第肆話 女亭誘惑
修行の最中に敵に奇襲をかけられた奏人は誤って無法地帯である「雲麻裏街」へ迷い込んでしまう。そこで彼を手当てしてくれたのは高級娼婦の蓮明太夫で――。
「ぐわぁぁぁ!」
あまりにも突然にそれは起きた。
奏人は、雲麻城のふもとにある樹林、通称『霞の森』にて夜な夜な修行をするのが日課になっていた。流石にギルドの基地の中でやるのは気が引けた。下手に動いて家具などを壊しては大変だ。それに水奈月に自分の修行している姿を見られるのが恥ずかしかった。そんな些細な理由のはずだった。
なのに、なんで。
「お前ら、この間菊子にやられた連中だろ!」
そう叫んだ刹那、腹部に鈍痛が奔り、身体が宙を舞った。そのまま木の幹へと叩きつけられ、落ち、地面に倒れ伏す。
先程の一撃で内臓が損傷したらしく、腹の奥底から生暖かい何かがこみ上げてきて、口の中に鉄の味が広がった。
それを噛みしめながら彼は叫ぶ。
「お前ら、如何して俺の札を狙う⁉ 答えろ虚無僧ども!」
彼は今、三人の虚無僧と戦っていた。この間の連中と同じである。返事ははなく、再び連中は襲い掛かって来た。
チャリリリン! と錫杖の先端につけられている輪が音を鳴らす。それと同時に三本の錫杖が一斉に突き付けられた。
まずい。このままでは一方的に嬲り殺しにされてしまう。こんなところで死ぬわけにはいかなかった。
「くっそ!」
その言葉と同時に、奏人の体が消えた。虚無僧達の錫杖は虚しく空を切る。三人はきょろきょろと首を回して彼を探した。が、何処にも見当たらない。
しばらくすると、諦めたように去って行った。
✿✿✿
「危ねぇ……。本当にあいつらは何なんだよ?」
先程自身が打ち付けられた木の根元。そこに奏人は姿を現した。
「咄嗟にこいつが使えてよかったぜ」
そう言って彼は一枚の札を握り締める。特殊な技を発動させるための札、呪術札である。そのうちの一枚、『透遁術』の札だった。効果は一時的に自分の姿を他人に見えなくするもの。大した効果ではなさそうだが、このように逃走用なんかには役に立つものだった。
「くそ……。でも少し食らったな……」
だが、あくまで効果は『見えなくする』だ。別に実体がなくなるわけではない。そのまま存在しているのだ。
奏人は先程の最後の錫杖の攻撃をかわしきることが出来なかった。三本のうちの一本が脇腹を掠め、傷を負わせた。そこからドクドクと血があふれ出る。
「(不味い。これじゃあギルドに帰れない……。何処かで血を止めねーと)」
そう思い、立ち上がる。
だが血を流し過ぎたようだった。意識が朦朧としてくる。
そんな覚束ない足で歩を進めていると、やがて町に出た。歓楽街らしく、深夜でもそこそこの盛り上がりを見せている。この中をこんな傷だらけで歩いて大騒ぎにならないだろうか。もうそんなことを考える余裕すら消え失せていた。
そんな時だった。声を掛けられた。
「お兄さん! 今は亥の刻だよ、こんな夜中にふらふらと大丈夫かい⁉ 癒しを求めてなら、ぜひぜひ! 『花色屋』にお越しくださいな!」
明るく軽快な女性の声だった。だが、意識の薄い今の奏人には相手の言葉をはっきりと理解することは出来なかった。
「わたくしは売り子で客寄せ担当のサトリと申します。どうぞ、よろ、しく――」
だがその直後。奏人の体が崩れ去り、地面に臥せた。
相手もこちらの尋常ではない様子に気が付いたのか、焦ったような声を上げる。
「て、如何したんですかその傷⁉ ちょっと、普通じゃないですよ、大丈夫ですか⁉ どどどど如何しよう……。そうだ、蓮明さまなら!」
彼女は何かを思いついたように手をポンと叩く。そして近くの建物へと入ったかと思うと、声を張り上げた。
