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第捌話 兄妹相対

今回は水奈月と神有月の過去。そして華菜の覚醒編です。よろしくお願いします。

 物心ついた時から、自分の傍には兄しかいなかった。父と母とは既に死別し、遠く離れた土地に祖母がいる、というのを少し聞かされていただけで、家族と呼べる存在は兄だけだった。

「あにさま。何処へ行かれるのですか?」

 二人が暮らしていた家は雪国の山奥にあり、他人は滅多に近寄って来なかった。

 季節は秋。これから長い冬に閉ざされるという時期の出来事だった。

「ああ。これから山で薪を拾ってくるよ。ここは冬は寒いし、暖を取るためのね。早く行かないと雪に埋もれてしまうから、今日中に済ませようと思う。もしかしたら帰りが遅くなるかもしれないけれど、我慢しておくれ」

「分かりました。気を付けてね」

 妹の見送りに、兄は優しく微笑んで頷いた。


 五年前。この時、水奈月(みなづき)十歳。神有月(こうづき)一八歳。まだ二人はあらゆる面で幼かった。世界の残酷さを知らなかったのだ。


        ✿✿✿


 その日水奈月は、いつも兄が手にしている本を眺めていた。だが彼女はまだ字が読めなかった。なので何が書いてあるのかなんてさっぱり分からない。

 だが眺めているだけで、なんだか自分が兄と同じ場所に立てているような、そんな気分になった。

 まだ両親が存命だったころに勉学を嗜んだ兄とは物事の見方が違いすぎる。それは分かっている。だがこうして彼と同じ行為をすることによって、まるで自分も勉学を身に着けたような気になっていた。

「ここには何があるんだろう……。あにさまが帰ってきたら読んでもらおう」

 一人でそう呟くと、あることに気が付いた。外で何か声が聞こえる。兄が帰って来たのだろうか?

 いや、それにしては早すぎる。それに、これは会話だ。一人じゃない。複数の声があった。

「お、こんなところに山小屋があるぜ」「マジか。助かったな。ここで休もうぜ」「でも、誰か住んでたら如何するんだよ」「大丈夫だって。こんな豚の小屋みたいなボロ家に住んでる奴なんていねぇよ」

 その会話を聞いて、外に居る男達(声を聞く限り全員男性だ)はここに上がり込むつもりなのが分かり、怖くなった彼女は部屋の奥にある押入れの中に隠れた。

 押入れの戸を閉めると同時に、家の中に数人が上がって来た。

「家具なんかは置いてあるぞ」「きっと前は誰かが住んでいたんだろ。でもボロくなったから出て行ったんだよ」「今晩はここに泊まるか」「そうだな。売り物もなかなか見つからないし、しばらくは帰れそうにないしな」

 男達の会話を、耳を欹てて聴いている。如何やら彼らは行商人か何からしかった。

 連中は床に腰を下ろし、酒なんかを飲み始めている。これでは当分出て行きそうにない。水奈月は兄が早く帰宅するのを祈った。


 押入れに隠れてから三十分くらいが経っただろうか。この家はさっき男達が比喩していたように豚小屋のようだ。障子の立てつけも悪いし壁や床も薄い。肌寒くなってきた今の時期、木枯らしが壁から入り込むことなんてしょっちゅうだった。

「くしゅんっ」

 彼女は思わずくしゃみをしてしまった。

 男達はすぐさまそれに気が付いた。

「誰だ! 誰かいるのか!」

 しまった――。と思って息を殺してさらに奥へと縮こまった。

 お願い、探すのを諦めて。そう心の中で必死に念じる。だが、気配が近づいてくる。戸の前に四人の男が立っているのが分かった。

「ここか?」「確かにこの辺だったが――」「あ、開けてみるぞ、いいな?」「構わない。早くしろ」

 そんな会話が聞こえ――。

 視界が明るくなった。戸が開けられてしまったのだ。

 目の前に酒気を帯びたむさ苦しい野郎共が現れる。見るからに不潔で、酒の匂いなのか彼らの体臭なのかは分からないが、兎に角臭い。

 本当なら今すぐ逃げ出したいところなのだが、唯一の逃げ道は彼らに塞がれてしまっていて通ることが出来ない。

 怖い。怖い。

 何なのだあの目は。まるで金を掘り当てた様な卑しい目は。

 気持ち悪い。

「何だこの子供」「もしかしたら、この家の子供か?」「売り物にするには幼すぎるか……」「だが、何処かの店へ売って禿にでもさせればいい。俺には分かるね、この娘は将来上玉になる」

