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第伍話 商女帰還

傷を癒し、水亀庵へと戻った奏人。彼はそこで「玄武同盟」のもう一人のメンバー、ジラと出会う。彼女との会話の中で改めて自分の生き方を考える奏人だったが……。

 奏人(かなと)は四畳ほどの小さな部屋で目を醒ました。真っ先に香の匂いが鼻を衝く。

 そういえば、昨夜自分は如何したのだったか――。確か森で『白虎大軍』の連中に襲撃され逃げてきて、裏街に入り込んでしまいそこの遊郭で命を救われ、と思ったら途端にその命の恩人に殺されそうになって、戦って気を失って――。

 そうだ。昨日は水亀庵に帰れていない。気を失ってそのままだ。ならばここは……。

「お目覚めですか?」

 頭の上から声が聞こえた。視線をそちらへ移動すると、そこには年若い女性が居た。そして奏人は、彼女に覚えがある。

「ああ、おはよう。サトリさん、だっけか?」

「はい! 悟里(さとり)です。覚えていてくださったんですね!」

「そりゃあんな目に合ったんだ。嫌でも昨日のことは忘れねぇよ」

 そうですね、と言って彼女はクスクス笑った。

自分より年上だと思うのだが、全体的に仕草が子供っぽいな、と奏人は考える。

 すると。

「あ、今私のこと子供っぽいって思いましたね⁉」

「いや⁉ そんなこと何も思ってねぇぞ?」

 図星だったのだが咄嗟に言い訳をする。だが彼女は頬を膨らませながらこちらの眼を覗きこんで来た。

 顔が近い。もっと恥じらいなどを覚えられないものだろうか。まあ、遊女にそんなことを求めても意味がないのかもしれないが。

「別に構いませんけどね。幼さが私のウリですし」

 そう言ってすぐに顔を話したので特に反応するものはなかった。

 身体を起して今自分がいる部屋を見渡した。改めて確認してみると、本当に狭い。昨日最初に運び込まれた部屋とは大違いだった。飾り付けも、派手さは何処にも見当たらず、最低限と思われる生活用品が置かれている程度だ。

 これが遊女の世界にある『格』というものなのだろうか。格上の者は部屋も豪華絢爛としているのだろう。逆に彼女のように格下の者ではこのような部屋が普通なのだろうか。

「ごめんなさい。私、ここでは最下位の遊女なので。狭い部屋だけど勘弁してください」

「いや。こうして泊めてくれただけでも有難い。けれどこの世界も大変なんだな。格がどうの序列がどうのって」

「ええ。私は『呼び出し』って言って基本的に客寄せや簡単なお相手をするだけですわ。男性に御勤めするのは『太夫』や『散茶』のお姐様方よ」

「そうか。じゃあ、あの……昨日の。蓮明(れんめい)さんは?」

 奏人は恐る恐る尋ねた。本当は自分を殺そうとした相手の名を呼ぶなんてことしたくないのだが、昨日の彼女の態度は色々と裏がありそうだし、それに最初は自分にやたら色目を使っていたし。かなり上位の者であるということは簡単に見受けられる。

「姐さんは太夫ですよ。まあ、この店のナンバーワンですね。多分蓮明姐さんがこの店を去った途端にどんどんここ衰退してくと思いますよ」

 その感情に気が付いているのかいないのか。悟里は淡々と答えた。

「ここ『花色屋』は位としては、『太夫』『散茶』『座敷持ち』『呼び出し』の四段階でしってね。私は一番下。ちなみに『太夫』の地位にいらっしゃるのは蓮明姐さんと鬼灯(おにび)さまのお二人だけでしょうかね」

 別に頼んだわけではないのだが、すらすらと応えられてしまった。基本的に誰かとおしゃべりをしていないと落ち着かったりするのだろう。

 悟里は話しながら何か色々と作業を始めた。部屋の隅にある戸棚から茶器を出して、急須でお湯を沸かしている。

「そうだ。何か食べます? ここ結構豪華な料理が出ますよ?」

 作業を一旦中断して、奏人の方に向き直ってそう訊いてきた。

 そう問われた途端、彼のお腹も小さく音を立てた。そういえば少し小腹が空いている。というより体が何か栄養を求めているのだろう。流石に昨日は血を流し過ぎたし、精神力も使いすぎた。