「『百合の間』お通しください! 重傷人です! 蓮明さまに案内させてください!」
その途端、建物の中は騒がしくなった。何だ何だ。怪我人ですって。それで太夫に? わぁ、店の前で血だらけの人が! てぇへんじゃねぇか! 兄ちゃん生きてるか⁉
あちらこちらから声が上がる。女性の黄色い悲鳴が。後に男性の声も混じり始める。
そんな数々の声の間から、それらを一喝する声が現れた。
「おまいさんら、うるせぇでありんすよ! お呼び相手はアチシでありんすか?」
「蓮明太夫さま! 大変なんです! 青年が血まみれで……」
足音が奏人の元に近付いてきた。ざっざっ、とわざとらしく足袋で地面を擦って音を立てている。そしてうつ伏せになっているその目の前に細い足が現れ、歩を止めた。
彼は力なく顔を上げる。するとそこにいたのは、まさに『絶世の美女』だった。虚ろな意識が一瞬醒めた。
綺麗に着こまれた和服。癖の一つない朱い長髪。おしろいを塗った真っ白な肌。背も高く、もしかしたら奏人と同じくらいあるかもしれない。一七〇センチは超えているだろう。
まるで浮世絵の中から出て来たかのような美女は、彼の傷にそっと触れた。
「不味いな……。悟里、今アチシの部屋は開いてるか?」
「はいっ! 大丈夫です。いつでも貸し切れる状態です!」
「よし。こいつを部屋まで運ぶぞ。手伝え! はやくうつぱしろ!」
「ははは、はい~!」
奏人は誰かに肩を支えられ、立ち上がり、何処かへ歩いて行った。そこまでは覚えている。そこからは自分が何処へ連れてこられたのか、全く記憶がない。
ついに気を失ってしまったのだった。
✿✿✿
パチパチ。木材が燃える音がする。否、木材は木材でも、それは違った。元は家屋だったものだ。
あちこちで家が倒壊し、炎に包まれる。同時にそこに住んでいた人々も焼かれていった。
「父さん! 母さん!」
少年は崩れ去った家に呼びかけていた。当然そんな場所に声を掛けても返事などないだろう。だが彼は叫ばずにはいられなかった。
「誰か、誰か返事してくれよぉ! 誰かいないのか⁉」
辺りを走り回り、必死に自分以外の人間を探す。
しかし、見つかるのは焼死体ばかり。生きてる人間は何処にもいやしなかった。自然と相貌から涙があふれ出る。
何故、如何して。こんなことになってしまったのだ。自分達が一体何をしたというのだ。どんな理由があってこの村は焼かれなければならなかったのだ。
ふつふつと疑問が湧く。だがそれに応える者などいなかった。
「くそくそくそっ! 何でだよぉ……。畜生が……」
悪態をついてみるも虚しいだけだった。自分の声だけが辺りに響いている。
「嫌だ。俺はこんなの認めない。絶対に、何があっても」
しゃくり上げながらその言葉をなんとか紡ぐ。彼はずっとそう呟きながらその焦土の中に突っ立っていた。
✿✿✿
ハッと、奏人は目を醒ました。大量の汗を掻いていて衣服が張り付いてくる、気持ちの悪い感触があった。
半身を起して辺りを見渡す。明らかに自分の寝室ではない。布団も何処か高級感がある。
「目ぇ醒めたかい?」
すると突然声が聞こえた。その声の主は部屋の隅、入室口の横に立っていた。朱い髪の麗人。奏人をこの部屋に上げるように指示したであろう人物だった。確か、蓮明とか呼ばれていたか。
「俺は如何していたんだ? 『白虎』の連中に襲撃されて、傷を負って街中をふらついて――。そこからは……」
思い出せない。ここは一体何処なのだ。自分は何処へ来てしまったのだ? 時間は? もう麻を迎えているのなら、きっと水奈月と菊子が探しているだろう。彼女らに心配を掛けたくはないが、この状況ではどうしようもない。
