第230章 関隘陥落、そして略奪の論理
エドモンの命令を耳にした瞬間、フィルードはわずかに目を見開いた。
(……これは、相当思い切った判断だな)
味方兵が鉄甲を着ているのは事実だ。しかしそれは胴体が主であり、四肢は無防備に近い。
この距離、この密度での全面覆射――誤射が出ないはずがない。
だが、フィルードはこの戦争の総指揮官ではない。
エドモンの号令が下った以上、ためらいは許されなかった。
次の瞬間、全弓箭手が一斉に弓を張り、矢を放った。
空気を引き裂く破空音が重なり合い、空は瞬く間に矢で埋め尽くされる。
黒い雨となった矢は、城壁上へと容赦なく降り注ぎ、必死に城頭へ殺到する敵兵を薙ぎ倒していった。
鉄甲を着た一部の兵だけが、かろうじて生き残る。
軽装の兵は、ほぼ例外なく射倒された。
しかし――。
(やはり、か)
登攀中の味方兵もまた、その射線に巻き込まれていた。
フィルードは自身の目で、少なくとも数十名の兵が味方の矢を脚に受け、雲梯から力なく落下していくのを確認した。
中には矢を受けたまま梯子にしがみつき、動かなくなる者もいた。
だが多くは、歯を食いしばり、血を流しながらも登り続けた。
やがて、最初の兵が城壁に到達した。
いわゆる「先登死士」――だが、その運命は古来より決まっている。
城頭に身を躍らせた瞬間、数本の長槍が胸を貫き、兵はそのまま突き落とされた。
しかし、登る兵は一人ではなかった。
次々と鉄甲兵が城壁に到達し、ついに城上で敵軍と激突する。
当初は敵の数が多く、局所的な優位を築けなかった。
だが、時間とともに状況は確実に変わっていく。
登攀する兵が増えるほど、こちらの足場は広がる。
射撃を続ける弓兵も次第に減り、腕に覚えのある者だけが慎重に矢を放つようになった。
(誤射すれば、取り返しがつかない)
城壁に登った兵と、登れなかった兵。
その価値の差は、もはや比較にならない。
フィルードはその光景を見つめながら、冷静に考えていた。
(攻城戦は、まだ最適化できる)
前世で見た戦史解説動画が脳裏をよぎる。
可動式の高台――攻城車を用いれば、一瞬で大量の兵を城壁へ投入できる。
次があれば、必ず採用すべきだ。
やがて登攀する鉄甲兵が増え、ついに城壁上で明確な足場が確保された。
その時、ウェインがエドモンのもとへ駆け寄り、深く頭を下げた。
「陛下。私に超凡者小隊を率いて登らせてください。
我々が城頭に突入すれば、一気に優位を築けます。損害も大幅に抑えられるはずです」
エドモンは、ほんの三秒だけ逡巡し、頷いた。
「よい。小叔に任せる。だが無理はするな。
超凡者は王国にとって貴重な財産だ」
ウェインは力強く頷き、即座に超凡者たちを招集した。
騎乗のまま城壁前まで突進し、下馬すると三隊に分かれて一斉に登攀を開始する。
ウェイン侯爵が先頭に立ち、戦士たちが続いた。
フィルードも、その中にいた。
厚い鎧のせいで動きは鈍いが、体力はまだ持つ。
(防御を破られる心配は、ほぼない)
ほどなく、八十名の超凡者が次々と城壁に到達した。
その光景は、まさに――
狼が羊の群れに飛び込んだかのようだった。
超凡武器で普通の兵を斬るのは、瓜を切るがごとし。
ただし彼らは魔法を使わず、あくまで通常攻撃に徹した。
(城内に、どれほどの超凡者が潜んでいるかわからない)
慎重さは失わない。
戦闘は凄惨を極めた。
味方兵は体力が尽きると、逃げる間もなく数人に囲まれ、斬り伏せられていく。
だが超凡者たちは圧倒的だった。
瞬く間に城壁の三分の一を制圧する。
フィルードは死体の山の上に立ち、胸中に複雑な感情を抱いていた。
彼もエレナも、全身が血に染まっている。
奪取した区域は、すぐに味方兵が占拠した。
時間の経過とともに、対面する鉄甲正規兵が次々と倒れていく。
最後の鉄甲兵が地に伏した時、戦況は完全に逆転した。
残る鉄板入り皮甲の二線兵など、もはや敵ではない。
瞬く間に薙ぎ倒された。
夕刻近く、味方軍はついに城壁全域を制圧し、各胸壁を掌握した。
――これで、攻城戦は事実上の勝利だった。
フィルードは、守備側の抵抗がここまで激しいとは予想していなかった。
これは、豊臣家にとっての大坂の陣のようなものだ。
(ここが落ちれば、後がない)
タロン王国にとって、この関隘は最後の底線だった。
守備兵たちは知っている。
背後には妻子や老親がいる。
ここを破られれば、その先は想像するに耐えない。
戦後、大軍は戦場を整理し、四方の城壁を巡って関隘を完全に掌握した。
城内に残った農奴兵たちは、恐怖に震えていた。
夜になったため即時突入はせず、翌朝未明、城内へ降伏勧告が行われた。
――即刻降伏せよ。さもなくば皆殺しにする。
この脅しは、驚くほど効果的だった。
主力が去ったと知った農奴兵のほとんどが、降伏を選んだ。
一、二千名ほどがなお抵抗を続けたが、大軍の電光石火の攻撃によって瞬時に殲滅された。
こうして、この雄偉な関隘は完全に掌握された。
タロン王国は戦略的主導権を完全に喪失し、もはや北進する術を失った。
関隘を落としたエドモンは一夜の休養を取り、五千の兵を残して守備に当て、
残る五万の大軍を率いて、タロン王国領内へ一直線に侵入する。
――劫掠の開始である。
軍は五路に分けられ、各一万。
戦利品は五分五分。王室が半分、貴族が半分。
フィルードは配下の兵と、カールトン子爵、フランク子爵、そしてその麾下の小貴族たちを率いて行動を開始した。
彼の主目的は人口。
次いで糧食だ。
まずは易しいところから――騎士村落を標的とする。
村の農奴の青壮は徹底的に確保し、少年すら見逃さなかった。
もっとも、これは恒久的な連行ではない。
撤退時には状況を見て、各農奴家庭に一定数の青壮を残すつもりだった。
(彼らも、生きなければならない)
青壮をすべて奪えば、残された者は生きていけない。
それでは、連れてきた青壮たちが必ず不満を抱く。
フィルードは、彼らを将来の領民、あるいは兵士として育てるつもりだ。
数年後、帰郷した際に家族が全滅していたなら、誰でも反乱を起こす。
せめて、嫌がらせくらいはするだろう。
なにしろ、実の親なのだから。
青壮を確保する一方で、騎士領の糧食はすべて没収し、農奴たちに分配した。
(……やはり、俺は甘いか)
現代人の感覚が抜けない。
この世界の貴族のように、徹底して冷酷にはなれなかった。
それならば――農奴たちに良い名を残す方が、長期的には得策だ。
去る前には、糧食を隠しておくよう念を押した。
我々が去った後、彼らの国王が清算に来る可能性があるからだ。
(生き延びろ。次に会う時は、味方であれ)
フィルードはそう心の中で呟き、次の行軍へと向かった。