「そうだな。何か軽いものでも。メニューとかはないのか?」

「はい。お品書きはこちらになりまぁす」

 悟利は何処かからか頼まれたものを取り出し、笑顔で渡してくれた。

 開いてみると、彼女の言う通り。豪華な並びとなっていた。惣菜から定食まで。さらには飲料やデザートまで多種多様である。

 奏人は適当にページをパラパラと捲って気になるものを探していく。

「じゃあ。この梅茶漬けでももらおうかな」

「了解しました」

 すると悟里は一度部屋の外へ出た。襖の向こう側から「チリンチリン」と鈴を鳴らす音が聞こえてくる。

 間もなく何か会話が聞こえ、それが終了すると彼女は部屋に戻ってきた。

「注文しましたわ。少しすれば届くかと」そう告げると再び奥へ行き、急須から茶器へ今淹れたばかりの茶を注ぐ。「こちらは持て成しです。どうぞお飲みください」そしてそれを手渡してくれた。

 奏人も一言「ありがとう」とお礼を言って、口をつける。温かくてほろ苦くて美味しかった。

 悟里自身ももう一つ取り出した茶器に注いで飲んでいる。

 落ち着いた雰囲気にいた、そんな時だった。

 彼女が急に真面目な顔になって問いかけてきたのだ。

「あなた、この後如何するんですか? やっぱり――自分のギルドに帰られるんですか?」

 それに対して奏人は咄嗟に応えられず、二人の間には少しの沈黙が流れた。

 ちょっとだけ考えてから、返答をする。

「ああ。出来ればそうしたい。だけど如何しても解せないんだよ。昨日の蓮明さんの言葉が。何でおれに突然「『プレイヤー』をやめろ」なんて言い出したんだ?」

「それは私にもわかりません。姐さんはあまり自分のことを語りませんから」

「そうか――」と奏人は小さく呟いた。彼女のあの行動の真相が知りたい。自分の傷を治療し、命を救ってくれた人だ。きっと理由もなくあんな行動に出るだなんてことはないだろう。

 何かがあったのだ。彼女の気に障る何かが。

「もしかしたら、鬼灯さまならご存知かもしれません」

 その時悟里がそう告げてきた。

「鬼灯さまは蓮明姐さんと同格のお方ですので、もしかしたら姐さんも格好つけずにご自分の内心を吐露していた可能性があります。なので、鬼灯さまに訊けば――」

「本当か、それ⁉」

 それを聞いた奏人は反射的に彼女の肩に掴みかかった。悟里は一瞬驚いたように口を開閉していたが、すぐに頷いた。

「はい。ただ、お二人とも今はこの店におらんので、今すぐにお話を伺うのは不可能かと」

「いない? 何でだ?」

「それが――昨日の騒動の後、蓮明姐さんは楼主さま(遊郭の店主)にこっ酷く叱られてしまい、また店から締め出されて……」

「また? 前にもこんなこと起してるのかあの人?」

「ええ、まあ。というよりあの方客を数名殺めてますよ」

「はぁ⁉ よくそれなのに投獄されたりしねぇな!」

「でも以前は仕方のないことだったんです。その、強引な客に迫られて、必死に抵抗して、それで――」

 悟里は何故だか泣きそうな顔になっている。きっと当時のことを想いだしているのだろう。あまり良い思い出でないことには違いない。

「そして鬼灯さまは、昨日貴方をこの部屋に運んだ後、私に「この子のことは任せたわ」って言って何処かへ行ったそうでして。お二人ともこの店に居ないことは間違いないのですが」

 何だか少し心配になってくる。

 まあ、蓮明のように強ければそんなことは杞憂であろうのだが。

「大丈夫ですよ。お二人とも自分の身を守る術くらいいくらでも持ち合わせておいでですから」

 悟里が笑ってそう言った時だ。部屋の外から声がかかった。

「ご注文の梅茶漬けをお持ちいたしました」

 その声と同時に襖が少しだけ開けられ、その隙間から茶碗が入れられた。

 そこには湯気を立てて甘酸っぱい香りを漂わせているものがある。

「どうぞ、お食べになってくんなまし」

 悟里が掌でそれを指して進めてくる。

 奏人は、「今自分一人で食べてもいいのだろうか?」なども考えたが、その香りと空腹に負けてすぐに碗を手に取った。

 一緒に置かれていた箸で米を一気に口の中へかき込む。ズザザー、と勢いのある音が室内に響いた。

 すぐに中身のなくなってしまった茶碗を奏人は畳の上に置くと、再び悟里へと向き直った。

「かなり世話になっちまったみたいだな。これ以上居座るわけにもいかないし俺は帰るよ。最後に、蓮明さんに伝えておいてくれ。俺は『プレイヤー』を辞めるつもりはない、ってな」

