第0話 プロローグ
ソフィア・ペンフォードは、ペンフォード伯爵家の応接間で腕を組んで座っていた。
「ソフィア、お行儀が悪いわ」
「でも、お母さま」
「気持ちは分かるわ。けれど、お兄様が貴女のために呼んで下さった先生でしょ?」
「まだ、採用したわけじゃないわ。それに今日は顔合わせです」
ソフィアがフンと鼻を鳴らすと、隣でお母さまがため息を吐いた。
淑女らしくないことは十二歳にもなったのだからソフィアにだって分かっている。
けれど、抑えられないのだ。
これから顔合わせする家庭教師候補は、お兄さまが呼んだのだ。学園を卒業したばかりの、つまりお兄さまの学友。どういう関係性なのかだって気になるし、何より。
(……新人家庭教師では意味がありませんわ。わたくしは王子様と結婚したいのです)
そうやって意気込んで、何人もの家庭教師と顔合わせをしたことか。
ところが、ことごとく合わなかった。
表面上は取り繕っても、たかだか伯爵家の娘が王子様と結婚だなんてありえないと思っているのが、話を進めていくうちに見えてくる。
ソフィアとしては、当然却下だ。
お母さまはソフィアの夢を本気で応援しているわけではないが、それでもソフィアを軽んじることは許さないらしく、今まで顔合わせをした教師たちを勧めてくることはなかった。
そんなこんなで、家庭教師が見つからないままでいたら、お兄さまが勝手に家庭教師を推薦してきたのだ。その相手との顔合わせが、今日。
ソフィアは朝から臨戦態勢だった。
トントントンとノックの後、お母さまが入室を許可する。
執事に案内されて、一人の令嬢が顔を出した。
「失礼いたしますわ」
淡い青の短いジャケットに足首までの長いスカート。
清潔感漂う白いハイネックブラウスの胸元には、青のリボンタイ。
彼女が歩くたびに、ピンクブロンドの髪がさらりと肩の辺りで揺れた。
こちらを見る瞳は綺麗なローズピンクだった。
(……お、お兄さま、面食いでしたの??)
すっと伸びた姿勢に、歩く姿がとても優雅で思わず声が漏れそうになった。
(いいえ、だまされませんわ!!)
顔が良くても、家庭教師としては意味はない。所作が美しいのは……意味があるけど。
なによりもこんなに可愛らしいのでは、お兄さまに近づいてペンフォード家に取り入ろうとしている平民か、もしくは下位貴族かもしれない。髪が短いのがその証拠ともいえるだろう。高位貴族なら長く伸ばして自慢をするものだ。
ただ、あの不愛想なお兄さまを懐柔したことは……素晴らしい手腕だとは思うし、そこはちょっと興味があるけれど、ペンフォード家の娘として許すわけにはいかない。
(わたくしはお兄さまと違いますわよ!!)
ソフィアは座ったまま、じろりと強く視線を向けた――はずなのだが、なぜか令嬢の口元が緩くほどけた。
「はじめまして、クラリッサと申します」
そうして見せつけられた一礼も、本当に美しく無駄がない。
隣でお母さまが息を呑んだ音がした。それでも、ソフィアは認めない。
「クラリッサさんというの? 家名は?」
名乗れないというなら平民だ。申し訳ないが、王子妃になるつもりのソフィアには、平民というだけで不要な存在だ。これは見下しているとかそういうことではない。
たとえ彼女が優秀で、きちんと教養を教えることができたとしても、高位貴族に相応しい礼法はどうしたって劣るはずだ。それも学園を卒業したばかりの新人が、そう簡単にこなせるとは思えない。
「……えっと」
相手は返答に詰まる。
家名を名乗れないなら、用はない。
「家名を名乗れない方は、お帰り頂けます?」
「ソフィア!!」
お母さまから強い制止の声が掛かった。
けれどソフィアは自分が間違っているとは思わない。お母さまを無視して相手を鋭く見据える。
「信用に値しませんわ」
さらにそう告げると、クラリッサと名乗った相手は、二度三度、目を瞬かせてから。
「やっぱりそうですわよね……? アリスさん……あ、ペンフォード伯爵子息さまですわね。名乗らなくていいと言われたのですけど、そんなはずありませんわよね?」
と、うんうんと納得している。
だが、ソフィアの心の中では大嵐が巻き起こる。
(え? なに今の? アリスってまさかアリ兄さまのこと!? なんなの? この女はお兄さまのなんなのよ!!)
そして、お母さまの様子もおかしい。
お母さまは壁際の執事へとなにやら視線で合図を送り、執事はそれを受けて静かに部屋の外へと飛び出した。
そんな壁際での謎のやり取りも、家庭教師候補は気にならないらしく、ふわりと微笑んだ。
そして。
「わたくし、クラリッサ・ブランデルウッドと申します」
涼やかな声が応接間に響いた。
* * *
「も、申し訳ございません!!」
お母さまは即座に立ち上がり、ソフィアは、そのお母さまに腕を強く掴まれ立たされた。
そして勢いよく頭を下げさせられた。
(え? えええええ!?)
ソフィアの頭の中は大混乱だ。
(ど……どういうことですの? ブランデルウッドって……まさか、筆頭公爵家の??)
疑いようがない。ブランデルウッドの名を騙るなど出来るわけがない。
そんな恐ろしいこと、許されない。
(そういえば……)
お母さまによって強く頭を押さえつけられていて、ソフィアは顔を上げることができない。そのため、数分前の記憶を辿るのみ。
目の前の令嬢の髪と瞳の色は、鮮やかなピンクブロンドに、ローズピンク。
それはブランデルウッド公爵も同じ色だという。
もちろん、ソフィアは公爵様を見たことがない。未成年であるソフィアがお会いできる機会などない。けれど、お母さまは違ったのだろう。それで先ほどからお母さまの態度がおかしかったのだ。公爵令嬢の可能性に慌てていたのだろう。
少しずつ冷静さを取り戻し、ふんふんと分析をしていたソフィアだが、はたと気づく。
(……し、しまったわ!!)
今さらながらソフィアは自身の失態を悟る。
ブランデルウッド公爵令嬢と言えば、王子様と従姉弟同士だ。ということは、ソフィアにとって用無しではない。用ありだ。この際、家庭教師の実力なんてどうでもいい。ソフィアの夢の懸け橋としてこれ以上ない相手だったのだ。
「失礼しました!!」
ソフィアは改めて頭を下げる。
それはもう全身全霊で謝罪が伝われという念まで送って。
念が通じたのかは分からないが。
「いいえ。わたくしは家庭教師として顔合わせに参りましたの」
公爵令嬢はどこまでも軽やかで。
「さぁ、はじめましょう?」
主導権が完全に家庭教師側に移った。




