第陸話 大軍進撃
いよいよ『玄武同盟』と『白虎大軍』の戦が開幕。そこに『花色屋』も交えた三つ巴の戦争の決着は如何に?
『白虎大軍』が河菜を落としてから五日が経過した。
その日の朝早く、店番をしていながらも、睡魔に勝てずに転寝をしていた奏人は、入口の扉が開く音で意識を引き戻された。
「いらっしゃいませ!」
咄嗟に顔を上げて接客に向かう。
厨房からコップにお冷を組んで、今来た客が座った席へと運んで行った。
ちなみに現在女子三人は地下の自室にて、『白虎』の進軍に備えて準備をしている。なので今は店内にいるのは奏人と客の二人ということになるのだが――。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
普段通りの態度で接する。だが、相手は明らかに異様だった。
まず目を引くのが、深々と被った市女笠である。それのせいで顔はほとんど見えず、口に引いた紅が辛うじて覗いている程度だ。そして服装。こんな庶民の店に来るようには見えない、高貴な身なりだった。
「(この人何で朝っぱらからこんなところに? それにこの香り、何処かで――)」
そんなことを内心思いながらも、奏人は品書きを手渡す。
すると突然。
「そうねぇ。料理は別にいいわん」
そんなことを言いながら客が立ち上がった。
そして奏人の顎を指先で固定すると、自分の顔に視線を向けるように調整してきた。
「! あんたは!」
そして客の正体を知ってしまった奏人は旋律する。
忘れもしないことだ。二日前の夜。あの遊郭で出会った男が目の前に居た。
「アタクシの注文は、貴方よ」
鬼灯――本名平等院香紅陽は、そう言うと彼を店の外へ連れ出した。
✿✿✿
「ここまで来れば十分かしらね」
連れてこられたのは、以前奏人が修行の場所として使っていた中央街の外れにある林である。
香紅陽は近くにあった木に適当に寄り掛かると、開口一番にこう言った。
「まずは――。先日はどうもごめんなさいね。姐さんが暴走してしまって」
先日の騒動についての謝罪だった。別に彼は直接関係している訳ではないのだが、その場に居合わせていた者としてはあのままにしておくのは少し気が引けたらしい。
「でもね。誤解しないであげて欲しいの、姐さんのこと」
「蓮明さんのことを? 如何いう意味すか?」
訊き返すと、香紅陽は数秒間黙り込んだ後、語った。
「姐さんはね、貴方に自分の旦那の面影を重ねていたのよ」
「旦那? 彼女の?」
「ええ。五年くらい前の話。ある町の土倉の男が行っていた麻薬密輸についての調査を引き受けた二人は、証拠を掴んでその男を追い詰めたのよ。でもそこでそいつが雇っていた『プレイヤー』が現れて、旦那さんは姐さんを庇って死亡。後に姐さんは金になるからと遊郭へ売られたのよ」
蓮明が自分に襲い掛かって来た背景にそんな悲惨な過去があっただなんて、奏人は全く予想していなかった。
「それであの人、俺にあんなことを言ってきたのか……」
「最初は『妖刀 修羅道』を背負わせたくないってことだったみたいだけどねん。あなたの『弱くても誰かの役に立ちたい』って台詞で、感極まっちゃったようだわ。彼も貧しい百姓だったらしいし」
「そうか……」
――? ちょっと待て。今、最初に何と言った?
『妖刀 修羅道』を背負わせたくない? 何の話だ?