「おまいさん、相手の武器に塗られていた毒のせいで意識を崩されていたでありんすよ。今の今まで、ずっとうなされていやしたよ。村や家族がどうのってね」
頭を抱えている奏人に蓮明は話しかけた。すると彼は顔を覆っていた両手を退け、俯いた。
「そっか……。そんなことになってたのか……」
そこで彼はあることに気が付いた。腹に包帯が巻かれている。そこには血の跡は見当たらず、また痛みも感じなかった。
ふと布団の脇をみると、そこには医療道具の入った箱が置かれてある。
「もしかして、あんたが治療してくれたのか?」
蓮明に問いかける。彼女はそれに対し静かに頷いた。
「そうざます。アチシは医者や薬師の資格を持ってる。その程度の傷ならなんぼでも治してやりやすよ」
すると彼女は奏人の傍へと歩み寄ってきた。
畳の上をまるで滑るように歩を進める。その動作一つ一つが絵になっていた。『立てば芍薬。座れば牡丹。歩く姿は百合の花』。などといった言葉があるが、それはまさに彼女のためにあるだろう。
「気分は如何だ。顔色は優れてねぇみたいだけどな」
そう言って額に手を伸ばす。掌が触れた。冷たくてひんやりと心地いい。
奏人は少し気分が落ち着いてきた。そこで彼女にいくつか質問を始めた。
「なぁ、ここは何処なんだ? 旅館、とかじゃねぇよな?」
「ここは遊郭ですわ。『花色屋』っていう」
「ゆう……かく――?」
「へえ。どないかしたか?」
奏人は血の気が一瞬にして引いていくのを感じた。別に自分がこんないかがわしいところへ来たということではなくて。
雲麻に遊郭があるということぐらいは知っていた。だが、その系統の店が構えているところが問題なのだ。
「ということは、ここは雲麻の裏街か?」
「へえ。ならず者達の溜まり場ですわ」
犯罪者や迫害者などを寄せ集めて詰め込んだ町。それがこの雲麻裏街だ。もしかしたら、もっと違う場所で行き倒れになっていたりしたら。身包み剥がされ所持物全て奪われて、挙句の果てには殺されていたかもしれない。良い人達に保護されたものだ。と彼は思った。
「おまいさん、これからどないする? 怪我人でおすもの。しばらくはここで休みますかい? それとも――」
その瞬間だった。蓮明は奏人に身を寄せてきた。柔らかい肌が触れてくる。そして真っ赤で艶のある唇が耳元に近付き、ふっと息を吹きかけてきた。
「ここは遊郭じゃ。おしげりなんしやすか?」
「っ⁉」
彼女は遊女特有の廓言葉を使っているため、言葉は通じなかった。だがニュアンスから何を言っているのかは分かる。
誘惑してきているのだ。
「いい気分にして差し上げますよ? これでもアチシは太夫じゃ。男を喜ばせる方法ならいくらでも知っとるよ?」
そう言って股間に手を伸ばしてくる。幸いまだ反応はしていなかったが、すぐに我慢の限界となるだろう。
「おまいさん、童貞かい?」
突然の問いかけだったが、否定出来ずに頷いてしまう。
「そうかい。じゃあ可哀想かね。初めてがこんな何度も男に抱かれたことのある使い古しの女相手じゃあ」
すると彼女は股間を撫で回していた手を退けた。奏人は安心する反面、少し名残惜しい感覚があった。
こんな美女と一糸纏わぬ姿でまぐわえるかもしれないのだ。健全な思春期の男子なら手解きしてもらいたいと思うだろう。
蓮明はそんな表情を見たのか再び手を伸ばしてくる。
「やっぱり、やりやすかい?」
思わず奏人は頷いてしまいそうになった。誘惑に負け始めてきている。
だがそんな時、頭の中に水奈月の顔が浮かんだ。
「(そうだ。俺には水奈月という心に決めた相手が――!)」