 その言葉に悟里は「フフ」と笑った。

「随分と姐さんのことが気になっているみたいですね。惚れました?」

「そんなわけあるか! 俺にはもう、その……。そういう奴がいるんだよ」

 それを口にするのはかなり恥ずかしかったが、これだけは譲れない。

「そうですか。じゃあお帰り口までご案内いたします。ついてきて」

 悟里が先に立ち上がり、部屋から廊下へ移動する。奏人もそれについて行った。

 彼女の部屋は出入り口からかなり離れているようで、そこまで辿り着くのに時間がかかった。長い廊下を右へ曲がったり左へ曲がったりしたのちに、ようやくの到着である。

「それでは、お気を付けてくださいね」

「ああ。本当にお世話になったよ。ありがとう」

 最後に二人はそう互いに別れの言葉を口にして、奏人は『花色屋』を出た。そして急いで裏街を出て『玄武同盟』のギルドを目指した。


        ✿✿✿


 奏人が再び目覚めたのは卯の刻(朝六時頃)。

 話はそれより三時間ほど前に遡る。


 雲麻の中央街と裏街を隔てる川に掛けられた橋の上。そこに独り、蓮明は佇んでいた。

 彼女はぼんやりと水面に映る月を眺めていた。

 今宵は上弦か――。これからは如何しようか。店にまた戻れるのだろうか。

 そんなことを頭の中でずっと繰り返していた。だが、そんなことでは何も起こりやしない。

 前にも何度かこんなことをしていたような――。客を手にかける度に目玉を食らって店を追い出されて、この橋へと来て月を眺める。

 もはやこれが当たり前の生活のようになっていた。

「客を殺すだなんて、アチシらの業界じゃあ、いや――何処でも最悪の禁忌か。それでも処罰を受けずにこんなことで済ましてくれているおっかさんに感謝ですかいな……」

 彼女の言う『おっかさん』とは『花色屋』の店主のことだ。行く宛をなくして途方に暮れていた自分を拾ってくれた有難い存在。

 だがいつも迷惑をかけてばかりで、これでは何のために拾われたのか分からない。しかしきっと、あの人に決して情けなんかないだろう。ただ商品として売れそうだから、上玉だったから拾っただけで、自分に人間的な価値なんかは要求されていないのだ。

 こういうことは、考え始めたらきりがない。どんどん話をネガティブな方へ連想させていってしまう。

 涙がこぼれ始めた。誰でもいいから自分を『欲求を解消するための道具』ではなく『一人の女』として見てくれる人が欲しい。

 先程傷を負って運ばれてきて、さらに自分が痛めつけた少年の言葉を思い出した。

『確かに俺は弱い。だけどな、弱いなら弱いなりに誰かの役に立ちたいんだよ』

 あれは心に刺さった。

 まるであの時の彼と同じである。自分を守るために命を散らした彼と。

「アチシは如何したらいいんでしょうかねぇ……」

「やっぱりここに居たのね、蓮明姐さん。迎えに来たわよ」

 これまで独り言のつもりで呟いていたのだが、急に声を掛けられてしまったため驚いた。

 すぐにその声の主の方を向いたが――そこには。

「やっほう姐さん。毎度毎度単純ねぇ。店を追い出されたら橋の上って」

 鬼灯が立っていた。

 こちらが落ち込んでいるのを承知の上でか、飄々とした態度で接してくる。

「鬼灯、あんたアチシを追ってきたでありんすか?」

「やあねぇ。そうに決まっているじゃない。アタクシは姐さんの大親友よ? 心配するのは当然よ」

 今の発言に、蓮明は違和感を覚えてしまう。自分達は本当に『親友』なのだろうか? 仕事の同僚では? 彼女はこれまでそういうことを考えて生きては来なかった。友人なんて作るだけ無駄だと思っていたのだ。他人と親しくなんてなりたくない。焦がれる者が出来てしまえば、それを失った時に生きる意味を見いだせなくなってしまう。

 否――。彼女の場合、事実そうなのだ。

「さっきのあの子。面影でも重ねちゃってる?」

 鬼灯のそんな人の心を読んだような態度には腹が立つ反面、嬉しいとも思えた。自ら辛いことを語らなくてもいいからだ。

「姐さん。こんな夜更けに外で立ち話なんかしちゃってたら風邪ひいちゃうわ。何処か別の所に行きましょ」

「別の所って――?」

「あら、ここは雲麻裏街よ? そんなお店一種類しかないじゃない」

 その発言で察しがついた。そもそもあれを店と称してもよいのだろうか?