確か同じようなことを水奈月や菊子も言っていた。揃いも揃って何なのだ? あの刀が何だというのだ。
「あんた、何か知らないか? 何故皆あの札を俺から引きはがそうとするんだ⁉」
「――。やっぱり。無知だったのね。『妖刀 六道』については」
「『妖刀 六道』? 何度も聞いた名前だが、それが一体何なんだよ!」
香紅陽は如何したものか、と考えた。それについては今ここで自分が語るべきことなのだろうか、と。
だがやはりここはこの少年のためにも、説明するべきであろう、という決断に至った。
「そうね。その札は六枚で一セットの存在なのよ。本来は」
「本来、は?」
こくり、と首を縦に振って。
「そして全てをそろえた『プレイヤー』はこの世をもひっくり返すことが出来るくらいの力を得られると言われているわ」
「こここ、これ。そんなにすげぇ代物だったのか?」
奏人は驚きのあまり、地面にドサッと膝をついてしまった。
「そして現在、ある輩がこれを狙っているわ」
「ある輩? ある輩って誰だよ――!」
奏人は立ち上がって、香紅陽に掴みかかろうとする。
だが、その時だった。
バァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアンン‼‼
雲麻南門の方から轟音が鳴り響いた。
それと同時に、城からは法螺貝や銅鑼が鳴らされるのが聞こえた。
「来たわね!」「来たか!」
二人は全く同じタイミングで呟く。
こうなっては、会話どころではないかもしれない。奏人は今すぐにでも水亀庵に戻りたい気持ちになった。
「悪いがこの続きは、また今度でもいいか?」
「もちろんよ。さあ、行ってきなさい。誰かの役に、立ちたいんでしょう?」
彼はその問いに無言で頷くと、急いで走り去ってしまった。
香紅陽はその後ろ姿を見送ると、懐からあるものを取り出して小さく唇を動かした。
「――のこと、頼んだわよ」
そう言って彼は、手に持ったそれを見つめる。デッキケースである。それは彼が『プレイヤー』であることを物語っていた。
誰かの名前を口にした後、彼もこの場を離れた。
✿✿✿
「奏人くん! お店すっぽかして何処に行っていたんですか! 現在どれだけ大変な状況になっているか分かっているんですか⁉」
店に着いたやいなや、最初に水奈月の怒鳴り声が聞こえた。
「すまない! ちょっと顔見知りの奴が客として来たもんんで、ちょっと外で話し込んでた!」
とりあえず事情を話し、厨房に入る。するとそこには水奈月、菊子、ジラの三人がいつ出陣でも大丈夫なように準備を整えていた。
そこへ奏人も急いで駆け寄る。
「いいです? 今回はここを使います」
調理台に広げられた雲麻と、その近辺の地図。
水奈月は中央街と裏街を隔てている水路を指した。
「頭? 水路を使うって、水攻めでもするつもり? そんなことが上手くいくわけ――」
菊子が首を傾げると、水奈月は「いいえ」と否定した。
「これで攻めるんじゃなくて、ここから攻めるのよ」
「――。頭、まさかとは思うけど、水の中を流れていく気かい?」
今度は水奈月は首を縦に振った。
その作戦に、一同は唖然とする。別に手段としては変わっているものではない。だが、多くの敵が入り込んできている今、水中というのはかなり危険な所である。
逃げようにも、咄嗟に動くことが出来ないし、仮に逃げて陸に上がっても衣服が水を吸ってしまっていては機動力が落ちる。
危険な賭けでもある作戦だった。
「大丈夫なのか、それで?」
「はい。ウチの狙いは別に雲麻に入りこんで来た連中を倒すことじゃあないもの」
「? じゃあ何をするつもりだたですか?」
ジラの質問にも、彼女は淡々と答えていく。
「この水路を通って河菜へと侵入する。そして『白虎大軍』の本陣にいる大将を一気に叩く。それがウチの狙いよ」
「大将をって、そんなに上手くいくものなのか? それに、この国の方は如何するんだよ? 俺達がいなくなったら――」
続いて奏人も質問攻めする。
だがそれもすぐに返された。
「向こうの頭を叩けるかどうかは分からないけれど、賭けてみるしかないわ。それに国のほうは――。きっと『トルーパー』が如何にかしてくれるでしょう」
『トルーパー』とは、役会直属の兵士である。主な役割は自国の防衛や、重要役人の護衛など。基本的な性質は『プレイヤー』と変わりはないのだが、特徴としては一枚の花札で頭、胸、脚の三種の防具と武器という、四枚の花札と同じ性能のものを扱う。まあ、どれもスペックは低いのだが。
