第399章血戦の砦、最後の一刻
大城は、この地からはるか遠く離れている。
敵襲の報を受けた瞬間から急行しているとはいえ、距離というものはどうにもならない。どう急いでも数日はかかる。
――つまり、この数日は、自分たちだけで耐えなければならない。
時間はやがて翌日に移った。
夜明け前、空がわずかに白み始めた頃。
城外ではすでに敵の獣人たちが鍋を据え、朝食の準備を始めていた。
煙がいくつも立ち昇るのを見て、チャールは城壁の上から静かに目を細めた。
(……早いな)
敵が焦っている証拠だ。
短期決戦で決めるつもりなのだろう。
やがて敵は食事を終え、間を置かずに攻城を開始した。
今回は明らかに本気だった。
三つの劫掠隊が合流したことで兵力は圧倒的。
敵は三方向から同時に押し寄せ、ほとんど休むことなく波状攻撃を仕掛けてきた。
戦いは、これまで以上に凄惨だった。
チャール自身も前線に立ち、剣を振るって敵を叩き落とす。
城壁の上では少年たちまでも皮甲を着込み、必死に槍を突き出していた。
老人や女たちも休むことなく働き続ける。
転木や擂石を運び上げ、敵に投げ落とす。
だが――それでも状況は厳しい。
敵は六倍、七倍の兵力。
向こうは交代しながら攻め続けられるが、こちらにはそんな余裕はない。
城壁のあちこちで血が流れ、悲鳴が響く。
チャールはその光景を見渡しながら、胸の奥で冷静に計算していた。
(……持たないな)
このままでは、いずれ突破される。
それは、指揮官としての直感だった。
だが次の瞬間、彼の表情はすぐに元に戻った。
(それでもいい)
どうせ最初から、覚悟は決めている。
この砦と運命を共にする。
それだけの話だ。
――その頃。
レーガンは百名の守備軍団兵と五百名の部族戦士を率い、クルミの花と共に静かに接近していた。
だが、すぐには動かなかった。
平原のど真ん中で突撃すればどうなるか――
そんなことは考えるまでもない。
ただの的だ。
密林の陰に身を潜め、戦況を観察する。
クルミの花は緊張した顔で小声を漏らした。
「レーガン兄弟……俺、勝手に領地を離れてきてるんだ。
もし上から咎められたら……お前、ちゃんと説明してくれよ?」
レーガンは迷いなく頷いた。
「安心しろ」
声は低く、落ち着いていた。
「斥候が報告してきた。敵が集結し始めている、と。
もし一箇所に兵を集中させて町を落とされたら、それこそ終わりだ」
少しだけ視線を前方へ向ける。
「上に問われたら、俺の判断だと言う」
クルミの花はようやく息を吐いた。
「……分かった」
二人は森の奥に身を潜めたまま、戦場を見つめる。
守備寨では激しい戦闘が続いていた。
遠目にも、防衛側が押されているのが分かる。
クルミの花は眉を寄せた。
「レーガン兄弟……あの寨、もう長く持たないぞ」
レーガンも同じ結論に達していた。
「分かっている」
彼は短く答える。
「だからこそ救わなければならない」
もしこの町が落ちれば――
周囲一帯の防衛線が崩れる。
そうなれば、この辺境は一気に空白地帯になるだろう。
レーガンは静かに呟いた。
「これは他人事じゃない。
あそこが落ちれば、次は俺たちの町だ」
クルミの花は頷いたが、すぐに不安を口にした。
「でも……今いる兵はこれだけだぞ。
正面から戦えば、どう考えても勝てない」
城内に入って守る?
それも危険だ。
敵が回り込めば、自分たちの町は空になる。
レーガンはすぐには答えなかった。
しばらく考え込み――
やがて口を開く。
「……一つ手がある」
クルミの花が顔を上げた。
「今すぐ馬で走れ。
この近くの部族領主と交渉してこい」
「援軍を出させるのか?」
「そうだ」
レーガンの目は冷静だった。
「兵を合わせれば、城内の守備兵団と合わせて敵とほぼ同数になる」
「互角……か」
「少なくとも、簡単には潰されない」
そしてレーガンは静かに続けた。
「それに――」
わずかに口元が上がる。
「俺たちの援軍も来る」
「いつだ?」
「明日だ」
クルミの花の目が見開かれた。
「本当か?」
「ああ」
レーガンは頷いた。
「明日まで耐えれば、形勢は逆転する」
そして低く言い放つ。
「その時は――」
「ボアマンども、一匹も逃がさない」
クルミの花は強く頷いた。
「分かった!」
彼はすぐに馬へ飛び乗り、部族寨へと走り去った。
正午頃。
敵軍はようやく攻撃を止め、昼食の準備を始めた。
城内にもわずかな休息が訪れる。
だがチャールの心は静かだった。
(……生き残るつもりはない)
彼は崩れかけた寨を見渡した。
少年兵。
負傷した兵。
疲れ切った獣人戦士。
胸が締め付けられる。
だが同時に――誇りもあった。
彼は心腹の戦士たちを呼び寄せ、低い声で言った。
「兄弟たち」
全員が顔を上げる。
「この寨を守り抜くのは……もう難しい」
沈黙。
「だが、時間は稼げる」
チャールは続けた。
「もしどうにもならなくなったら、俺が寨に火を放つ」
驚きが広がる。
「その隙に逃げろ」
「南へ向かえ。まだ落ちていない寨がある」
だがその瞬間。
一人のミノタウロス重装戦士が怒鳴った。
「逃げません!」
彼は歯を食いしばる。
「ここは俺たちの家です!」
拳を握りしめた。
「故郷を壊す奴がいるなら、命を懸けて戦う!」
別のジャッカルマン戦士も続く。
「そうだ!」
「やっとまともな暮らしができたんだ!」
怒りで声が震えていた。
「侵略者なんかに全部奪わせるかよ!」
周囲の戦士たちも次々に叫んだ。
「最後まで戦う!」
「寨と共に生きる!」
「寨と共に死ぬ!」
誰一人、逃げると言わなかった。
チャールの胸が熱くなる。
(……そうか)
一年以上の努力。
無駄ではなかった。
この者たちはもう――
同胞だ。
やがて昼食が終わる。
敵軍が再び動き出した。
今度は梯子の数が明らかに増えている。
総攻撃。
それを見た瞬間、チャールは悟った。
(……来るな)
劫掠隊の兵たちも勢いづいていた。
突撃の速度が目に見えて速い。
守備側もすべてを投入した。
転木。
擂石。
残っている物資すべて。
チャールはさらに命じる。
「油を持ってこい」
炊事場の油脂を全部運ばせる。
いつでも火を放てるように。
木寨も。
倉庫の根薯干も。
すべて。
敵に渡すつもりはない。
チャールは静かに呟いた。
(……最後までだ)
この寨の上下、全員が理解していた。
ここから先は――
玉砕の戦いになる。