そう心の中で叫ぶと、蓮明を押しのけた。ここで彼女に身を任せて抱かれてしまうと浮気したことになるだろう。いや、別に片想いしているだけで浮気も何もないのだが。
だが、物凄い罪悪感が胸の中に襲い掛かって来た。
「きゃっ!」
蓮明は思っていたよりも可愛らしい悲鳴を上げて、下半身は布団の上のまま。上半身は畳の上へと投げ出されてしまっている。
「わ、悪い! 大丈夫か?」
これはお互いに予想外の出来事だったので、どちらも困惑する。奏人は咄嗟に彼女に手を伸ばした。
「ええ。でも少し驚いたわ。まさか抵抗されるなんて思っとらんしたわ」
彼の手を取り身を起こした蓮明はえくぼを浮かべながらそう言った。
「おまいさん珍しいなぁ。大抵の男はアチシが密着しただけで落ちるんに。そんな嫌だったかいな?」
「いいや、そういう意味じゃなく。彼女を裏切るわけにはいかないというか――」
何だか口にするのは恥ずかしいので、後半は小声になる奏人であった。だが蓮明は地獄耳だった。
「おまいさん良い人がおるんかいな?」
しっかりと彼の呟きも聞き取っていたのだった。あっさりとそう訊かれた奏人は吹き出してしまう。
「べべべべべべ、別に! あいつは彼女とかじゃなくて、俺が単にそう考えているというか、憧れているというか――」
「成程、片想いでありんすか。初々しい、若いでありんすねぇ」
彼女はにやにやと微笑を浮かべる。単純に言葉通りに思っているのか、それとも他人の弱みを握ってやった、というような笑みなのかは分からない。が、とにかく怪しげだった。
ペロリと艶めかしく唇を舐めると、再び奏人に密着してきた。
「大丈夫や安心せい。ここ『花色屋』はお客様の秘密を他言したりはせん。この場は確かに『色』を求めて来る客が大半だけんど、こういった悩みを打ち明けたり相談したりしに来る客も多いぞ。如何だい? おまいさんの悩み、アチシに話してみいせんかい?」
彼女がそう発言をした、直後だった。
「お楽しみのところ申し訳ございません。悟里でございます。蓮明さま。先程の鑑定結果が出ました」
襖の向こう側から声がした。この建物の構造がはっきり分からない以上、あくまで推測なのだが、おそらく向こう側は廊下であろう。
声の主は誰だろうか。サトリ――何処かで聞いたような気がする。そうだ。傷を負った奏人に声を掛け、助けを求めてくれたこの店の客寄せだという女性だ。だが、鑑定結果とは何だろう。
「大丈夫だ。交わってはいない。入りゃんせ」
「失礼いたします」
蓮明が答えると、悟里はすす……と襖を開いて部屋へ上がってきた。
改めて見てみると彼女も相当な美人である。もちろん、最上級遊女だという蓮明には敵わないが、下手な女優なんかと比べれば余裕で好評化を得られるだろう。
何か用があって来たらしい彼女は手にお盆を持っていた。それには何かの書類と試験管が乗っている。悟里はそれを一度畳の上に置くと、膝をついて座り、正面に手をつきながら頭を下げた。おそらくは蓮明と――奏人自身への挨拶だろう。普段ギルドの中でも下っ端的な役割を押し付けられている彼は、頭を下げられるという行為にあまり慣れていなかった。そのため少したじろいでしまう。
「やはりこの毒は『白虎大軍』の連中が好んで使うタイプのもの。サンプルの情報と一致しました」
「ああ。彼の口からも『白虎』の名が出た。間違いなく連中がこの国へ紛れ込んでいる」
奏人は二人の会話についていけなかった。『白虎大軍』が如何したというのだ? 確かに自分を襲ってきたのは奴らだろう。だが、ギルド同士、プレイヤー同士の戦いに、何故彼女らは口を挟んでいるのだろう? 見た限りでは一般国民と大差ない。デッキケースも持っていないようだし、少なくともプレイヤーではないだろう。なのに、何故?