「早くしないと、こちらまでに火の手が回ってしまうわ。急いで出発するわよ!」
そう言うと水奈月は真っ先に裏口の扉を開けて出て行ってしまった。菊子、奏人、ジラの順でその後を追う。
幸いにして、彼らが過ごしている区域にはまだ『白虎』の連中は来ていなかった。だが、住人達はパニックに陥ってしまっており町中で人々が叫び声を上げている。
そんな人間の壁を押しのけて、四人は中央街と裏街の境目へとやって来た。目の前には幅の広い川がある。ここに飛び込むつもりなのだろうか。
「皆! ここで一度透遁系の技札を使って! それだけで敵に見つかる心配は減るから!」
水奈月の指示に従い、三人は一斉に右の腰に装着しているケースへ術の札を装填した。そうすると、各々の姿は見えなくなってしまう。四人全員が透明人間状態となり、視認不可となる。
その直後、川の水が一ヶ所飛沫を上げた。如何やら水奈月が飛び込んだようである。続いて三つの水飛沫が上がる。
この状態ではお互いの姿も見えなくなるのが難点だが、何とか全員川を下ることに成功し、雲麻と河菜の関所を超えた。
✿✿✿
「全員無事⁉」
川から上がった水奈月は振り返ってそう問いかけた。既に透遁術は溶けており、ちゃんと目視出来るようになっている。
川辺には、全員の姿が確認出来た。だが、流されるままに移動してきただけのはずなのに、息が上がっている。
「マジでビビった……。何なんだよさっきのは……」
「もう駄目かと思ったぁ。よかったよ、何事もなく通過出来て」
奏人と菊子が肩を大きく上下させ、息を整えている。
そう、一体何が起きたかと言うと。
川下りの最中の彼らの元へ、『白虎大軍』の兵士と思われる人物が落ちてきたのである。おそらくは競り合いに負けたのだろう。
だがまだ息はあったので、あと一歩の所で見つかってしまう可能性があった。相手に見られることはないと分かっていても、あんな体験は心臓に悪すぎた。
唯一普段と表情を変えていないのはジラだけである。
「大丈夫だよ。ワタシ達みんな強いだから。あんな所じゃ負けないよ」
うんうんと首を縦に何度も振っている彼女を見て、三人は溜息が出た。
別に呆れている訳ではない。むしろ逆だ。感心している。こんな状況下に置かれていても焦ったり慌てたりすることがないと言うのは、かなり重要だ。
何かが起きてもパニックになることなく、冷静な判断を下すことが出来る。それは素晴らしい能力だ。
「ここからは戦場に入るからね。皆戦着になって! 一気に突入しますよ!」
水奈月が声を張り上げた。そして四人は一斉に『花札』の入ったデッキケースを取り出し、胸の前に掲げた。
「「「「札力解放‼‼ 装甲装着‼‼」」」」
全員の声が重なり、それぞれが準備してきた最高の組み合わせでの武具を身に纏う。
誰もがそれなりの貫録を持っており、向かうところ敵なしのようにも思える。
まず水奈月の格好は、装甲事態は薄い。普段の和服姿とほとんど変わりない。胸や腰回りに小さな鎧があるくらいだろうか。だがこれは戦闘時の身体の軽量化を量ってのことであり、これのお蔭で小回りも効き、素早い動きを繰り出すことも可能なのだ。武器は短めの棒である。ちょうど、ひっくり返して持った折り畳み傘のような形状をしている。彼女の主力武器『亀甲防陣杖』だ。相手や状況に応じて複数の形態に変えることの出来るオールマイティーな武器だった。
菊子は中華風の鎧をベースに着ている。外観はチャイナドレスなのだが、急所や身体の関節近くにはそれを覆う金属板を当てている。武器は長い柄の先に刃のついた斧状のもの。薙刀に近いだろうか。先日奏人が見た時よりも、全体的にパワーアップしているような印象があるのだが、今回のものが彼女の十八番なのであり、前回は力を抑えたものを使用していたのだ。
ジラは軽装な二人と対照的に、かなりの防具を着こんでいた。金髪に白い肌の彼女に不釣り合いな黒漆の和甲冑だ。武器として所持しているのは火縄銃と短筒である。火縄銃の方は背中にかけており、短筒は右手に握りしめている。西洋人の彼女ならではなのだろうか、完璧な日ノ本の武士の姿をしていた。
そして奏人は。彼の持っている札はどれも低級なため、他の三人と比べるとこれと言った特徴がない。形状的にはジラの和甲冑と似ているのだが、やはり印象に掛けてしまう。唯一目を引くものと言えば、やはり『妖刀 修羅道』と呼ばれる刀であろう。地味な他の武具に比べて、明らかに禍々しく異彩を放っている。