 話している内容は全く分からない。だがニュアンスで自分の身に危険が迫っていることを水奈月は理解していた。

 だからこそ早く逃げなければ。しかし足が竦んで立つことすら出来ない。

「お嬢ちゃんお嬢ちゃん。こんなぼろい家よりもっといい暮らしの出来る場所へ行かないかい?」

 四人の中で一番歳を食っている男がそう笑顔で話しかけてきた。それがいかにも胡散臭く、気持ち悪い。

 怖くて仕方がなく、水奈月はついに泣き出してしまった。

「おいおい、泣かなくてもいいだろ。ほら、俺達と一緒に行こう。な?」

 するとその男は、腕を掴んで無理やり立ち上がらせてきた。

「やだ、やだぁ!」

 やっとの思いで拒否の言葉を叫ぶ。だがどれだけじたばた騒いだところで、無駄だった。五歳児の抵抗が大人の男に敵うはずがない。

 ついに脇に抱えられてしまった。

「あにさま! 助けてぇ!」

 必死になって助けを求める。

 すると、思いが通じたのか丁度そこへ神有月が帰って来た。突然の状況に頭が真っ白になり、持っていた薪やらそれを取るための道具やらを落としてしまう。

 見ず知らずの男達に最愛の妹を誘拐されそうになっている光景を見て彼は、激昂した。

「貴様ら。水奈月に何をしている……?」

「何だお前――ッッッ!」

 戦闘に居た男が彼の前に一歩歩み出た刹那。その顔面に拳が入った。鼻の骨が折れたようで、血があふれ出すそこを押さえて喚いている。

「貴様。その汚らわしい腕を離せ!」

 神有月は素早く移動し、水奈月を抱えている男の懐へ潜り込んだ。そして流れ作業のように鳩尾に拳を叩きこんだ。

 男は「ぐあっ」と悲鳴を上げ、失神してしまう。力の抜けた腕から落ちそうになった水奈月を、兄は優しく抱きとめてくれた。

「大丈夫かい?」

「はい。ありがとう、あにさま」

 妹が無事なことを確認した彼は、山で木の枝を切ったりするための鉈を拾い上げた。

 そしてそれを残った二人へ向け、

「どっちが先に燃料になる?」

 じわりじわりと歩み寄って行く。神有月の眼に宿った尋常ではない光を感じ取ったのか相手は完璧に戦意喪失した。

「ゆゆゆゆゆ許してくれぇぇぇぇぇぇぇええぇぇぇぇ!!!」

 倒れた二人を引きずって、さっさと退散して行った。

「すまない水奈月。怖かったろ」

「はい……。来てくれて嬉しかった」

 両眼いっぱいに涙を溜めると、そのまま兄の胸に顔を押し付けた。

 二人はしばらくはそのままで、抱き合っていた。だがこの時期外は寒い。このままでは風邪をひいてしまう。

「家に入ろう。大丈夫だ。今はもう、俺が付いている」

 水奈月はこくんと頷き、促されるままに家の中へと入った。


        ✿✿✿


 この日は夕冷えが酷かった。普段ならば家の裏にあるドラム缶風呂に入るのだが、流石にこれは寒い。

 という訳で、風呂には入らずに湯を絞った手拭いで神有月は水奈月の体を拭いてやっていた。

「今日はごめんな。もう二度と、あんな怖い思いをお前にはさせないよ」

「ううん。大丈夫だよあにさま。あにさまと一緒なら、何も怖くない」

 そうは言っているものの、強がっているのは見え見えだった。兄を心配させないためだろう。

 そんな妹にあんな悍ましい思いをさせてしまったことを、彼は悔やんだ。

 そして同時に、例え何があろうとも彼女を守り抜く。そう心に刻んだ。

「そうだ、あにさま。お願いがあるの」

「何だ? 水奈月」

「あのね、ウチ御本が読みたい」

「本――? 分かった、何の本だ? 終わったら読んでやろうか?」

 彼女が本に興味を示すなんて――。神有月は少し疑問に思った。だが、思い返してみれば水奈月はよく自分が本を読んでいる際にその書物を覗き込んでくることはよくあった。だが、まさか読みたいと言うとは。

 しかし彼女は文字が読めない。その為、こうやって頼み込んでいるのだろう。

 神有月は妹に服を着せてやると、「どの本だ?」と尋ねた。

「これだよ」

 そう言って水奈月が持ってきたものは。

『月の花の実』というタイトルのお伽噺だった。

「ああ。分かった。おいで」

 妹を自分の膝の上に促すと、頁をめくって朗読し始めた。


 遠い昔のお話です。ある村に、卯月(うづき)という名の若者が暮らしておりました。彼は酷く貧しい暮らしをしておりました。家もボロボロ。服もボロボロ。そんな醜い容姿をしていた彼を村の人々は『お化け太郎』などと呼んで薄気味悪がっておりました。