そんな時に、さらに疑問の種を撒く人物がやって来た。
「姐さん。何か大変なことになってるって聞いたんだけどぉ――」
唐突に、大柄な女性が部屋へと入って来たのだ。蓮明も身長は奏人と同じくらいと、女性にしては高い方だったが、この人物はそれを優に超えている。部屋に入る際、少しだけ下がっている襖の部分の天井に頭が閊えかかり、少し屈んでいたくらいだ。二百センチ弱はある。和服から少し露出している肌は筋肉質で、柔らかい、よりも固いという印象を与えてきた。
だが美貌ならば他の二人に引けを取ってはいなかった。
やはり遊郭だけに美人を取り揃えている。これだけいれば、どんな客にも申し分ない対応が出来るだろう。
「あらやだ」
すると彼女はそう呟くと奏人の隣へ歩み寄ってきた。じろじろと観察してくる。最後には顎をくいっ、と掴まれて無理矢理上目使いにされてしまった。
「ああた、なかなか可愛いじゃない。かなりアタクシ好みよ」
……? だが、そこでふと違和感を覚えた。やたら手の力が強い。まあ、それはいい。問題なのは『声』だ。やたら低い。まあ、女性でもこのくらい低くなる人もいるかもしれないが、これはあからさまな、耳に入れて心地いい、天然のテノール声だった。
そう考えると同時に、嫌な予感がしてきた。
もしや、この人は――。
「おい鬼灯。あまり怖がらせんどきよ。純粋な男にとって一番の恐怖は同性に愛でられることでありんすからな」
蓮明の発言で確信した。彼女は、否、彼は遊女ではない。立派な男性だ。
だが何故男性なのにも関わらずこの遊郭の着物を着ているのだろうか。しかも女物。鬼灯と呼ばれたこの人物は謎で塗り固められている(奏人視点)。
「一応紹介しておきやす。こいつは『花色屋 薔薇の間』の太夫の鬼灯じゃ。まあ、見ての通りの男娼でありんす」
「はぁい、はじめまして。よろしくね。ところで早速だけれど、ああた抱く方が好み? それとも抱かれてみたい?」
顎をこていしていた指が離されたかと思うと、すぐさま彼は奏人の肩に手を回してきた。そして自分の方へ引き寄せるようにして、事実上押し倒してきた。
抵抗する間もなく顔がすぐそこまで迫り来て、鼻と鼻がちょん、とくっついた。もう少しでキスをかまされるくらいの距離である。
奏人は恐怖で声を発することも出来なくなった。感じるのは貞操の危険ばかりである。身体が強張って、鳥肌も立ってきた。
温かい吐息が頬に触れる。力強い腕が肩を抑え込んでくる。もう駄目だ、と体中の全細胞が叫んでいた。
だがそんな時、蓮明が助けの船を出してくれた。
「鬼灯、そのへんにしときぃ。怯えとりやすよ」
「へえ。姐さんがそう仰るなら――」
すると奏人を抑え込んでいた鬼灯の腕が離れて行った。
鬼灯は立ち上がると着物の帯を直し、悟里の持ってきたお盆に手を伸ばし、置かれている試験管を手に取った。その中に入っている赤黒い液体は、おそらく奏人の血液だろう。その試験管をぷらぷらと振りながら鬼灯は口を開いた。
「この毒……。尋常じゃあないわね。素人の『プレイヤー』が扱う代物じゃない。持ち運ぶだけでも重罪だわ」
その表情はついさっきまでのちゃらちゃらとしたものとは打って変わって、凛としたものになっている。
そしてさらに彼は続けた。
「ああた、運が良かったわね。こんなもの姐さんにしか解毒出来ないわよ。この遊郭に迷い込まなければ確実に死んでいたわ」
その言葉にぞっとする。無法者達の掃き溜めである裏街なんかに入って最悪の事態を覚悟したが、むしろこれは幸運だったのか。
普通に中央街にでも帰っていたら命を落としていたとは。
脇腹の傷を擦りながら唇を噛んでいると、蓮明が問い掛けてきた。
「おまいさん、『白虎大軍』の連中に襲われるようなことに何か心当たりはねぇでありんすか? 小さなことでもいい。思い当たることを言ってくんせぇ」
そこで奏人は少しの間黙り込んで考えた。もしかしたら、ここで『妖刀 修羅道』のことなんか話したら、最初に水奈月や菊子と出会った時のように花札を渡せと言われるかもしれない。それだけは御免だった。
一方蓮明、鬼灯、悟里の三人は彼の出方を窺っていた。彼が発言しない限りは黙っているつもりなのだろう。
気が付けば長い間が経過していた。奏人は、思い切って話してみようかと考えた。三人は『プレイヤー』ではなさそうだし、きっと話しても何の事だか分からないだろう。
そう思ってのことだった。
「奴らは俺の持っているこの札を狙っているらしいんだ。理由は分からない。けれど、襲撃を受けてる。今回で二回目なんだがな」
言いながら札を取り出して差し出した。蓮明が覗き込んでくる。
すると突如、彼女は血相を変えた。
「これは――」
明らかに反応がおかしい。奏人は首を傾げる。蓮明だけではない。他の二人も顔が青ざめたり歯をカチカチならしていたりする。
「『妖刀 六道』の一つ……。まさか、これが――?」
前々からずっと疑問に思っていた。この『妖刀 修羅道』とはどのような札なのか。ただのレアな札ではない。それは分かる。今蓮明が言った『妖刀 六道』とはいったい何なのだろうか。確か、水奈月や菊子も口にしていたと思う。何か尋常ではない響きだとは思う。だがそれにどんな秘密が隠されているかなどは分からない。否、分かるはずもない。彼は全国序列では全体の半分ほどの位置にいる。只々平均的な場所だった。
それなのに何故こんなことになってしまったのだろうか。故郷の復興を夢見て強者を目指していただけなのに。
何だか怖くなってきた。これ以上この札を持ち続けていては、そのうち命を落とすかもしれない。だが手放すわけにはいかない。これがあれば自分はもっと強くなれるはずだ、と心の何処かで信じていた。
札をデッキケースに収納し、彼女らの表情を窺ってみる。すると誰もが険しい表情を浮かべて.