「全員、突っ込む覚悟は大丈夫ですか?」
水奈月が問い掛ける。三人はそれに対し一斉に、無言のまま頷いた。水奈月が見つめる先には、数多くの旗が並んでいる。そこに間違いなく『白虎大軍』の本陣がある。
「いざ、出陣!」
彼女の掛け声を合図に、四人は一斉に走り出した。相手の大将さえ叩けばこの戦を終わらせ、これ以上被害に遭う人を出さなくて済む。
そう信じて。
✿✿✿
奏人を送り出した香紅陽は、花色屋へと戻ってきた。この店がある雲麻裏街は治安が悪く犯罪者も多く蔓延っている。こういった地域は国盗りの際にも手を出されずに放置されることが多いので、ここは安全なのだ。
店の客用の玄関から上がり、自室へと向かっている最中。香紅陽――ここでは鬼灯――は人集りに出くわした。
「ちょっとちょっとぉ。何があったのよ」
「そ、それが鬼灯さま……」
誰かの禿であろう、まだ十歳ほどの少女が教えてくれた。
「それが蓮明さまが、またお客様に手を出してしまわれたようでして。それの後始末で大変なんですよ」
それを聞いた彼は、嫌な予感しかしなかった。
手を出した、だと? 別に貞操なんてものは関係ないだろう。そもそもここはそういう店だ。むしろそういった行為がメインなのである。
つまり手を出した、ということは――。
「ちょ、ちょっと皆。ごめんなさい通して頂戴」
集っている野次馬の少女達を掻き分けて、姐の部屋へと入る。そこがどんな光景になっていたかと言うと……。
血祭だった。畳も壁も、さらには天井までもが赤く染まっている。部屋の中央に転がっているのは、如何見ても死体である。そう、屍。
何人かの遊女達が血の付着した壁紙を剥がし、新しいものを張り付けるという作業を行っている。
そしてこの部屋の主は、自ら畳を入れ替えていた。
「おお、鬼灯。如何かしたでありんすか?」
こちらに気づいた蓮明は一度作業を休め、歩み寄ってくる。
彼女の手は血で赤黒く染まっており、白い肌を穢している。
「姐さん、あんたついこの間店から締め出されたのを忘れたの? しかも今回は殺しだなんて……。楼主さまに言い訳なんて出来ないわよぉ?」
鬼灯は呆れきっていた。もうここまでくると彼女は何かの病気なのではないだろうか、などと勘ぐってしまう。
ここまで頻繁に自分の客に手を掛けている遊女など全国何処を探しても見つかりはしないだろう。
だが蓮明は笑いながら先程の言葉を否定した。
「別に大丈夫でありんすよ。さっき騒ぎを聞きつけたおっかさんもここへ来やしたがそれなら構わないと申しおったざんすから」
――は? それはつまり如何いうことだ? 殺人を犯したにも拘わらず楼主からの許しが出たと言うのか?
「よく見るでありんすよ、この男」
蓮明は親指を立てて、肩越しに転がっている死体を指した。
鬼灯は言われるがままにそちらへ向かう。しゃがんで男の身に纏っているものを見た瞬間、合点が行った。
「成程。それで殺した訳ねん。納得したわ」
そう。男の衣服にはある文様が入っていた。『白虎大軍』のメンバーであることを示すマークである。
「つまりこの男は『白虎大軍』からの伝令者だ。おまいさんももう知ってるでありんしょ? 雲麻に連中が攻め入ってきていることは」
「ええ。さっき、『玄武同盟』の子を送り出してきたところよ」
「『玄武同盟』って、ウチの国唯一のギルドだっちゅうあそこか? あんな弱小ギルドに何が出来るかだが」
それに対して鬼灯は「フフ……」と笑みを漏らした。
「アタクシが送り出してきたのはこの間姐さんがボロクソに甚振ってた子よ」
「ハァ⁉ あの小僧結局アチシの忠告を聞き入れんかったんかいな」
「ええ。でも大丈夫よ。彼は強い。全国序列第一位の女の攻撃を食らっても屈しなかったほどだもの。それに、あのギルドにはあの娘もいるみたいだし。きっと大丈夫よ」
蓮明は顎に指を添えて俯いた。真剣な表情で何か想いに耽っている。
しかし数秒と待たずに、その思考は終了したようだった。
「鬼灯、行くでありんすよ」
「それで? どっちに着くわけ?」
「雲麻に味方するわいな」
「ふぅん。そう言えば以前も『白虎大軍』の奴が来ていなかったかした? それで契約金だので取引したんじゃぁ……」
不安そうに言葉を紡ぐ鬼灯だが、蓮明はそんなことはお構いなしだ。
「いつもいつもアチシらが金で動くと思ったら大間違いでありんすよ。遊女は情が深いってところを、連中に見せてやる」