 だが、誘われたことに嫌な気はしなかった。

「よかですわ。ただ、金はおまいさん持ちでいいでありんすね?」

「当然」

 二人は隠微な雰囲気を漂わせながら一つの建物を目指して歩いて行った。


 その建物に着くと、最初に窓口で鍵を受け取り、個室へと案内された。

 二人きりになれる個室では、内側から鍵を掛け、誰にも邪魔されないように出来る。

「姐さまは初めて? こういう出会茶屋を利用するのは?」

「いや、遊女になる前、何度か来たことがある……」

 部屋の中央にある寝台に背中合わせに腰かけ、ぎこちない会話を交わす。

 本来ならばこういう所へは恋人同士で来るものであろう。だが彼女達は別にそんな関係じゃない。

 まあ、仕事上の関係で行為自体には抵抗なんてないのだが。

「姐さん、如何してあの子を甚振ったりしたわけ? 貴女理由なしに他人を傷つけるような性格してないでしょう?」

 鬼灯の問いかけに少しの間を開けてから、蓮明は答えた。

「おまいさんの言う通りだよ。あの人の面影を重ねちまった……。だからあの小僧にはあんなことになる前に如何しても『プレイヤー』を辞めて欲しかった」

 鬼灯は「ふぅん」と息を漏らすと、突然、蓮明の肩に手を回し、そのまま寝台に押し倒した。

 驚いた彼女は抵抗することも出来ず、ただ自分を押し倒した相手の顔を見つめる。

「鬼灯⁉ な、何をするつもりでありんすか?」

 怯えたような声を出すと、彼は冷たい笑みを浮かべて蓮明の耳元に唇を近づけた。

 そして――。

「そんな緊張することねぇだろ、火燐(かりん)」

 何の前触れもなく男性の言葉づかいになり、本名で自分のことを呼んできた。

 その甘い誘いの声に、鼓動が早くなる。

「鬼灯、あんた――」

「ここは遊郭じゃない。だからアンタも俺を本名で呼んでくれよ。さっきは呼んでくれたじゃねぇか」

「だって、あの時は頭に血が上っていて」

「言い訳は無用だ」

 そう言うと彼は、おもむろに蓮明の着物の帯を解き、前面を肌蹴させてきた。

 そして露わになった白い肌、そこにある二つのふくらみに手を伸ばす。

「や、やぁっ」

「今晩は俺がアンタを抱いてやる」

 続けて彼も自分の着物を脱いだ。互いの白い肌が、暗い部屋で、一つだけ灯された蛍光灯の光を浴びて闇の中にうっすら浮かび上がる。

 少しの前戯の後に、二人はその行為へ及んだ。汗ばんだ柔肌が重なり合う。

 蓮明は――否――火燐は与えられる快楽に身を委ねていた。

「か……ぐ、や……」

「やっと俺の名前呼んだな」

 鬼灯、もとい香紅陽(かぐや)は嬉しそうに口元を綻ばせる。それと同時に、動きが激しくなる。耐え切れずに、火燐は大きく喘いでしまった。

「ひ、ひぐっぅ。あぁ――!」

 男になんて抱かれ慣れているはずなのに。

 ――如何してこんなに気持ちがいいの⁉

 心の中でそう叫ぶ。実際の口からは、甲高い鳴き声だけが発せられてしまう。

 すると――。

「そんなに感じちゃって。イケナイお姐さま♡」

 香紅陽が唇を啄んできた。

「――――――!」

 声には出せないが、必死に叫び声をあげた。彼の胸板を叩いて抵抗紛いのことまでしてしまう。

 すると香紅陽はさらに攻め立てて、舌まで挿入してきた。二人はそのままそれを絡め合い、クチュクチュと淫靡な音を立てる。

 そのまま三分程が経過して、ようやく香紅陽は舌を抜き、唇を離した。互いの間を唾液の糸が結んでおり、蛍光灯を反射して朝露の蜘蛛の巣のように光っている。

 思ったが、火燐の方はこんなに感じてしまっているにも関わらず、彼の方は何の反応もない。

「気持ちよく、なかった?」

 恐る恐る尋ねてみる。答えを聞くのが怖いが、悪い返答だった場合は、彼の理想に沿えるようにすればいい。太夫なのだからそれぐらいのテクニックは持ち合わせている。

「いやぁね。そんなわけないじゃない」

「でも、さっきから全然……」

「前にもお客の娘に言われたことがあったわ。『遅漏ですね』って。きっとアタクシそういう体質なのよ」

 それを聞いて少しほっとした。同時に、ここにきて遊女としてのプライドがふつふつと沸き上がってきた。

「よかですわ。それじゃあアチシが、トコトン喜ばせてやるよ」

「あら、姐さん。口調が戻ってるわよ」

「別に男やら女やら演じる必要はねぇざんしょ? おまいさんもさっきから普段の口調になってるでありんすよ?」

「まあねえん。男口調って案外疲れるのよ。じゃあここからは素でお願いするわ」

「了解」