いた。
奏人はこの空気を知っている。やはり水奈月や菊子にギルドに勧誘された時、その少し前に迫られた時と同じだ。
不安でたまらない。何故周りの人間は知っているのに所有者である自分は何も知らないのだ。理不尽にもほどがあるだろう。悔しい。もっと真相に踏み込みたい。
だがそこで、蓮明がかなりきつい言葉を投げつけてきた。
「おまいさん、『プレイヤー』を辞めろ」
「…………は?」
それまでの思考は一気に断たれ、今の発言に対してのみ意識が向いた。
「あんた、今何つった?」
「『プレイヤー』をやめろと申したでありんすよ」
彼女の眼は先程までの妖艶な、だが何処か温かみのあるものとは別物になっていた。冷え切った氷の眼になっていた。
「おまいさんこれからこんな生活続けるのも辛いやろ。もうこんな世界からは脚を洗いんせ。忘れてもっと別の楽しい生き方見つけるんやなぁ」
「おい! あんたに何の権利があってんなこと言ってんだよ!」
流石にこの言葉には奏人も怒った。確かに彼女は瀕死の自分を救ってくれた命の恩人ではある。だが、それとこれとでは話が全くの別物だ。心の底から「ふざけるな」と叫びたい。
これまでずっと『プレイヤー』として生活してきた。それ以外の方法を見いだせなかった。だからこれからも自分はこうして生きていくのだろうと思っていた。それでいいと思っていた。それこそが自分の生き方なのだと信じていた。
それを一瞬にして否定された。やめろ? やめろだと? 本気で言ってきているのならば臍で茶が沸く。
「アチシの忠告は聞いといた方が身のためだぜ? いっそ鬼灯の禿になるとかはどうだ? 大丈夫だ、行為に及ぶ必要はない――」
「ふざけるな!」
次の瞬間、奏人は相手が一般人だということも忘れてしまっていた。
「札力解放、装甲装着!」
逆上し、完全に理性を失ってしまった。デッキケースを掲げ、札に秘められている力を具現化させる。鎧を纏い、武器を装備する。
感情に流されるままに動き、蓮明の首元に『妖刀 修羅道』の切っ先を突き付けた。
「これ以上何か言ってみろ……。殺すぞ……」
息を荒げ、出来る限りの低い声で脅すように喋る。だが彼女は眉一つ動かさずにいた。自分は絶対に傷つかないと自信があるように。
それだけではなく、唇を吊り上げ微笑を浮かべるほどの余裕さえ持ち合わせていた。
「何がおかしい」
彼女の笑みが腹立たしい。どれだけ見下しているのだ。
すると蓮明は「フフ」と声を漏らした。
「だっておまいさん、他人を殺す覚悟なんかありゃせんでしょ。凄んで脅してみても、へっぴり腰が丸わかりですわ。アチシにとって今のおまいさんを仕留めることなんざ赤子の首を捻るのと同じことよ」
刹那。彼女の姿が奏人の視界から消えた。
「⁉」
あまりに突然のことで反応が出来ない。目の前を見つめて口を開閉させるだけだった。今、目に入るのは少し下がったところで傍観している鬼灯と悟里の姿だけだ。蓮明は見当たらない。
直後。下から気配を感じた。そこでそちらへと顔を向けようとしたが、間に合わない。
ビュウ! と空を切る音を立てながら、下あごに強烈なアッパーカットを放ってきた。それが見事に決まって身体が少し中に浮いた。おまけに舌まで噛んだ。痛みで声を出すことも出来なくなる。
今拳を振りぬいてきた相手は、もちろん蓮明だった。彼女は何の躊躇もなく、今度は腹に蹴りを叩きこんで来た。
「――――――――――――!!!!!!!!!!!」
運悪く――いや、これを狙ったのだろう。その蹴りはまだ完治していない、治療したばかりの傷の下へ入ってきたのだった。激痛が奔り立っていられなくなる。
喉の奥から奇声――本人はそのつもり――を上げて、同時に肺からも空気が吐き出され、そのまま奏人は座敷に倒れ込んだ。