 ある満月の晩のことです。卯月は庭から月を眺めていました。そんな時、庭の木に見たこともない果実が生っているのを見つけました。

「なんだろう?」と考えた彼はその果実をもぎ取ると一口、食べてみます。

 なんということでしょう! それはまるでこの世のものとは思えないくらいの美味しさでした。卯月はもう一つ食べようと木に手を伸ばしましたが、残念なことに実は一つしかありませんでした。

 しかし次の日から彼の暮らしは変わりました。村へ出ても誰も気味悪がることなく、優しくしてくれるのです。貧しい卯月を気遣って穀をくれたりする人もいました。

 そしてついにある日、村の長が、娘を嫁にしてほしいと言ってきたのです。

 卯月はそれを喜んで受け、美しい娘と夫婦になりました。

 それからしばらく経った、ある満月の晩。二人は庭の木に二つの果実が生っているのを見つけました。卯月は妻に「この果実を食べれば幸運が訪れる」と言って、二人でそれを食べました。

 しかし次の日、大変なことが起こりました。二人は屋敷から出られなくなったのです。夜、月を見上げ乞いました。

「私達を外へ出してください。お願いします」

 すると月はこう言いました。

「それならば、その木の世話をするがいい。金色に光る花が咲くまでな」

 二人はその言いつけを守り、毎日毎日木に水をやり、養分を与え、大事に育てました。しかしどれだけ時間が経っても花は咲きません。卯月は月に問いかけました。

「如何して花が咲かないんだい? 僕達がこんなに頑張っているというのに」

 月は答えました。

「いつか綺麗な花が咲く。それまで辛抱するがよい」

 それを信じて二人は長い年月を過ごしましたが、いつまで経っても花が咲く気配などありません。

 二人は今も一緒に水をやりつづけているのです。


「これがこの物語だ。――如何だった?」

 神有月は本を閉じ、水奈月に感想を聞いた。

 彼女は不思議そうに表紙を見つめたまま首を傾げる。

「分かんない。如何して花は咲かなかったの?」

 それを訊かれると困ってしまう。その答えは彼も知らないのだから。

「そうだな――。きっと月がわざと花を咲かせないようにしているんじゃないか?」

「何で? 二人とも一生懸命やっているのに。可哀想です」

 暗い顔をする妹のために、自分の考察を述べる。

「でもこうやって生活していれば、夫婦はずっと一緒にいられるだろう? 確かに木の世話は大変かもしれないけど、それさえしていれば不幸なことは何も訪れないんだ。ずっと二人一緒にいられるんだよ」