 如何やら二人とも相手を気にして知らず知らずの内に演技を入れてしまっていらしかった。

 だがここからは違う。お互いが須の状態で、本気で交わる。所謂第二ラウンドの開始だ。

「おまいさんの性感帯は何処でありんすかねぇ?」

 そう言いながら火燐は相手の首筋を舐め回す。それと同時に下腹部に力を入れて締め付けを強くした。

「ちょっと! 急過ぎるわ! 貴女は遠慮というものを知らないの⁉」

「おまいさんだってさっき散々やってくれたじゃねえか。ここからはアチシの独壇場ですぜ?」

 もはや二人のあいだには艶めかしさの欠片もなかった。ただ純粋にこの行為を楽しんでいる。

 まあ、気を使った息苦しいものよりはこちらの方が断然いいのだが。

「ああっ! それらめぇ!」

 腕を取られ、指先に舌を這わされた香紅陽は行為を始めてから一番の快楽を感じてしまった。

「成程~。ここが弱いでありんすね」

 火燐の方はそれを楽しそうに続けている。

 しばらくして、その時はやってきた。

「姐さん。アタクシそろそろだわ――」

 香紅陽は弱々しく声を上げる。

 火燐は彼の首筋に両腕を絡めて抱き付くと、下腹部に全神経を集中させた。彼の分身を自分の中から逃さないよう、再度しっかりと根元まで咥え込む。

「アチシは大丈夫。さあ、思いっきり来なさい――」

 その言葉の直後。自分の中で精が飛沫くのが分かった。ドクドクと、腹の奥が満たされていく。火燐は寝台のシーツを噛んで叫び声を噛み殺した。一方香紅陽は声は上がらなかったものの、口を大きく開けて息を漏らしている。

行為が終わると、二人はすぐに絡み合っていたものを解き、脱ぎ捨てていた着物に袖を通して身なりを整えた。

「香紅陽、あのさ――」

 火燐の方から先に話しかける。香紅陽はそれに無言で振り向いた。

「こういうのも、いいかもな」

「……そうね。流石姐さんね。最高だったわ」

 普段は二人とも『色』を売るのが仕事なため、脱かれるときは欲情の感情ばかりを受けていた。

だが今は違った。恋情なんてものは存在していない。だが、互いに愛情を持ってでの行為だった。久々に楽しめた気がする。

 その時だった。部屋の中、何処かからか「ピロピロリン」と電子音が鳴った。火燐は特にそれを疑問に思わず、迷わずに脱ぎ捨ててある自分の着物をまさぐった。そしてそこから携帯電話を取り出す。

「姐さん。誰から?」

「おっかさんだ」

 香紅陽が隣から画面を覗きこんでくる。なので彼にも見えるように画面を少し傾けた。

「結局。大事にされてるじゃない」

「ああ。ほんとありがてぇですわ。――そんじゃ、さっさと帰るとするですかいな。あ、料金はもちろんおまいさん持ちですぜい」

「忘れてなかったのね。まあ、そういう約束でここへ来たんですものね」

 香紅陽は部屋の鍵を持って、入口の扉を開けて外に出る。火燐もそれに続いた。彼が窓口に鍵を返して、料金を支払っている間、火燐はもう一度先程のメールを読んでいた。そこには楼主からの簡素な、しかし温かい文章が綴られていた。

『落ち着いたなら、早く帰って来なさいよ』

 こんな言葉を掛けてもらえるだなんて考えもしなかった。

「(さっきはすみませんね。貴女に情なんて存在していないだなんて考えて――)」

 何だかんだで、自分が今いる環境が恵まれているのだと、彼女はそう実感していた。


        ✿✿✿


 時間は戻って。

 雲麻中央街に帰って来た奏人は、水亀庵の前で棒立ちになっていた。

 さて――。昨晩のことはどう説明しようか。普通ならば素直に話してしまうのが一番なのだろうが、勝手に外を出歩いて『白虎大軍』の手先に襲われただなんて。さらに裏街へ迷い込んでそこの遊郭で治療をうけてその上一晩をそこで明かした。なんてことを離せば絶対に恐ろしい目に合わされる。

 悩み続けて数分。突然背後から声を掛けられた。

「チョットチョット。そんなお店の入口の前に立たれちゃ、中に入れないよ。退けて退けて」

 あまり耳に馴染まない、珍しい発音――というより片言? ――の日本語だった。

 振り返るとそこには、自分と同じくらいの背丈の、金髪碧眼の少女がいた。顔立ちも、あまり見ないように思えた。服装は黄色の、菜の花模様の和服なのだが、それがあまり似合っていない。

例えるなら、蓬餅の中にチョコレートを詰めた様な、そんな感じの少女だ。

 この瞬間、奏人の頭の中にある可能性が過った。彼女はもしかすると、水奈月(みなづき)が言っていたもう一人の『玄武同盟』のメンバーではないだろうか?