腹を押さえて悶絶している彼の耳元へ、またもや蓮明は唇を近づけてくる。だが甘く艶美な雰囲気は持っておらず、正真正銘の脅し文句を突き付けてきた。
「こんなことでこれからも続けていけるでありんすか? これ以上傷つく度胸はねえですよね? それともおまいさん、殴られて喜ぶタイプの変態さんでありしたか」
口調だけは何処かおどけているものの、間違いなく今彼女が持っているのは殺意だ。本気で自分を殺そうとしていた。奏人は本能的にそれを感じ取っていた。
苦しさを堪えながら顔を向け、表情を窺う。そしてぞっとした。目がまるで死んでいるかのように冷ややかなのだ。
奏人はこれを見たことがある。否、さっきも夢で見たばかりだった。焼き払われた故郷。無残に殺されていく人々。転がって行く骸。彼女の眼はそれと同じか、それ以上の冷たさだった。
「(この人、一体何なんだ? どんな人生過ごして来ればこんな表情を浮かべるんだよ⁉)」
歯が激しく音を立て始める。身体中の毛が逆立ち、その一本一本の先まで神経が集中していくように感じられる。
奏人の中で渦巻いている恐怖は、人間が受け入れられるそれを上回った。
「う――――わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
咄嗟に何を思ったのか、まだ握ったままであった『妖刀 修羅道』を彼女へ振り抜いた。切っ先がチッと真っ白な頬を掠める。
流石にこの行動は蓮明も、鬼灯や悟里も予想していなかったようで、皆反応が遅れた。
三人が怯んだ隙に飛び上がり部屋の襖を蹴破って廊下へと出た。この遊郭の造りはよく分からないが、走っていればそのうち出口も見つかるだろう。そんな考えだった。
だがそんなものは甘すぎたのだった。
足を一歩踏み出した瞬間、背後からあまりにも巨大な一撃を受けた。頭の頂から足の爪先までを一瞬にしてその力が、まるで電撃のように走り抜ける。
さらには辺りの景色が制止していた。ここには奏人以外の誰もいないとでも言っているようである。
「(一体――何が? 俺は今どうなっているんだ?)」
心の中でそう絶叫する。だがその状況に気が付くのに時間はかからなかった。さっきまでは景色は動いていなかったのに、途端に加速した。一気に自分の周りを駆け抜けていく。
次の瞬間。
ドッッガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンンンンン!
奏人は壁を突き破ってその先にある部屋まで突っ込んでいった。幸いその部屋は誰も使用しておらず、空部屋ではあったのだが。
その轟音を聞きつけて遊女達や客達が各々の部屋から出てきて何だ何だと騒ぎあっている。
「蓮明姐様。一体どうなさったのですか?」
一人の遊女が蓮明に駆け寄ってきて問い掛けていた。流石にこれほどの騒ぎが起きれば気にするなと言う方が無理だろう。
「なぁに。いつも通りの口論の末でありんすよ。珍しくないだろう? アチシが客を殺めることなんざ」
「そうでしたわね」
あたかもそれが日常であるかのように会話を進める二人である。
蓮明は壁に空けられた穴を潜り奏人の下へと歩み寄る。
「おまいさん。『プレイヤー』でありながらこの程度の蹴りでくたばるほど弱くはねぇよな? まさかもう終わりでありんすか? そんなんでこれからも戦っていこうとしてるのか?」
その問い掛けに彼は答えない。臥したままピクリとも動かないでいる。
だが、構わずに彼女は問い掛け続けた。
「こんな一般人にやられて伸されちまって、それでよく『プレイヤー』を辞めないとか言えますわな。そこまで生き急ぐこともなかろうに」
どれもこれもわざわざ奏人の神経を逆なでする言葉を並べてくる。まるでわざと怒らせたいように。
蓮明は死体と化したかのように動かない彼に声を掛け続けた。別に特別な理由なんてない。しかし、何故だか妙な苛立ちを感じたのだ。何処かで覚えのあるような。だが如何しても思い出せない。