彼女はそう言いながら準備をする。デッキケースを持ち出して懐にしまった。鬼灯の方は既にそれを持ち歩いていたのでその必要はなく、そのまま彼女について行く。
「おまいさんらも付いて来い! 今日は踊るぞ、宴だ! 思う存分暴れんさいな!」
廊下を下りながら、そう威勢よく叫んだ。
……のはよかったものの。
「ちょっとちょっと、お姐様⁉ まだ部屋の掃除が済んでいませんよ⁉」
彼女らが話し込んでいる間、部屋の掃除を仕切っていた悟里が声を張り上げた。可哀想に、彼女は今転がっている死体を大きめの麻袋に詰めている。
ここ雲麻裏街は何度も言っている通り破落戸の溜まり場なので、犯罪者を捕らえておく拘置所も設置されている。そこでは処罰された罪人を処理したりする場もあるので、これからこの死体をそこへ送ろうとしていたのだ。
悟里は袋の口を縛ると、先に行ってしまった太夫達を追いかけた。するとそれに便乗してか、同じように部屋の掃除をしていた娘等も付いて行ってしまった。
こうして花色屋の娘達も、雲麻・『玄武同盟』と『白虎大軍』の戦へと身を投じていったのだった。
✿✿✿
雲麻南門。進軍する『白虎大軍』の兵の中に居た仄硝子と塔上初摩は今の状況に疑問を覚えていた。
「(何故だ……。いつになっても雇い部隊が合流してくる気配がない。まさか、やはり茨木の奴……!)」
如何してもあの胡散臭い幹部の一人の顔が頭を過ってしまう。特に理由なんてないはずなのに、奴が――茨木氷睡のことを、二人とも好きにはなれなかった。腹に一物抱えているのは見れば分かるし、何よりそんな怪しげな奴を華菜に近づけたくなかった。
「そいやぁぁぁ! おい、仄。まだ連絡は入らんのけぇ⁉」
塔上の叫びに、仄も頷くしかなかった。
これでは二人とも唸るしかない。やはりそうなのか。自分達はあのいけ好かない軍師に一杯食わされたのだろうか。
「くっそ、あの優男! お嬢に手を出したら承知せんからな!」
その瞬間だった。今度は東の方から、「バァァァァァン!」という音がした。先程自分達が鳴らしたものと同じ。つまりは門を開け放つ音だ。
「! まさか、茨木の軍もこちらへ攻め入って来たのか?」
仄が感嘆の声を上げた。
期待なんてしていなかった。ずっと疑っていた。だが、やっぱり志は同じだったのだ。華菜を、かつて日ノ本全てを支配していたとされる一族の末裔を、再びこの国の頂点へと祭る。それが『白虎乃國』の悲願だ。
彼も、ついに動いてくれたのか。
「よし! 私達も負けてはいられない! 手柄を立ててお嬢を喜ばせるんだ! いくぞ、塔上!」
「おうよ! お嬢に褒めてもらえるんじゃったら、儂ぁ何千時間だって働くぞい!」
二人は武器を掲げて、さらに進軍して行った。
✿✿✿
『白虎大軍』本陣。総大将の百庫華菜と副将の鏡白雪は朝からずっとこの場で構えていた。
いつ、何が起こるかなんてことは分からない。鏡は、いざとなったら主に全てを捧げるつもりだ。自分は彼女を護るために生きている。そう信じていた。
「(何か変だ……。普段なら、そろそろ進軍状況なんかを知らせに来る時間だ。なのに、何故? 今日は一向に伝令係がやってこない。仄、塔上。君達は何をしているんだ⁉)」
鏡は苛々を募らせていっている。早くこの戦を終わらせてしまいたいのに。
幼い頃から華菜と一緒に生活をしてきていたため、知っていた。彼女が争いごとを好まないことを。誰かを傷つけることを心から嫌う、優しい娘だということを。
だから、本当は。こんな戦していたくない。どうしてこんなことになってしまったのだ――。
「白雪。大丈夫?」
顔に力が入っていたので、眉間にしわが寄ったり唇を知らず知らずの内に噛んでいたりとかなり怖い顔になってしまっていたらしかった。
そんな自分を心配して主が声を掛けてくれた。このギルドの他のメンバーだったら発狂してしまっているほどだろう。
だが鏡は唯一、彼女を信仰心などではなく、純粋な一人の少女として見ている。だから同じ目線に立っての返事が出来た。
「うん。大丈夫だよ。ごめんねお嬢、心配かけちゃって」
しゃがんで、華菜と目線を合わせて。強張っていた顔も綻ばせて。出来るだけ笑顔を作って、そう言った。
よく見ると、華菜の瞳は少し潤んでいた。僅かながらも、彼女の心に恐怖心を植え付けてしまっていたらしい。それが申し訳なくなり、如何にかしてあやそうと思い、頭を撫でてあげる。
すると愛おしい主は、少し恥ずかしそうにしながらも笑顔を浮かべた。