「あのさ、君もしかして……」

「? どうか、したの?」

 もし間違いだったら、と思ってしまうが、そこは勇気を出して訊いてみる。

「名前、教えてもらってもいいかな?」

 人違いだった場合、『玄武同盟』の名を気安く出してしまうと後々厄介なことになりかねない。水奈月からもう一人の名前は聞いていたので、まずはそれを尋ねることにした。

「ワタシ? ジラ=ホライゾいいますよ」

 ジラ。間違いない。やはり彼女がこのギルドのもう一人だ。

 そう確信して、話を続ける。

「君、『玄武同盟』のメンバーだよな?」

「そうですけど……何で知ってるです?」

 ジラが訝しげな視線を送ってくる。それもそうだろう。初対面の男に突然名前を訊かれ、しかも素性まで割られているのだから。

「その、俺新しくギルドに入った、御行奏人っていうんだ。君のことも、水奈月や菊子(きくこ)から聞いててさ」

 何故だか緊張してしまい、むしろ彼の方が片言喋りになってきている。

 だが、ギルドのメンバーだと言ったからか。それとも水奈月達の名を出したからか。ジラは警戒を解いて朗らかに笑った。

「なぁんだ。そでしたか。新入りさん? ゴギョウクン? よろしくです」

 これまでの鋭い雰囲気は何処へやら。彼女は奏人の手を取って振って来た。

「それじゃあ早く入りましょうよ。あなたもここ暮らしてるよね?」

「ああ。でも、その……」

 何故店の前で固まっていたか。その説明をする前に、彼女に手を引かれて店内へと入る羽目になってしまった。

「いらっしゃいま、せ――」

 客の出迎えは菊子がやっていた。

 普段通りの挨拶で迎えようとしたのだろうが、二人の顔を見た途端に言葉を失っていた。

 三人の間に沈黙が流れる。幸いにして、この時店内に客はいなかった。だが、他人に見られる心配がない分、何をされるか分かったものではなかった。

「その……ただいま」

「ただいま帰りましたよー」

 ジラの方は本当に久々に帰って来れた、みたいな感覚で声を上げたのだろう。だが奏人は違う。昨晩無言で外に出て、襲われ、遊郭で手当てを受けただなんてだれか信じてくれようものか。

 て言うか、それを口にした瞬間水奈月と菊子の二人に惨殺されそうだ。あの二人だったら、そんな行動に出かねない。

「ジラ! お久しぶりだね! 大丈夫、寂しくなかった? 怪我とかしてない?」

「大丈夫よ。帰ってこれて幸せだよ!」

 二人はキャッキャウフフと手を取り合って再会を喜んでいる。

 ……。だが奏人は。視線すら向けてもらえない。もはや『その場に存在していないもの』のように扱われている。

「(え? まさかもうバレてるとかないよな⁉ そんな訳――。でも、何この態度⁉ えええ⁉)」

 謎の悪寒が体中を駆け巡り、あちこちに鳥肌が立つ。気が付くと首元もひんやりと湿っており、如何やら冷や汗を掻いているようだった。

 びくびくしていたその時。ついに菊子がこちらを向いた。だが、その目には決して『心配』や『安心』の感情など含まれていない。汚物を見るような――、所謂『ジト目』である。

「あの……、菊子、さん……?」

 恐る恐る話しかけてみる。だが彼女の表情が綻ぶことはない。

 むしろより険悪なものになった。

 ついに歯までもがガチガチと鳴り始める。この感覚、何処かで覚えがあると思いきや、奏人が初めてこのギルドへと連れ込まれて二人に圧倒されていた時と同じだ。あの時のような恐怖心が生まれてきている。

 すると菊子が。

「ん」。と言って無表情のまま首を捻って厨房の方を指した。向こうに何かあるのだろうか?

 否、あちらにあるものと言えばただ一つ。

『玄武同盟』ギルドキャンプへの入口である。

 そしてそこには、きっと水奈月がいるに違いない。

 ようするに、彼女に会って来いと言われているのだ。

「分かった。行ってくる――」

 ――とっとと行け。失せろ。

 目はそう語っていた。

 奏人は厨房へ入り、下の戸棚にある入口から侵入していく。階段を下り、エレベーターへと乗り込む。重いハンドルをゆっくり回していき、ゴンドラを下げる。

 彼にはこの時間が、永遠に続いていくように思えた。ここには底なんてなく、このまま降りていくと、やがて奈落の底へ辿り着くのではないか、などと考えてしまう。

「(菊子のあの態度を見る限りだと、水奈月も相当怒ってるよなぁ……。マジで俺殺されたりしねぇよな? 何でこんな女難の相が……?)」

 微妙に楽天的な考え方をしている。

 だが、一言でも変なことを漏らしてしまえば首が飛びかねない状況なのは理解している。

 ようやくゴンドラが下に着くと、ゆっくりと廊下を直進し、大広間へと向かった。だが、襖の前に立つと、中から謎の物音が聞こえてくる。聞き慣れない音だ。紙と金属こすられているような、それの中間のような不思議な音だ。