 適当な理由をでっち上げたつもりだったのだが、水奈月の反応は思ったよりも良かった。

「そうか。好きな人とずっと一緒にいられるんだもね。それなら幸せかもしれないね」

 何処か寂しそうな表情で笑う妹の頭を撫でてやる。

「水奈月。今日は疲れただろう。まだ早いが、もう寝なさい」

「はい。あにさま、おやすみなさい」

 畳の上に粗末に敷かれた煎餅布団に水奈月は潜りこんだ。

 眠りに落ちた妹の姿を、神有月は複雑な思いで見つめていた。


 その晩から神有月はある調べものを始めた。もう二度と水奈月を怖い目に遭わせないために。こんな貧しい生活から抜け出すために。

「何でもいい。俺達兄妹でも幸せになれる道はないのか……」

 家にある様々な書物を漁る。

 この家は元々両親と暮らしていた家で、母がよくこういった書を集めていたので、数多く残っている。

 先程読んだようなお伽噺もあるが、それよりも神話や歴史書などが多い。

「『天皇家』――? かつて日ノ本の象徴として君臨していた一族? こんな話聞いたこともない……」

 毎晩毎晩、水奈月が眠った後は文献を漁り続けていた。

「『妖刀 六道』。この世の全ての理を司る呪具」

 昼間は山で採ったものを町に出て売ったりしていた。

「『天仙(てんせん)の地』。絶望の存在しない、全ての者の理想の地」

 そして禁断の答えを出してしまった。再び『月の花の実』を読み返す。

「なぁんだ……。簡単じゃないか……」

 思えばあの日から、彼はゆっくりと歪んでいったのかもしれない。自覚もなく、妹に気づかれることもなく。

 ただゆっくりゆっくりと計画を練った。そして闇に塗れた夢を得た。


「俺と水奈月だけの世界を作ればいいんだよ」


 ついに決心した。まだ存命の祖母と如何にか連絡を取り、水奈月を任せることにした。

 自分は家を出て、夢を――否、野望を叶えるために歩き出した。


        ✿✿✿


「ごめんよ水奈月。長い間会えなくて。だけどもう大丈夫だ。これからはずっと一緒にいられる。もう寂しい思いはさせない――」

 不気味な笑みを浮かべたまま、神有月は歩み寄ってくる。他の者など眼中になく、ただ水奈月だけを見つめて。

「兄さま。如何して。何でこんなところに」

「何でって。俺はこれまでお前を幸せにするために色々してきた。そしてようやくその準備が整おうとしているんだ。もう誰にも邪魔はさせない。さぁ……」

 そう狂ったように呟きながら手を差し伸べる。

 だがそこへ割って入った者がいた。

茨木(いばらき)氷睡(ひすい)! 貴様如何いうつもりだ⁉」

 鏡白雪(かがみしらゆき)である。彼女は少し離れた場所から声を張り上げた。一応はこれまで仲間として同じギルドで行動してきていたのである。そんな人物が突然こんな行動に出ており、混乱しているのだ。

「その名はあくまで俺が貴様らに取り入るために使った名。もう必要はない」

「質問に答えろ! お前は一体如何いうつもりなんだ⁉ 何故このギルドで行動していた!」

 彼女の疑問一つ一つに、神有月は気だるげにも答えていく。

「まず『白虎乃國』に入ったのは百庫華菜(びゃっこかな)の身分目当てだ。名家の末裔なる人物の元にならば人を集めやすいからな。そして集めた連中から『妖刀 六道』に関する情報を得ようとした。ほとんど失敗だったが、当たりの時は素晴らしかった。こうして我々の元に四本、どっかの餓鬼の元に一本。そう考えれば残り一振りで揃うんだ。これほど素晴らしいことはないだろう? 俺の計画は随分と進めることが出来たよ」

 狂っていた。自分の目的のためだけに何百人も利用し、いくつもの国を焼いた。これが狂っていないなどと言えるものか。

 神有月はその時何かを思い出したかのように進行方向を変えた。華菜と白雪の元へと向かったのである。

『花札』より具現化された刀の切っ先を向け、ねっとりと言葉を投げ掛ける。

「悪いけど、これ以上君達に必要価値なんてないんだよねぇ」

 言いながら、あるものを放ってきた。汚れた、二つのデッキケースだ。泥や血が付いて黒くなってしまっている。この意味を、初めは誰も理解することが出来なかった。

 だが気づいてしまった。華菜と白雪はこれまでずっと、このデッキケースの者達と共に戦ってきたのだから。

「そんな。(ほのか)塔上(とうじょう)……。二人とも……」

「俺の予定に従わずに本陣へ引き返そうとしていたのでな。粛清しておいた」

 その言葉が華菜の胸に突き刺さる。まさか、そんな。それではつまり、二人はもう――。

 信頼していた仲間達が命を散らしていただなんて。信じられない信じたくない。

「お嬢! お逃げください!」

 白雪が主を守ろうと前へ出る。だが、片手で簡単にあしらわれてしまった。

 地面に転がった彼女は、それでもなお、主のために立ち上がろうとする。だが、

「嫌……。来ないで……」

 恐怖に支配されてしまい身動きの取れぬ童女に、神有月は言い捨てた。

「とっとと死んでくれないかな。俺の計画の役に立たない奴は邪魔なんだよ!」

 そう叫ぶと同時に刀を突きだす。確実に殺せるように眉間を狙って。

 数秒後に、無残な血の花が咲いた。


 生温かい液体が身体を穢していく。口内に鉄の味と香りが広がった。しかし不思議と痛みは感じなかった。

 そもそも――傷つけられていなかった。

 華菜は無傷だった。刀で突かれたはずなのに。目の前にまでその切っ先が迫っていたのに。

 何故?