「白雪の手は、やっぱりあったかいね。安心する……」
頬を赤らめる華菜の表情は、まんま童女のそれだった。
気が付けば全国最大規模のギルドの頂点に座し、先祖の栄光を取り戻すために奔放している少女。そんな彼女だが、やはり何よりも求めているものは他者の温もりなのだ。それが得られなくなったとき、本当に壊れてしまうかもしれない。だから――。
「(お嬢が心身ともに成長しきれるその日まで。僕が傍に居る)」
きっとそれが、自分の幸せでもあるから。
本音を言えば、こんなギルドは必要なかった。二人で歩めるのならば、どんな場所だって構わない。何処まででも行ける、そんな気がする。
主の頭から手を避けて、彼女を撫でる行為を中断した。華菜は「もっと……」とでも言いたそうにとろんとした目つきで見てくる。
今が戦の最中でなければいいのに。ただの平凡な日常の一角だったらいいのに。
さっきからずっとそんなことを考えてたら、涙が溢れ出てきた。それが自分の頬を伝い、流れ、主の額へ落ちた。
「? 白雪、如何かしたの?」
彼女の問いかけに、必死で首を振る。「何でもないよ」と何度も繰り返した。
早く、早く。この戦を終わらせて。争いなんて、するものじゃない――。
✿✿✿
『玄武同盟』の四人は、焼野原となっている河菜を駆けていた。道の脇を見るとまだ戦の後処理を済ませていないのか、その辺に死体が転がっていたりしていた。それを目に入れた奏人は何かを必死に振りほどくように頭を振っている。その隣では菊子が申し訳なさそうに視線を下へ向ける。
二人の事情を知っている水奈月は敢えて何も言わなかったが、内心は気になっていて仕方がない。
そんな風に胸の内に様々な思いを巡らせていた所為か、気づくのが遅れてしまった。
「皆、止まて!」
真っ先にジラが反応し、三人に制止した。
その言葉に従い、全員が歩を止める。
見渡す限り、辺りは元田園だ。隠れられそうな場所は何処にもない。奏人は一瞬ジラの勘違いなのではないか、と思って彼女へ問いかけようとするが、その表情を見た瞬間悟った。何一つ間違いではない。この辺には何かいる。言葉にはしていないものの、そう顔が語っていた。
周囲への警戒を続けている――。すると、菊子が叫び声を上げた。
「来た‼」
それと同時に、彼らがいる場所の地面がめくれ上がった。そこは土で作った田園の中の道ではなく、敵の罠の中だったのだ。所々に穴が空いていて、その中は人間が一人入れるくらいのスペースになっている。穴の上に土色のマットを被せてしまえばもうお終いだ。簡単に人の目は欺ける。
穴の中から出て来たのは、『白虎大軍』の下っ端――足軽兵である。見た限り二十人はいるだろうか。だが全員が弓を構えており、凶暴な目つきで四人を見つめている。一瞬で仕留めるために、喉元を狙っている。
水奈月はこの状況を打破すべく、仲間達へ命令を下した。
「円陣を組みなさい! 互いの背を護り合うの。そうして……必ずここを切り抜ける!」
その言葉に従い、『玄武同盟』は円陣の形をとる。そしてそれぞれ自分の目の前にいる敵へ武器を向けた。
しばらくの間二つの軍勢の睨み合いが続く。
そして、先に『白虎大軍』が動いた。
「者共! 放てぇぇぇぇぇぇぇ!」
この部隊の隊長らしき人物が右手を挙げた。それを合図として、一斉に矢が放たれる。ビィィン! と元が撓る音が何重にもなって響き、まるで琴の演奏のようだ。
何本もの矢が襲い掛かってくる。その光景に奏人は慌てふためくが、他の三人は案外冷静な態度でいる。この程度は何でもないと言うように。
もう矢の大軍はすぐそこへ来ている。
そこで初めて、まずは菊子が動いた。
「セイッ、ヤッ、ハッ!」
薙刀を振り回し、先端の出刃で薙ぎ払う。一瞬のうちに矢はただの棒切れになり、その辺へぱらぱらと無造作に落ちる。
相手が呆気にとられている間。続いてジラが動いた。彼女の持っている短筒が敵へ向けて火を噴いた。
ダァン! という轟音と共に、敵兵が一人、先程まで潜っていた穴の中へ崩れ落ちた。さらに二、三度音がして、その回数と同じだけの兵が穴へ落ちてゆく。
ジラはまさに百発百中の狙撃主だった。
「命が惜しかたら降伏しろー!」
脅し文句なのだが、全然怖くない。彼女の舌足らずな、片言の発音のせいだろう。
だが、目の前で仲間が何人も撃たれ倒れていく様は恐怖そのもので、『白虎大軍』の下っ端兵達は自ら穴に潜る者が何人も出て来た。
