第35話 公爵令嬢は月の夜を踊る
「アリスさん!!」
遠目から見ても、公爵令嬢の様子は明らかにおかしかった。
ひとりで歩かせたままでいいのか悩んでいる間に、彼女はアリステアの元までやってきて、そして叫んだ。
ローズピンクの瞳には、なぜか大粒の涙。
周囲は公爵令嬢の異常な様子を遠巻きに眺めている。
「おかしいですわ」
「……なにが?」
ぐいっと涙を腕で拭いている。濃紺の美しいドレスの袖が、彼女の雑な動きで揺れた。淑女らしさが完全に抜け落ちている。
「アリスさんは、わたくしと踊るべきです」
「は?」
唐突な物言いにアリステアは思わず声をあげた。
「先ほどの女性とも、他の方とも踊らせません」
傲慢なまでの言葉。彼女が激高していることだけは分かる。
その理由がなんであるのかを考え、打ち消し、また考え。
どんなに打ち消そうとしても辿り着く結論はひとつで。それはアリステアにとってあまりにも都合が良い。
アリステアは周囲を見渡した。
誰もが固唾をのんで彼女と、そしてアリステアを見ている。
(……もう誤魔化す必要もないか)
気になるはずの人の目が、アリステアを動かす。その力となる。
「では、俺と……私と踊られますか?」
そっと彼女へと手を伸ばす。
「当たり前ですわ!!」
ぽんと手が乗った。アリステアはすかさずその手を掴んで、自身の腕へと導きエスコートの形をとる。
「え? ええ?」
隣に並んだ彼女が呆然とアリステアを見た。
アリステアはそれに優雅に微笑んで応える。
(まぁ、見えているのは口元だけだろうが)
「さぁ、行きましょうか?」
「え? ……行く? どこへ?」
彼女の脳が少しずつ働き始めているらしい。
だが、もう遅い。
「もちろん、ダンスをしに」
アリステアは自身の左腕に添えられた彼女の手を、右手で押さえるようにしてダンスホールへと向かった。
* * *
(あ……あれ?)
クラリッサは徐々に冷静になっていく。
そうして状況を整理する。
勢いに任せてアリスさんのもとに突撃し、泣いて……わめいて……みっともなくダンスに誘っ……果たして誘ったと言えるのか?
穴があったら入りたい。
それなのに、アリスさんは気にすることなくクラリッサをエスコートしている。
「……あの」
「着きましたよ」
いつもより丁寧な口調が怖い。
怒らせたかもしれない。今度こそ、怒らせたかも。
そう思って固まる体に、アリスさんの腕が伸びて、手を繋がれ、背中に大きな掌の熱を感じた。
(う……嘘でしょう!!)
すぐ近くに感じるアリスさんの熱に、クラリッサは叫び出しそうになる。
はっきりいって、自分が今踊れているのかどうかも分からない。
勝手に足は動いているようだけれど、クラリッサの中に踊っている感覚はない。それぐらい頭が混乱している。
「……踊りにくくないか?」
「え? ……ええっと?」
耳元で囁かれ、一気に熱が駆け上がる。
「……俺と踊るのは嫌?」
「い、嫌なんかじゃ……」
いつもと雰囲気の違うアリスさんに、もういっぱいいっぱいだった。思わずアリスさんの手をぎゅっと握ってしまう。
(し……しまったわ!!)
焦るクラリッサの手を、アリスさんが握り返してくる。
(……あ……うう!!)
心臓がものすごい速さで動く。
息が苦しい。ダンスどころではない。
救いを求め、アリスさんを見上げて。
……失敗した。
前髪越しにアリスさんに見つめられている気がしたのだ。余計にあわあわする。それに気づいてくれたのか、アリスさんがクラリッサから顔を逸らした。
ほっとしたのも、つかの間。
「上手に踊れてるか不安だったけど、なんとかなってる?」
「……な、なんとか……?」
「君をリードできてる?」
クラリッサはもう泣きたくなった。
声が近い。
逃げ出したい。この熱に耐えられそうにない。
でも。
「嫌」
「え?」
「……アリスさんが、他の人と踊るのは絶対に嫌」
踊ってしまったからこそ余計にそう思う。この手は、この腕はクラリッサのものだ。誰にも渡さない。絶対にダメ。
今度は意図的にアリスさんの手を強く握る。
「このあとずっと、わたくしと踊るの」
「……君、その意味分かってるの?」
「……だって嫌ですもの」
同じ人とは、続けて踊らない。それが許されるのは、夫婦という間柄か、婚約者か。
クラリッサとアリスさんは違う。でも、クラリッサはアリスさんを誰にも渡したくない。アリスさんと踊るのはクラリッサだけだ。
「まぁ、いいけど」
「え?」
「意味が分かってるなら、付き合う」
「……え? ……良いのです?」
曲が一度止まり、本来であればそこで、二人のダンスは終わる。
でも、アリスさんは止まって、そしてもう一度クラリッサに手を伸ばした。
「クラリッサ・ブランデルウッド公爵令嬢」
初めて呼ばれた名前と、そして、その手の意味を、クラリッサは、今度は噛みしめた。
(……ソフィア様にちゃんとお伝えできるわ)
少しだけ余裕ができた頭が、そんなことを考える。
「もう一曲、いえ、このあとずっと、踊って頂けますか?」
アリスさんの声がまっすぐに自分に向けられる。
他の誰かではなく、自分だけに。
嬉しくなって、飛びつきたくなるのを我慢した。
「……踊ってくれないのか?」
「ふふ」
「……」
「もちろん、踊りますわ!」
クラリッサは笑って、手を伸ばす。
その手が、アリスさんの手と繋がり、距離が近づく。
二人の間に約束が、またひとつ増えた。
永遠の約束を胸に、クラリッサは踊る。
(……ふふ。アリスさんとダンスをしてますわ)
楽団の演奏、流れるワルツの旋律。
ようやく、クラリッサの耳にアリスさん以外の音が聞こえてきた。
「……楽しそうだな」
「あら? アリスさんは楽しくないのです?」
「……心臓が」
「え?」
「持ちそうにない」
「ええ?」
「……可愛すぎる」
アリスさんの心がクラリッサを直撃する。
(……か、可愛いですわ)
クラリッサを可愛いというアリスさんの方が可愛い。
クラリッサはますます嬉しくなって、楽しくなって、そしてドキドキする。
「ずっと踊っていたいですわね」
「……無理だ」
「ふふ」
「はぁ……なんで俺だけが」
「……わたくしも、心臓はバクバク言ってますのよ」
こっそりと、アリスさんにだけ聞こえるように伝える。
心臓の音は聞こえないだろうけど、少しでも伝われとアリスさんを見上げた。
今度はアリスさんの方からぎゅっと手を握られた。
(……大好きですわ)
クラリッサはアリスさんを見つめて、踊る。
アリスさんの瞳は見えないけれど、きっとクラリッサを見つめている。
(いつか、その瞳を見たいですわ)
月の夜。
クラリッサは、わがままを言った。
それを叶えられるのは、アリスさんだけ。
そして、増えてしまったわがままも、
いつか叶えてもらうんだと、心に決めた。
第二部【完】
第二部が完結しました。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
第三部は、冒頭の第0話・第1話を明日もしくは明後日、投稿予定です。
その後はいったん更新をお休みし、ヒューイ&アデレインのお話の完結後、準備ができ次第再開する予定です。
少し間が空きますが、第三部もお楽しみいただけましたら嬉しいです!
引き続き、よろしくお願いいたします。