「お嬢……。大丈夫ですか……?」

 頭上から声がした。息も絶え絶えで絞り出しているような声である。すこし顔を上へ向けると、そこには。

刀で右の胸を貫かれ血を流し続けている白雪がいた。彼女は切っ先を握り、刀を抜かれないようにしている。その背後では如何にか刀を抜こうとしている神有月がいた。

 彼女の傷口からは絶え間なく血が出ており、辺りの地面はどんどん赤黒く染まって行く。

 はぁはぁと息をつく度に、口からも血が滴る。見るに堪えない惨状だった。

「白雪、如何して――」

「命尽きるまで貴女を御守りするのが、僕の使命ですから」

 辛いだろうに。堪えきれないくらい痛いだろうに。それでも彼女は笑顔を取り繕っていた。最愛の人の前で弱音なんか吐けないから。

「くそ。離せ!」

 その時神有月は掴まれていた刀をぐるっ! と捻り、白雪の指を切断して無理矢理引き抜いた。

「邪魔だよ。とっとと消えろよ」

 血塗れの少女を地面に叩き付けると、再び矛先は華菜に向けられた。

 今度は恐怖ではなく、一度に仲間を三人も失ってしまった哀しみによって身動きが取れなくなってしまった彼女は、一切抵抗をしなかった。

 もはや、もう死んでしまおうかなどとも考えていたのだ。

「(白雪、仄、塔上。もうみんないない。これ以上生きていたって、私には何も出来ない。それならいっそ、みんなと同じ所へ行きたい)」

 完全に諦めてしまった華菜。その首へ斬撃か襲いかかった。

 次の瞬間。


 パァン!


 高らかに銃声が鳴り響いた。そしてそれは神有月の持っていた刀を弾き飛ばした。

「何かなぁ?」

 苛立ちを覚えた彼が弾が飛んできた方向を見ると。

 そこにはジラの持っていた短筒を借り、構えている水奈月の姿があった。銃口からは煙が上がっており、彼女が撃ったのは一目瞭然だ。

「水奈月? 何故だ、何故お前がそんなことをする⁉」

「兄さま、もうやめてください! こんなことをして何になるのです! 無益な争いはすべきではないわ!」

 声を張り上げて兄を止めようとする。だが、歪みきった彼の心には届きそうにない。

「無益ではない。この戦さえ終われば、俺とお前は戦国の先へと行けるんだ。誰にも邪魔されない二人だけの世界。俺達以外の人間なんて必要ないんだよ。安心しろ、もう絶対にお前を辛い目には逢わせない。だから、ほら。行こう」