だが、威嚇のためになのか、それとも純粋に引き金を引く指を止められないのか、ジラはその後も何発も空砲を鳴らしていた(後者ならば怖すぎるのだが)。
そしてもう少しで田園地帯を抜ける、そんな時だった。
四人の背後から風切り音がする。それに反応した時には、もう遅かった。
「きゃぁっ!」
悲鳴を上げてジラが倒れ込む。彼女の足の鎧は、全面はほとんど隙間がないくらいに装着されているのだが、裏面のガードは薄かった。右の脹脛に深々と矢が刺さっている。
振り返るとただ一人、穴の外へ上半身だけを出して弓を射っている男がいた。彼がジラを攻撃したのだろう。
「やてくれるわね!」
逆上した彼女は、背負っていた火縄銃を下ろした。そして素早い動きで弾込め、着火を済ませる。
地面に臥せているので体制的には安定しているようだが、足の痛みがあるせいで身体が小刻み振えてしまっている。そのため上手く構えられず焦点が合わせられない。
額に脂汗を滲ませながら銃身をしっかり支えようとする。一方敵も新たに矢を弓へセットした。先に打った方が勝ちとなる勝負だ。
だが現在こんな勝負をする必要は何処にもない。無意味な戦闘は避け、早く先へ進むべきだ。
にも拘わらず、傷を負わされたことで頭に来ているのかそんなことはお構いなしにジラは目に殺気を宿らせて火縄銃を構えている。
そしてついに、見かねた水奈月が先に行動に出た。
敵兵からは死角になるような方向へ回り込み、突如背後へ立ったかと思うと、その後頭部に思いっきり肘鉄を食らわせた。
ぐあっ、とか細い声と共に敵兵はその場に崩れた。
「ジラ! 大丈夫?」
すると彼女はすぐに足を負傷した仲間へと駆け寄ってくる。
「うん。このくらい平気だよ……」
ジラはそう言っているが、無理をしているのが丸わかりだ。脹脛から流れ出る血液はなかなか止まらず、周囲の土に染みていっている。
「なあ、ひとまずここから移動しましょうよ。こんな見通しのいいところじゃまたすぐに狙われてしまう。もっと人目に付きにくい場所に行こう」
まだ敵兵達が残っている田園を警戒しながら、菊子がそう提案した。
確かに、こんな場所にいつまでも留まっていてはいつかは発見されてしまうだろう。その前位に、こちらが手負いを一人抱えているのをいいことに、ジラの空砲にビビって穴に潜っていた連中が再び顔を出すことだって考えられるのだ。
全員が菊子の言葉に賛成した。
ジラは足に傷を負っているため歩けるような状態ではない。なので彼女は奏人が負ぶって移動することになった。
しばらく歩いた先にあった茂みの中で彼女の応急手当を行った。奏人はゆっくりと彼女の体を地面に降ろす。
「はぁ……。重かった……」
「チョット! それ女の子には禁句だよ!」
「仕方ねぇだろ! 流石に甲冑なんか着こんでると男女関係なしに運ぶのキツイわ!」
「貴方達、静かにして!」
ちょっとした口論になった二人を、水奈月が制止する。
「ここは敵が占拠している国の中ですよ? 何処に居たって襲われる危険性はあるんです。そこを考えてください!」
二人は俯きながら「ごめんなさい」と一言謝罪を述べた。
「まずは矢を抜かないと……。少し痛いけれど我慢して」
そう言うが否や、彼女はすぐにジラの脹脛に深く入ってしまっている鏃を抜こうとする。だがあまり力任せにやってしまうと余計な傷を負わせてしまいかねない。慎重に、その棒を引いていく。
「うぐっ、ぁっ――。ひぐぁ――」
痛みに耐えかねて、ジラの方も声を漏らしてしまう。水奈月も真剣な症状で手当てを行おうとする。
だが無茶せずに矢を抜くことは不可能だと判断したのか、水奈月はジラの口元へ、その辺に落ちていた木片を出した。その意味を理解したのか、彼女はそれに噛みついた。
「ジラっ、ごめん!」
刹那、血飛沫が上がった。当人は必死で痛みに耐えようと、木片にがっつり噛みついている。それもミシミシと音を立てており、彼女がいかに堪えているかが分かる。
「菊子、お願い!」
矢をその辺に捨てた水奈月は一瞬で後ろへ下がる。それと交代で菊子が手当てを引き継いだ。
こんな事態に備えていたのか、いつのまにか準備していた消毒液を湿らせた脱脂綿を持っている。
「沁みるよ」
その一言だけを告げると、脱脂綿を傷口に押し付ける。そしてその作業が終わると、急いで上に包帯を巻いた。簡単に解けてしまわぬよう、傷の左右から交互にクロスするように巻く。
「大丈夫? きつくない?」