「(えっと……。向こうでは何が起きたんだ? ただ事じゃない気がするのは何故だ?)」

 やがて彼は意を決すると、そーっと襖を開いた。するとその先では。水奈月が傘を広げてその上で鞠を転がすという、大道芸人のような行為をしている。

 それを見て固まっていた奏人は、あることに気が付いた。彼女は何か歌を口ずさんでいる。小声なので聞き取りづらいが、よく耳をそばだてて聴こうとする。


――月の麓に咲いた花 つけた実一つ口にすりゃ 夢の世界へご案内

 そこじゃ邪何もなし 夢も現もお望み通り

  も一つついた実口にすりゃ 永久のいのちを貰えるが 永久に花の世話をせよ

  一人じゃないから大丈夫 二人でずっと籠の中――


 子供の手鞠歌のように聞こえた。だが、歌詞の内容は何処となく不気味で、あまり心地の良いものではなかった。

 歌い終わっても、水奈月は傘を回し続けている。

 やがてその上で舞っていた鞠が転がり落ちた。畳の上をてんてんと転がって行くそれを見ながら水奈月は、静かにこう言った。

「早く入ってきたら如何ですか?」

 とても冷ややかな口調である。如何やら、先程から奏人がここで見ていたことには気が付いていたらしい。

 隠れられてもいないのならば、ここで隠れていても意味がない。奏人は襖を開けて大広間へ入ると、水奈月へと歩み寄った。

「ごめん、昨日は。その……色々わけありで」

 必死に言い訳を模索する。だが、気の利いた言葉は出て来やしない。

 そしてその後、先に口を開いたのは水奈月だった。

「話したくないのならば別に言う必要はないです。でも――」

 そこまで口にして彼女は。


 奏人の元へ駆け寄ってきて、そして飛びついてきた。


 あまりにも予想外の行為だったので、対応することが出来ずにそのまま床へ倒れ込んでしまう。

「みみみみみみ、水奈月さん⁉ 突然何を⁉」

 憧れの女の子が向こうから自分に抱き付いてくる。そんな、おそらくはこの世の男の九割が望んでいるであろうことを実際に体験してしまい、奏人は身動きが取れなくなってしまう。

 自分の胸元に顔を埋めている彼女を観察していると、あることに気が付いた。

「(こいつ――。もしかして泣いてる?)」

 着物が湿って来るのが分かる。まさかとは思うが、これは彼女の涙なのではないだろうか?

「み、水奈月――」

 もう一度声を掛けると、顔が上がった。

 そして、それは予想通りの表情をしていた。

 頬と目尻は真っ赤になっており、目も潤んでいる。唇も何か言いたさげに半開きになっているのだが、小刻みに震えていて発声が出来ない。

 耳をすませて、彼女が紡ごうとしている言葉を聞きとる。

「かなっ、奏人くん――。生きてて、無事でよかった――」

 小刻みに肩を震わせながら、彼女はそう絞り出した。

 その瞬間、奏人は理解した。まだこのギルドに入って間もない自分だが、こんなに他者から想われているのだと。彼女らの、掛け替えのない仲間に慣れたのだと。

 これまでは正直、自信がなかった。もしかしたら、目的は『妖刀 修羅道』の管理だけで、自分には大した価値はないのではないかと。むしろこんな弱者、必要とされていないのではないかと。

 だが違った。たった一晩帰らなかっただけでこんな風に水奈月は泣き崩れている。つまりは心配してくれていた、ということだ。

 これほど嬉しいことがあるだろうか。故郷を追われ孤独だった心を癒してくれた少女が、自分の存在を大切に想ってくれている。

 奏人は優しく水奈月の頭を撫でると、謝罪した。

「ごめんな、心配かけて。だけど、もう大丈夫だ」

 すると彼女は、胸元に顔を埋めながらこくこくと頷いた。

「許すのは、今回だけですからね。今度またウチに心配をかけたら、殺してやります」

 ……さりげなく怖いことを言われた気がするのだが。まあ、気のせいだろう。

 もう一度、彼女の髪の流れに沿って、頭を撫でる。

 二人が広間の出入り口で、そうやって抱き合っていた、瞬間。


「……あんたらなにやってんの」


 菊子とジラの二人が、エレベーターを降りてきて廊下に立っていた。

 間違いなく、途中からのやり取りは見られていた。ドサクサに紛れて口づけなど交わさなかったのは不幸中の幸い、とでもいうのだろうか?

