第223章 襲撃と攪乱、そして騎兵の役割
その数字は、ただ並べるだけで人の心を折るに足るものだった。
もしこの場にフィルードが立っていたなら、空気に滲むように漂う、息苦しいほどの絶望の気配を即座に感じ取っていただろう。
今のこの軍勢は、もはや戦う以前の問題だった。
戦闘力など望むべくもなく、逃走すらままならない。長期間にわたる不眠と恐怖に晒され続け、精神はすでに限界点を越え、崩壊の縁に立たされていた。
今回の夜襲は、言ってしまえばただ導火線に火を点けただけに過ぎない。
複雑な策も、巧妙な布石も必要なかった。火花が散った瞬間、城内では何のひねりもなく混乱が爆発的に拡大し、兵士たちは狂気に駆られたように互いを斬り合い始めた。
部隊を率いていた将領は、その惨状を目にした瞬間、顔色を失い、半ば錯乱したように銅鑼を打ち鳴らした。
奇襲を仕掛けた兵を呼び戻すための合図である。
夜襲部隊は迷わなかった。
あらかじめ決められていた通り、躊躇なく大軍をまとめ、即座に撤退を開始した。
城内に響き渡る悲鳴と怒号は、夜が明けるまで途切れることがなかった。
翌朝、主力軍による正式な攻城が開始されたが、抵抗と呼べるものはほとんど存在しなかった。
軍勢はそのまま、流れるように城内へとなだれ込んでいった。
鼻を突くのは、強烈な血と鉄の匂いだった。
見渡す限り、城内はすでに死体の山で埋め尽くされている。踏みつけられ、圧死し、斬られた兵士たちが至る所に転がり、無傷で生き残った者でさえ、その場に座り込み、完全に力を使い果たしていた。
当初は、敵を追い払う程度で十分だと考えられていた。
だが結果として、大部分の兵士を捕虜にすることに成功する形となった。
統計によれば、城内の守備軍は約18,000名。
そのうち3,000人以上が、包囲期間中の投石機によって命を落としていた。
昨夜の混乱ではさらに5,000から6,000名が死傷し、即死者だけでも3,000人に達している。残った者の多くは重傷者であり、無傷の捕虜は9,000名余り。全員が拘束された。
一方、救援に向かっていた敵軍は、城がすでに陥落したとの報を受けると、占領中の別の子爵領へと撤退を開始した。
だが、それを見逃すほど甘くはない。
数千名の農奴兵を残し、捕虜を近隣の味方子爵城へ護送させると、エドモン国王自らが約6万の大軍を率いて追撃に移った。
先陣を切ったのは、6,000名の騎兵部隊である。
敵の騎兵は4,000名。
数でも質でも、こちらの敵ではなかった。
フィルードも貴族として、貴族騎兵の陣列に加わっていた。
敵の騎兵にも子爵から騎士に至るまで、多くの貴族が混じっている。
――だが、肩書きが戦場で身を守ってくれるわけではない。
味方の騎兵は敵陣の周囲を旋回し、間断なく投射攻撃を浴びせ続けた。
フィルードは愛馬「大黒」に跨り、自然と口元が緩むのを感じていた。
大黒の脇には三張の弓が掛けられている。
上位魔弓、硬弓、そして軟弓。
フィルードは迷いなく軟弓を選んだ。
自分の弓術に対する信頼があったからだ。
さらに、大黒の胴には十個もの矢筒が吊るされている。
一本二十本入りで、合計二百本。
物量という点において、これ以上ないほどの準備だった。
フィルードは「高級見習い」ランクの素材で製作した高級羽矢を二百本所持していたが、今回はそのうち四十本のみを携行していた。
残りは通常の羽矢だ。
――これで十分だと、冷静に判断していた。
エレナもまた、小さな黄牛に跨っていた。
装備構成は、フィルードの勧め通り、ほぼ同一である。
二人は文字通り「人間砲台」と化し、軟弓で敵騎兵を次々と射抜いていった。
その光景は、周囲の貴族たちに言葉を失わせた。
この行動が、後に一つの時代を終わらせることになるとは、二人はまだ知らない。
後世ではこれを、「戦争における貴族の礼節の終焉を告げる号角」と呼ぶようになる。
本来、超凡者が軟弓で一般兵を狩るなど、品位を欠く行為とされていた。
だが、外来者であるフィルードは、その価値観そのものを戦場で粉砕した。
体面よりも、殺傷効率。
それが、この戦争の現実だった。
二人の正確無比な射撃は、瞬く間に敵側の超凡者の注意を引いた。
短時間で、すでに百名近い騎兵が射倒されている。
軟弓は、フィルードにとってはおもちゃ同然だった。
力を込める必要すらない。
――その時だった。
鋭い風切り音が、フィルードの耳を打った。
反射的に大黒を操り、エレナの前へと躍り出る。同時に上位ランクの盾を掲げた。
乾いた衝撃音。
矢は盾に弾かれ、粉々に砕け散った。
強烈な反動に、身体が揺れる。
だが、百ポンドを超える重装鎧が重心を支えた。
(上位……間違いない)
次の瞬間、エレナの反撃が始まった。
彼女は貴重な上位矢を温存し、「高級見習い」レベルの矢に全魔力を込める。
緑色の光を帯びた矢が、長空を貫いた。
敵の超凡者は、回避に成功したつもりだった。
だが、矢速は想像を遥かに超えていた。
鈍い音。
矢は肩を貫き、男は悲鳴と共に落馬した。
フィルードは、胸の内で静かに誇りを覚えた。
この一撃で、味方の士気は最高潮に達した。
称賛の声が飛び交い、エレナは頬を赤らめる。
フィルードは再び軟弓を取り、淡々と射撃を再開した。
やがて、敵軍の進軍速度は著しく低下し、味方歩兵が急速に距離を詰めていく。
敵将もようやく危機を悟った。
怒号が飛ぶ。
――だが、その動きを、フィルードはすでに読んでいた。
彼は即座にウェイン侯爵の元へ駆け寄り、大声で警告を放つ。
「侯爵閣下! 騎兵を敵歩兵から引き離してください!」
その声には、迷いも焦りもなかった。
戦場を俯瞰した者だけが持つ、確信があった。
PS:ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回の一連の戦闘は、単なる勝敗ではなく「戦い方そのもの」が変わり始めた瞬間でもあります。
武勇よりも配置、勇敢さよりも選択――その積み重ねが、戦場の空気を少しずつ塗り替えていきます。
その変化を感じ取っていただけていれば幸いです。




