「バースに乗れ」
ヒルダは、少し遅れて竜舎へ行くことを、偶然、城の玄関口から出て来たウォーに伝えた。ウォーは快諾したが、ヒルダに興味が無いのか、訳まで尋ねてこなかった。
登城する人々、夜勤から解放され、出て行く人々、そんな人達に紛れながら、相変わらずの軽装備のヒルダは城へと入った。
足が向かった先は倉庫であった。
「おはようございます」
「これは、ヒルダ殿、おはようございます」
顔馴染みになった番兵がちょうど倉庫の扉を開いているところに出くわした。
「こちらに何か御用ですか?」
「ええ、装備をと思いまして」
番兵が道を譲るとヒルダは中に入る。相変わらずまずは長槍が出迎える。ヒルダの足は慣れたように目的地へと辿り着いた。
ヒルダが選んだのはショートソードでは無く、ダガーナイフであった。実際のところ、ショートソードはまだ重い。つまり投擲してもさほど距離を投げられないということだ。昨晩、今日のことに緊張しながら思い当たったことであった。コロッセオではダガーナイフの木剣は置いて無かった。
ヒルダは剣帯を外すと、ダガーナイフを八本、通し、帯を締めた。コロッセオでは胴がショートソードだらけになるだろう。ヒルダは苦笑し、倉庫を出た。
2
バロに上り道を駆けさせ、竜舎に着く。
「ヒルダ殿」
これも以前、剣の練習に付き合ってくれた顔見知りの番兵が立っていた。道を譲られるばかりか、番兵は扉を開けてバロを預かってくれた。
竜舎の竜舎らしい喧騒は久しぶりだった。
あちこちに大きな竜が伏せたり四つ足で立ったりしている。灰色のチュニック姿の職員らが行き来し、竜は軽く囀るように、あるいはあくびをするかのように鳴いていた。物々しい装備の乗り手達が竜の調子を見ているようだ。
シンヴレス皇子とサクリウス姫がそれぞれの竜のところに居るのを見たが、向こうは気付いた様子では無かった。
ヒルダは肥料のようなフンのにおいで満たされた竜舎を進み、バースを探す。
「おう、ヒルダ嬢、ここだ!」
ありがたいことに老兵グランエシュードがバースの側にいた。ヒルダはまだ同種族の竜の見分けがつかなかった。シンヴレス皇子もバジスというフロストドラゴンの乗り手だが、皇子のバジスとヒルダのバースの区別も出来ないでいた。それはそうだ、改めて今日から再チャレンジだからだ。全ては今日から変えるし、変えて見せなければならなかった。
バースは干し草の上で丸くなっていた。
「よくまた来てくれた。それに何だか物々しいな。そのダガーは投擲用ということか?」
「はい、最近練習の方を始めまして」
「ヒルダ嬢も頑張っていたのだな」
そして目を閉じたままのバースを見て、グランエシュードは溜息を吐いた。
何か厄介事を抱えているのだろうとヒルダも察した。
「バースだが、ワシも操るのには苦労している。ウォーから聴いたが、バースをワシが操り、ウォーの竜の背から乗り移ってみるということだったな?」
「ええ、できそうですか?」
「うーむ……できれば、この場で心を掴みたいところだが」
グランエシュードの悩める視線を受けてもバースは目を開かなかった。
「バース、起きて」
ヒルダは眠れるフロストドラゴンに声を掛けた。七メートルもある巨体が一瞬、身動ぎし、バースは目を開いた。
「バース!」
ヒルダは呼びかけに応じてくれたことに感動した。だが、バースはヒルダを一瞥すると、つまらなそうに再び目を閉じた。
「バース、起きろ、空へ行くぞ!」
グランエシュードが声を出すと、バースは面倒くさそうにのっそり起き上がった。
「いつも飛んではいるのですか?」
「まぁな。好き勝手飛んでくれる」
「ヒルダさん、エシュード殿、準備はどうだ?」
飛び口でレッドドラゴンのバッシュに乗ったウォーが声を掛けて来た。
「今連れて行く。行くぞ、バース」
グランエシュードが手綱を引くと、バースは抵抗するように牛歩で進み出た。
「本当に大丈夫でしょうか?」
「無茶があると思う」
並んで歩きながらヒルダとグランエシュードは話をした。
バッシュの隣に並ぶ前に、幾つかの竜が飛び立って行った。
ああいう風になりたい。ヒルダはバースを見た。バースは飛び口へと向き合った。グランエシュードが背中に乗る。
「ヒルダさんは俺の背へ」
ウォーが言った。
レッドドラゴンのバッシュはヒルダを喜んで乗せてくれた。ヒルダはウォーの両肩に掴まった。
「どれ、バース、飛ぶぞ」
グランエシュードが手綱を振ると、バースはまるで嬉しそうに大きく鳴いて、飛び口から発って行った。
ヒルダも後を追うためにウォーの肩に捕まった。
「よし、俺達も行こう。準備は良いかい?」
「はい!」
ヒルダは返事をした。
その途端、赤い翼が開き、はためいた。そして飛び口から発って行った。
空は晴天、雲は疎らだ。
綺麗な空と太陽に感動していると、さっそく、下の方に竜の飛ぶ影が見えた。それはどんどん上昇し、グランエシュードの乗った青い鱗を纏ったバースが姿を見せた。
「ウォー、どうする!?」
「まずはバースの鬱憤を晴らすべきでしょうか!」
並走しながら羽ばたきの音に阻害されながら二人の乗り手は声を交わし合った。
「了解した。しばらく飛んで来る」
グランエシュードが答えると、バースは大きく逸れて空を自由に飛び始めた。
「今回の目的だが、ヒルダさん」
「は、はい」
「バースを操ろうとは気負わないで良い。ただ背中に乗り、バースがどんな反応を示すのかだけ、知れれば良い」
「分かりました」
「では、しばらく空の旅を楽しもうか」
ウォーが言い、ヒルダは多少安堵していた。バースを操ることはできないだろう。もしかすれば乗ることさえも拒まれるかもしれない。
そうして空への感動は薄れ、心配事ばかりが脳裏を過ぎる。
やがて、グランエシュードとバースが再度合流した。
「バースの機嫌は上々だ」
グランエシュードが言った。
「ならば、試してみましょう。行けるかい、ヒルダさん?」
行かなければならない。腰に帯びているのは竜乗りの証だ。私は竜乗りなんだ。
「行きます!」
バースがほんの少し高度を下げた。
グランエシュードが軽く見上げて頷いた。
「大丈夫、何かあっても助けるから」
ウォーの声が隣から聴こえた。
竜と竜の隙間から見える緑と茶の大地がまるでヒルダを呼んでいるようにも思え、少しばかり狼狽したが、ヒルダは、思った。何のために強くなろうとしていたのか。その結果を試す時なんだ。バースを信じる。
ヒルダは跳び下りた。
そしてフロストドラゴンの背に降り立った。
「ワシの肩を掴んでなさい」
グランエシュードが言った。
バースは順調に飛んでいた。おそらくグランエシュードがいるからだ。操ろうと思わなくても良いか……。ウォーはああ言ってくれたが、ヒルダは馬術訓練のことを思い出し、何のための訓練だったのかと悔しく思った。
だが、バースは順調に飛んでくれている。グランエシュードの存在感のおかげだとは百も承知しているが、まずは焦らずこれで良いことにしようとヒルダは無念の思いにそっと蓋をしたのであった。