 言い終わった刹那、彼の姿が消えた。

「さあ水奈月。お前は俺とだけ一緒にいればいいんだよ。それだけで幸せになれる」

 そして気が付いた時には、水奈月の背後に現れていた。

 首に手を回し、ねっとりと、蠱惑的な動きで指が彼女の頬や顎を這う。その仕草はあまりにも悍ましく、不気味だった。

「お前! 頭から離れろ!」

 そこへ菊子(きくこ)が威勢よく飛びかかる。武器ではなく、拳を握りしめて飛び込んだ。

 しかし間髪入れずに蹴りを繰り出され吹き飛ばされてしまう。

「ぐはぁっ!」

 バウンドしながら地面を転がって行く。咄嗟に動いた香紅陽(かぐや)が受け止めたが、それがなければ何処かで木や岩にぶつかるまで止まらなかったかもしれない。

「大丈夫⁉ 菊子ちゃん!」

「ありが、とう香紅陽……。助かった」

 菊子が無事そうなのを確認した奏人(かなと)は、今度は自分がと言わんばかりの勢いで構えた。

「てめぇ何しやがる!」

「何って。ただ妹を迎えにきただけだよ。その他のなんでもない」

 淡々と述べる彼に、例えようのない怒りが込み上げてきた。

 妹を――水奈月を迎えにきただと? こいつは本当に彼女の実兄なのか? ふざけるな。最愛だの幸せにするだの言っておいて。水奈月はただ恐怖しているだけじゃないか。

 あんなに寂しそうな顔で兄の帰りを待っていたというのに。

 普通、生き別れになった兄妹の再会というのは感動できるものなのではないか。なのに何故こうなっている。

「水奈月、さぁ……」

 神有月が水奈月の手を取り、胸元へと引き寄せようとした。水奈月は抵抗することも出来ず、かと言って受け入れられる訳もなく、ただ彼の腕の中へと吸い込まれていった。

 これを見た奏人は限界に達し、ただ感情任せに神有月に斬りかかった。

「水奈月を離せ、下衆野郎が!」

 素早く反応した相手は、妹の背中に回していた手を退け、纏っていた防具でその斬撃を受け止めた。

「まずは煩い屑共を黙らせる方が先だったかな?」

 すると彼は腰の左側に装着しているデッキケースから一枚の札を抜き取る。

「見せてあげよう。堕ちた理の力を!」

 取り出した札はすぐに反対側に装着している捨札へと収納され、同時にそれに封じられていた力が具現化する。

 禍々しい、漆黒の刃を持った刀だった。何処か奏人の持つ『妖刀 修羅道』と似た空気を纏っている。

 先程から少し離れた場所で様子を伺っていた火燐(かりん)がボソリと呟く。

「『妖刀 地獄道』……?」

「御明察。流石だな、須咲火燐」

 そう。彼の持つ刀は『妖刀 六道』の内の一振り。六本の中で最も邪悪とされている呪具だった。それについて彼は奏人に解説を始めた。

「今俺が手にしているのが『地獄道』。そして貴様が使っているのが『修羅道』。『人間道』『畜生道』『餓鬼道』の三本は仄硝子(しょうこ)と塔上初摩(はつま)と鏡白雪へと預けておいた。仄、塔上からは既に回収済み。あとは鏡から回収して、最後の『天道』を見つけるだけ。それで俺は新たな世界を作る、俺と水奈月だけの世界を! そこに貴様らは必要ないんだよ……。だからさぁ、早く死んでくれないかな?」

 刹那、二人の刃が交えられる。

 互いにこのままだと水奈月を巻き込んでしまうと判断したのか、そのまま彼女から遠ざかる。

 重い。それが奏人の感想だった。この細身の何処にこれほどの力があるのか分からない。一方的に押されてしまい、このままでは先にこちらが切られてしまう。

 そう判断した彼は話術で相手の気を逸らそうとした。

「如何してお前は、自分といれば水奈月は必ず幸せになれると、そう断言出来る⁉ 現状を見ろ! あいつはお前に恐怖しかしていないぞ!」

「黙ってろ。貴様に何が分かる。赤の他人で彼女の生い立ちも知らないで。それでいて貴様にあの子が守れるものか! 貴様のような弱者は、誰の役にも立つことなく失せていく運命なんだよ!」

 その叫びは、深く心に突き刺さった。

 奏人はこれまでの自分の歩みを思い返す。家を焼かれ町を焼かれ、家族も友人も救えず、ただ行く宛などなく彷徨っていた。生活費を稼ぐのもやっとで、『プレイヤー』になったものの序列は底辺、十分な報酬も得られない。いくつもの国を渡り歩き、そして出会った。身も心も疲弊しきっていた自分に声を掛けてくれたあの少女に。

 それ以来、気が付けばあの地に根を付けていた。離れたくなかった。何度も彼女がいる店に足を運んだ。名前も教え合い、親しくなった。

 そしてまさか、彼女が仕切るギルドに入れただなんて。夢のようだった。真っ暗な夜道から自分を明かりの元へ招き入れてくれた人の役に立てるかもしれない。そう思うだけで身体が震えた。

 それからまだ日は浅いが、同じ屋根の下で暮らすうちに色々な面を見た。笑い顔や怒り顔や泣き顔。それら全てを愛しく感じていた。気が付けばずっとこのままでいたいと思っていた。

 だから改めて現実を突き付けられてしまい、戸惑う。

 そうだ、所詮は赤の他人。彼女が抱えている、きっと自分のものより深い闇だなんて理解できない。それに自分は弱い。いくら守ってあげようとしたところで逆にこちらが守られてしまう。そんなの辛すぎるではないか。

 分かっている、分かっている!

 だけど。それでも。

 ……俺は――。

「てめぇが黙ってろ!」

 怒鳴り、勢いに任せて相手の刀をはじいた。神有月が少し動揺したところで、その顔面に拳を叩き込む。

「てめぇに言われなくたって、俺自身が一番それを分かってるよ! 俺みたいな底辺が彼女を想ったって、追い付けないこと! それでもな、俺は役に立ちたいんだ。大切な人の笑顔を守るくらいしていたいんだよ! お前には今の水奈月が幸せに見えるのか⁉ ずっと帰りを待っていた兄と再会して、その兄がこんなに狂っちまっていて! そんな奴が作った世界に閉じ込められて笑顔で過ごせるのか⁉ 何が『俺と一緒にいれば幸せになれる』だ。何が『お前を辛い目には逢わせない』だ。お前が勝手に決めるな。本当に彼女のことを想っているなら! あいつ自身に道を選ばせろよ!」