そう菊子が問い掛けるが、木片を噛み続けているジラは声を出さず、首を縦に振ることによって応答した。
包帯が巻き終わり、彼女の応急処置が終了した。
「これでひとまずは安心ですかね」
そうは言ったものの、ギルドのリーダーとして安心などしてはいない。本音を言えばここで彼女に家に帰ってもらいたかった。その方がこんな戦場にいるよりも遥に安全だ。
だが、『家に帰す』というのもかなり無茶な話である。
一つ、このように足に傷を負っていてまともに歩ける訳がない。
二つ、このままこの国の中を彷徨っていては、いつかは襲われ殺されてしまうだろう。
それを考えたら一番いいのは、この場で身を隠していてもらうことだ。それがきっと、彼女のために出来る最善の策だろう。
「ジラ。悪いけれど、貴女はもうリタイアだわ。ここに隠れていて」
「いいや! そんなことないよ! まだ戦えるて!」
ジラがそう反論する。だが途端に顔をしかめて足を気にし始めた。やはり動けるような状態ではない。
「……。そんな身体で戦うなんて言っても無理よ。むしろ足手纏いです。ここに残って」
そんな冷淡な言葉を吐いた水奈月を、奏人は睨めた。流石にそんな言い方しなくてもいいじゃないか。こんな傷を負ってまでなお、仲間のために行動をしようとしている健気な少女を――。
だがすぐにそんな考えは消え失せた。水奈月は今の言葉を何も感じないで言っていた訳ではない。彼女だって、苦しいに決まっていた。相貌に涙を溜めながら絞り出すように吐いたのだ。
そうだ。仲間を切り捨てることがそんな簡単なことなものか。ましてや、赤の他人ですら困っていたら手を差し伸べてしまうような女の子なのに。
「お願いだからここにいて――。ウチ、貴女に死んでほしくなんかないもの……」
そしてついにダムが決壊し涙が溢れ出る。それと同時に本音も。
その表情を見たジラは臆して反論する気も失せてしまう。
その場に、しばしの間沈黙が流れる。そしてやがてジラがおずおずと口を開いた。
「分かった。待ってる。――そっちも気つけて。死なないで」
か細い声だった。先程までの傷の痛みに耐えようとする時とは違う。もっともっと、苦しそうな声だった。
俯いて、彼女まで泣き出してしまう。辺りには暗い空気ばかりが流れてしまう。――戦の最中に明るい空気を求めるなんてこともズレているとは思うが。
次に言葉を発したのは菊子だった。彼女はジラの肩に手をポンと乗せ、慰めるような姿勢になる。
「大丈夫。あたし達みんな、ちゃあんと帰って来るよ。それまで待っていて」
それに合わせて水奈月も奏人も頷く。
「もう誰一人。ここには欠けてもいい人なんていないんだから」
改めてここで絆の大切さを確かめ合う。菊子の発言に全員が同意した。
これ以上、言葉は必要ないだろう。ジラは茂みの中に蹲り、三人を見送った。
「みんな――。無事でいて――」
彼女は痛む足を擦りながら何度も何度もそう繰り返した。だがそれが一瞬、途切れた。
足音がしたのだ。近い。すぐそこに誰かがいる。
ジラは息を殺しながら腰に備え付けてある短筒を抜いた。もしも襲って来ようものならば、これで仕留めてやる。そう考えていた。
ガサ……ガササガサ……。
草を掻き分ける音がする。それはどんどん近づいてくるように感じた。
もしかして相手は、自分がこの場所に蹲っていることを知っているのではないだろうか? そんな思考も頭を過る。
「(不味いよ、見つかたら。この脚じゃ逃げることも出来ない。先手を取らなきゃ)」
すると草の分け目に、キラリと光るものを見つけた。間違いない。あれは刃物の光だ。そして相手はほぼ確実に敵兵だ。
このままでは見つかって殺されてしまう。その前に相手を倒さなければならない。
思い切って、誰かいると感じた方へ銃の先を向け、震える指で引き金を引いた。
銃声が鳴り響く。だがこの距離で銃弾を避けられる人間などいるまい。「勝った」とそう思い込んでしまった。
カィン!
最初はそれが何の音かなんて分からなかった。だが自分の目の前に弾が落ちてきて、上を見上げた瞬間理解してしまった。
相手は銃弾をうっすらと見えていたあの刃物ではじいたのだ。
目の前には細身の、だが背の高いシルエットがあった。他にも体格はバラバラだがいくらかの人影が集まって来ている。
「(ごめんみんな。ここまでだったみたい……)」
刹那。辺りに鮮血が舞った。
この物語もいよいよ佳境に入ってまいりました。勢いに乗って最後までご覧あれ!