それにこれも分からないのだが、奏人に死んでほしくないと思えたのだ。だから、どんなことをしてでも『プレイヤー』として生きていく道を潰したい。
そう思った。
「ほら、早うデッキケースを渡して――」
そう言って手を差し伸べて催促した。
するとその時、奏人がふたたび口を開いた。口は小さく、声も弱々しい。これでは聞き取れないと思い蓮明は彼の口元へ耳を近づけた。
「――断る。俺はこんな所で諦めるわけにはいかないんだ……」
「何?」
刹那、蓮明は只ならぬ殺気を感じた。まさか、と思う。すこし彼の頭から自分の頭を話してその表情を窺う。そこで見てしまった。奏人は目に炎を宿している。お前らを焼き殺してやろうか、とでも言うような。
彼女はその炎に身を焼かれるような感覚を覚える。さっきまでの弱々しさは何だったというのだ? こんな、瀕死の小僧に――。
「俺は約束したんだ、水奈月と。俺達でこの世から哀しみを消し去って見せるって。その約束を果たすまでは、俺は諦めない。絶対に――」
「な、何を戯言を吐いているのだ。この小僧めが!」
「あのギルドは今はもう俺の帰る場所なんだ。水奈月だけじゃない、菊子や、それにジラって奴も。確かに俺は弱い。だけどな、弱いなら弱いなりに誰かの役に立ちたいと思ってるんだよ。簡単じゃないかもしれない。でも、それでも俺は――!」
その時、少し離れた場所から二人の様子を伺っていた鬼灯の眼の色が変わった。先程までは気だるげだったのが人が変わったように鋭利な輝きを放っている。
「戯言はもう聞き飽きた!!!!!!!!!!!」
すると突如、蓮明が声を荒げた。そしてそのまま右足の爪先を奏人の鳩尾へと振りぬいてきたのだ。ゴシャッという音と共に少年の意識は完全に遮断される。
「貴様なんぞアチシにかかれば――!」
さらに彼女は胸元を少しはだけさせ、そこから何かを抜き取ろうとした。だがその時。
「そこまでよ。姐さんも頭を冷やすことよ!」
割りこんで来た鬼灯が彼女の腕を掴んで制止した。
「くっ、離せ香紅陽‼」
「姉さま、ここは遊郭でしてよ? アタクシの名は鬼灯、よ」
「……。くそっ」
蓮明は鬼灯の手を振り払って、着崩れた着物を整える。帯を締めながら自分の部屋の方へと向かっていく。その途中、廊下に突っ立っていた悟里に命じた。
「あの小僧をお前の部屋に泊めてやってくんなし」
「かしこまりましたわ」
それだけ言葉を交わすと、蓮明が自室に入るのを確認した悟里は瓦礫の向こうに這いつくばっている奏人の元へと行った。
そしてしゃがみこんで、彼の腕を自分の肩に掛けようとする。が、意識のない男性の体というものはとても重たくて、自分一人では持てそうにない。
「手を貸しましょうか?」
すると先程のままその場に居た鬼灯が代わりに彼を担いでくれた。
「ありがとうございます。助かりますわ」
「いいえ。それにこの子、あの娘の――」
「? 何かおっしゃいましたか~?」
「い、いいえ。何でもないわ。そのねぇ、この子かなりアタクシ好みねぇ~とか何とか思ってたりね。おほほほ」
「そうですか? でも襲っちゃ駄目ですよ。そういう趣味を持ち合わせていない人にとってはそういった行為は胸に永遠の傷を刻むんですからね」
「大丈夫、無理やりやる趣味はアタクシにはないわよ」
そんな会話をしながら二人は部屋へ向かう。姐が滅茶苦茶にした壁や床や襖なんかは適当に下位の連中に任せておこう。そんな黒いことは口に出さず。
二人が通った後には、奏人から滴り落ちた赤黒い血が落ちて行っている。このままでは不味いかもしれない、とも思い急いで廊下を駆けた。
今回で役者は大方揃いました。今後奏人はどう行動をしていくのか、
ぜひとも読んでみてください。