 菊子は今すぐ殺してやろうかとでも言うような目で見てくる。もちろん奏人を。

 一方ジラは目をキラキラと輝かせている。

「オゥー! 二人はそんな関係になっていたですね! ワタシが外に行っている間にミナヅキはそんな高みに到達していたですね!」

 彼女らは色々な誤解をしている。奏人は急いでそれを解こうとした。

 だが、彼が口を開くより先に。

「おおおおお、お前達はウチらがそんな関係に見えるのかぁぁー‼」

 水奈月がそう叫びながら頬に平手をかましてきた。

 華奢な少女の手から放たれたとは思えない威力で、開けっ放しになっていた襖から奏人は大広間へと吹き飛ばされた。

「へぶぅっ!」などと無様な声を挙げながら転がって行った彼は、壁に当たって停止し、そのまま事切れた。

「あ、死んだ」

 菊子がそう呟く。

 水奈月は怒りで我を忘れたようで、そんなことはお構いなしである。

 その後奏人は自室へ運ばれ、目を醒ますのは半日後だったとのことである。


        ✿✿✿


 目を開けると、そこには金髪碧眼の顔があった。

「大丈夫でしたか?」

「あ、ああ。有難う。君が看ててくれたのか?」

 ジラはにっこりと笑って答える。

「そうだよ。まあ、気絶してただけだしなんともないよ」

 彼女もそう言っているし、自分でも特に体に異常は感じなかったため、奏人はそのまま起き上がった。

「悪いな、なんか。俺と君、今日が初対面だっていうのに。こんなことさせちゃって」

「全然大丈夫よ。これからは一緒に戦う仲間だし、ね」

 ジラの日本語は、発音は多少あやふやなものの、しっかりと喋れていた。とても聞き取りやすい、と奏人は思う。

「君、この国へ来てからはどのくらいなんだ?」

「二年くらいかな? ワタシが如何ここへ来たかは、聞いた?」

「ああ。水奈月が話していたよ」

 そこからは、ジラは俯きながら自身の過去を語り始めた。


「今から百数年前。ワタシの母国と日ノ本は貿易相手として盛んに交流してたそうです。でも、ある時から日ノ本は外国との交流を絶ってしまたようで。それから日ノ本は世界の表舞台から姿を消したそうです。でもワタシは幼い頃、この国についての文献を読んで、大変興味を持ちました。そして、いつかこの地を訪れたいと思うようになったです。

 それからワタシは貿易商の旦那さまへ弟子入りし、海外進出を心に決めたのです。そして二年前。初めて船に乗せてもらい、他国へと旅立ちました。

 そしてその船は嵐に会い、ワタシだけが生き残ったです。そして流された先が偶然にも――ここ、日ノ本だったです」

 それを聞いていた奏人だが、いまいちピンと来ない。何故なら、彼らが現在暮らしている雲麻はいわば内陸国であり海に面していない。それに彼の出身国も同様だった。

 つまりは、奏人は生まれてこれまで『海』を目にしたことがないのである。

 それなのに海外だの船だの言われても想像が出来なかった。

 だが、寂しそうな目で語るジラを見ていると、そんな文句なんて言えなかった。

「そしてミナヅキと出会ってこのギルドに入って。やがてキクコとも出会えて。ワタシはこの国へ来たことを後悔してません。掛け替えのない仲間と出会えたのだから、ね」 

 そう言って彼女はこちらへ笑いかけてきた。綺麗なストレートの金色の髪がゆさゆさと揺られた。

 彼女と会話をしていると、不思議な感覚に陥ってくる。何気ないものなはずなのに、自然と勇気づけられる。

 奏人はその時思い出していた。『花色屋』で蓮明に言われたことを。「『プレイヤー』を辞めろ」と忠告されたことを。

 だがジラの話を聞いていて思えた。自分の夢を、野望を実現させるためには、傷つかずにいるなんて不可能だ。そんな当たり前なことである。

 その結果どんなに心に深い傷を負ったとしても、それを乗り越えなければ野望を達成するほど強くなんてなれない。

「ジラ」

「何ですか?」

 一度目を瞑って、自分の意思を確認する。何度も自身に言い聞かせる。その上で、彼女に向かって宣言した。

「これからは、俺のことも、よろしくな」

 それはつまり、これからも『プレイヤー』を続けていくということである。

 水奈月と交わした約束を守るためにも。菊子の心の溝を埋めるためにも。ジラのように強い心を持つためにも。

 このギルドに残り、成長していく決意を固めた。

「(俺の生き方は、俺が決める。誰かに指示された生き方なんてお断りだ――!)」


今回は少し色っぽい描写も交えてみました。うまく書けていたかはわかりませんが(汗)。次回もお願いします。

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