 奏人は何の躊躇いもなく相手の懐へと踏み込んだ。そして、『妖刀 修羅道』を振り抜いた。


「ぉぉぉぉぉぉぉおっっっっっっっっらぁぁぁぁぁあぁああぁぁぁあぁぁぁぁ!!!!!!!」


 途端に『妖刀 修羅道』が光を放つ。赤黒い、血の色のような光を。

その斬撃は神有月の纏う防具に深い亀裂を入れ、直接切っ先を肉体へと押し込んだ。

「ぐうぅぅぅぅああっ!」

 流石にこの一撃は、神有月にとって致命傷になりかねない危険なものだった。

 急いで身を翻し、奏人から離れようとする。

「逃がすかよ!」

「ッ! 貴様ごときに――!」

『修羅道』が、『地獄道』が。互いに相手を殺そうと振われ、交わる。

 それが続けられていた。


 そして、

 この二人の戦いから離れた場所で、華菜はただ蹲っていた。


        ✿✿✿


「うぐっ。ひぐぅ。ええっ。――」

 団栗眼から大粒の涙を零し、冷たくなっていく白雪の胸に顔を埋めていた。

「白雪――。やだよ、死なないで。貴女と一緒じゃないと、私、私……」

 そこからはひたすらに嗚咽を漏らすだけで、言葉など紡げなかった。

 だが気が付くと、誰かに頭を撫でられている。ぎこちなく弱々しいが、とても温かい。

 白雪の手だった。

「ふぇっ。うぇぇ。白、雪。よかった。無事だったんだね」

 その言葉は、何処か逃避のようにも聞こえる。だが本人はそんなこと全く自覚していない。

「お嬢……。泣かないで。僕はここにいますよ……」

 白雪自身も分かっていた。もう自分はここで終わりなのだと。もうこれ以上華菜と一緒にいることなど不可能なのだと。

 だからこそ。後悔のないように。自分の全てを、愛しい主に託すために。

「お嬢。僕のデッキケースに――――が入っています。受け取ってください。貴女に、託します」

「え……。何でそれを白雪が⁉」

「元々これらは、天皇家の宝物の一つです。それが日ノ本全土に、分散して、収められただけ。これはお方様が亡くなる間際に、僕にくださったのです。貴女を、守る、ために」

 辛いだろうに。それでも淡々と語る白雪に、華菜もじっと耳を傾ける。

「お母さまが……。そんなことを」

「はい。でもこれはやはりお嬢が使うべきです。お方様もきっと、いつかお嬢に託すために、一度僕に、渡したんですよ」

 そう言って彼女は華菜に一枚の札を差し出した。全体が金色に輝いている。これはまさしくレジェンドレアの札だ。

 母が、これを? いまいち実感はわかない。だがこれさえあれば茨木氷睡と、否、元部神有月と戦える。仄の、塔上の――白雪の仇が打てる。

 これまで守られてばかりだった。何が総大将だ。ただ鳥籠の中で報告を待っていただけではないか。自分一人では何も出来ない。

 それどころか、仲間がいたって頼ることしか出来ない。

 そんな自分が嫌だった。

 だがそう思うだけで現実は何も変わらなかった。結果がこれだ。みんないなくなってしまう。もう頼れる人なんていない。

 自分が今を変えるのだ。

 そうしなければ何も動かない。

 心に決め、札を手に取る。

「白雪は、ずっと私と一緒にいてくれる?」

 もう叶わないことだと、それは分かっている。別れはすぐそこに訪れているのだと、そんなことは分かっている。

 だが、訊かずにはいられなかった。最後になるかもしれない。だけど、彼女の声が聞きたかった。

 答えは。

「貴女が立派に成長するまで。僕はずっと、お傍にいますよ――」

 それが彼女の最後の言葉だった。

 華菜は小さく頷くと、白雪に、母に託された『妖刀 天道』を具現化させた。

 もう何も怖くない。迷いなんてない。

 これから戦場へ出向く。そして、命を懸けて戦う。

 お願い、皆。見ていて――。


        ✿✿✿


「如何した……。もう終わりか?」

 神有月は両足で地面に立っていた。

「くそ、まだだ。まだ俺はやられちゃいねぇぞ……」

 奏人は片膝を地面に着いていた。

 長く続いた二人の鍔迫り合いは、先に奏人が倒れてしまった。気力を振り絞り立ち向かおうとするが、脚に力が入らない。それに手にも。

 身体中から力が抜けていく。しかしそれとは逆に、戦うほど『妖刀 修羅道』の輝きは増して行っている。

 まるで刀にエネルギーを吸い取られているようだった。

「(このじゃじゃ馬刀が! 素直に力を貸しやがれ!)」

 柄を握り締め、再び攻撃を仕掛けようとする。

 だが思うように動けない。身体が言うことを聞いてくれない。

 ああ、と。奏人は気づいてしまった。水奈月、菊子、火燐。誰もがこの札を見て、口々に忠告してきた。「手放せ」や「『プレイヤー』を辞めろ」などと。その意味が分かった。

 伝説級の代物なので多くの人物が狙っている。その前に手放した方が命の危険はない。そういった意味合いもあったのだろう。

 だが真の意味は。お前に扱える代物ではない、ということだ。

 彼女らのような序列上位者ならば存在は当たり前のように知っていたのだろう。だから、どれだけ危険なものなのかも聞いたことがあったのかもしれない。

 だから忠告してくれたのだ。それを振り切った結果がこのザマだ。

 だがしかし、それを悔やんだりなどしていない。所詮自分は底辺の人間だ。これくらいの力がないと戦い抜けないかもしれない。その力が例えもろ刃の剣であろうとも、耐えて、乗り越えてみせる。

