里千代様がいらっしゃる『梅の間』の前を通り過ぎようとしていた。
「ここは?」
蘭丸様が私に尋ねた。
「こちらは、『梅の間』。別のお客様が宿泊されているお部屋にございます」
蘭丸様は、『梅の間』の襖を見つめている。まるで、そこに襖以外のものがあるかのように。
「闇が深い」
ついに彼は、襖の引手に手をかけ、開け放った。
その後は、何が起こったのかが分からなかった。一瞬、刃のような風が吹き上がったような……。部屋の中には、里千代様が臥せっているお布団と、口をあんぐり開けて唖然としている巴ちゃんが見えた。特に、変わったものなど見当たらない。でも、確かに、何かが起こったはずなのだ。けれど、見えなかった。それを引き起こしたのは、たぶん彼、蘭丸様。あなた……何者なの? まるで人を超えた何かのような。
私と椿さんは、呆気にとられてすぐに動くことができない。蘭丸様の腰の刀は、カチャンと小さな音を立てて、鞘に収まった。彼の口元はちょっとだけ緩んでいる気がする。
「あれ……私……」
気づいたら、里千代様がお布団から起き上がろうとしていた。巴ちゃんは、すかさずそれを支えようとする。里千代様のお顔は、今朝見た時よりも血色が良い。小さな白い手で目をこすり、ゆっくりとこちらを見上げた。
「あなた……」
里千代様は、さっと顔を赤らめる。
「妖は、斬りました」
* * *
その後、蘭丸様は盛大におなかの音を鳴らしたので、私は少し時間が早いが、お夕飯を準備した。
胡麻豆腐、鮪、鯛、イカ、太刀魚のお刺身、鮑と蛸の柔らか煮、黒毛和牛のステーキ、松茸入り茶碗蒸し、焼き野菜、蛤の梅味噌和え、赤だし、ご飯、最後にデザートとしてぶどうのシャーベット。
どうやら、蘭丸様が何かしてくださったお陰で、里千代様が突然元気になったのだ。お礼を兼ねて豪華にしてみた。
「美味しいです」
蘭丸様にも気に入っていただけたようだ。仕事仲間と同居されているそうなのだけれど、その相方さんは全く料理ができないため、いつも蘭丸様が自炊しているらしい。人に作ってもらったご飯って、美味しいものよね。外に食べに行かないのかと尋ねると、金がかかるから駄目だとか。案外、妖退治屋は儲かっていないのかもしれない。
「お客様!」
食べ終わった食器を片づけようとしていると、庭の方から声がした。椿さんだ。
「あの……今回のお礼です! お帰りの際は、お土産にこれをお持ち帰りください!」
その手に持っているのは……大根?!! ふと見ると、遠くから忍くんがこちらに向かって走ってくるのが見えた。もしかして、忍くんの家庭菜園から勝手に引っこ抜いてきたの?! いや、ちょっと待って。そんなことより、土産が大根ってどうなのよ?! しかも、まだ土がついているし。せめて、止まり木旅館煎餅にして~!
「いただいて帰ろう」
え? こんなのでいいんですか?! なんと、蘭丸様は、椿さんから大根を受け取ってしまった。どうしよう。こんなものを押し付けられて、実は内心すごく気を悪くしているのではないだろうか?!
しかし、その心配は杞憂に終わった。扉が現れたのだ。なぜ、このタイミング?!
「お客様、お帰りの扉が現れました」
もう椿さんの実習などを気にしている場合ではない。このままでは、止まり木旅館の心象が悪いままお帰りになってしまう。せめてお帰りのお見送りぐらい、女将の私がビシッとさせていただこう。
蘭丸様は、大根を持ったまま扉の前に移動した。
「この度はご利用ありがとうございました。もう二度とお会いすることがありませんよう、従業員一同お祈りしております」
深々と下げた頭を上げた時には、もう扉も、蘭丸様もいなくなっていた。
「不思議な方だったわね……」
独り言のつもりだったのに、返事が聞こえてきた。
「どうしてお帰りになってしまったのですか?!」
振り返ると、そこにはすっかり復活した里千代様が!!
「私、あのような方でもいいかなと思うのです」
翔から鞍替えですか? ぜひぜひそうしてください! でも、蘭丸様はもう来ませんよ。たぶんね。
【後書き】
今回お越しくださった蘭丸様は音叉様作の小説『左団扇奇譚』に登場するキャラクターです。小説は下記からお読みいただけます。
http://ncode.syosetu.com/n5136db/
趣ある不思議な世界を是非体感してみてください! 蘭丸様のほかにも魅力的なキャラクターがいっぱいです。