「まだ――終わってねぇぞぉぉぉぉぉ!」

「いいねぇ。だけどさ、いい加減にしてくれないかな。目障りだよ」

 立ち上がり、前へ踏み出し、刀を振り下ろした。

 しかしそれもあっさりと防がれてしまう。

「さぁ。死ぬがいい。俺と水奈月のために」

 そしてカウンター攻撃。

 万事休すと思われたが。

「させない。もう誰もお前に殺させやしない。私が皆を守って見せる。私は、日ノ本の女王になる者だもの!」

 突然二人の間に割って入った華菜が『妖刀 天道』で『地獄道』を受け止めた。

「なっ! 小娘がぁ!」

 その登場に驚くも、すぐに神有月は標的を変えて、華菜に襲い掛かった。

 対極に位置する二振りの『妖刀』が火花を散らす。

 二人の間にはかなりの体格差があるが、彼女はそんなのものともせずに互角の勝負を繰り広げている。

「貴様が持っていたのか! 『妖刀 六道』最後の一振り!」

「違うよ。これは今白雪から託されたもの。そして、お母さまから託されたものなんだ! だからお前には負けやしない!」

 華菜はまさに猛虎の如く雄叫びを上げた。とてもこの童女から発せられたとは思えない、猛々しいものだった。

 それに対し神有月は。

「チィッ。とっとと死ねって言ったよなぁ? 聞こえなかったか?」

「そんなもの聞こえやしない。私が貴方に引導を渡してやる!」

 この短い間で、華菜は別人のようになっていた。目元の大粒の涙の跡が嘘のようだ。

 仲間を失った悲しみを乗り越え、戦うことへの恐怖心を乗り越え、今ここに立っている。その貫録はまさに『白虎大軍 総大将』の名にふさわしいものとなっていた。

「早くそいつを渡せ小娘がぁ!」

「お前には出来ない、いや、させない! 仲間達の想いをこれ以上踏み躙らせはしない!」

 純白の刀と漆黒の刀が打ち付けあわれる。


 加速していく戦いの中。水奈月は兄の豹変ぶりにショックを隠し切れず、地面に腰を下ろしたままピアノ線の切れた人形のように動かなかった。


        ✿✿✿


「おまいさんはこのままでいいのかい?」

 突然声を掛けられた。それがした方へ顔を向けると、そこには悠々とした顔で佇む火燐がいた。

 何処から取り出したのか、金箔の装飾が目立つ高級そうな扇子で自分を仰いでいる。彼女の視線の先では奏人と華菜対神有月の戦いが繰り広げられている。

「おまいさんのために命を投げ打つ覚悟まで決めた小僧と仲間の死を乗り越えた女の子に頼りっきりでいいのか? 兄の過ちを自分自身で正したいとは思わねぇでありんすか?」

 火燐が少し攻めるような口調で言ってくるが、そんなもの頭に入りそうになかった。

 もう何も信じられない。これならばいっそのこと兄の言う通り別の世界へと行った方がいいのでは?

 そこでならばきっと、苦しい思いなんてしなくてすむはずだ――。

「なぁ、さっき小僧が言ってたようにおまいさんの生きる道はおまいさんが決めるべきだ。だけどな、これだけは忠告しときてぇ。――信じるモノの選択だけは絶対間違うなよ?」

 今度は何処か満足気な表情で「にししっ」と笑っている火燐に、水奈月は何かを突き動かされた。

 そうだ。誰かにしかれた道じゃダメなんだ。そんなの自分の人生だなんて言えない。

 ――ウチが見つけなきゃダメだ。もう、きっと、兄さまを止められるのは。

「分かりました。ウチがやって見せます。この命に代えてでも、兄の過ちを正して見せます!」

「そっか。それじゃ行って来い」

 ポンと背中を押される。

前を向いて、狂ったように刀を振り回している兄を見据えた。

「でも一つだけ。子供がそんな簡単に命を投げるようなことを言っちゃいけねぇざんすよ。辛いときは大人を頼れ」

 顔は見えないが、背後では火燐が笑っているのを感じた。

 小さく一度だけ頷くと、水奈月は走り出した。

 兄の過ちの原因は自分だ。ならばそれは自分の過ちでもある。それを償うために。


次回、水奈月と神有月の最終決戦となります。

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