第七十二話:帝都を発つ
第八章は奇数日の十二時に投稿します。
「誠に申し訳ございません」
顔色の悪い中年の神父が、バルビエリ学部長に平身低頭で謝っている。
「祝福を担当する筈の司教が、急に体調を崩されてしまいました」
代わりの司教を手配している処らしい。
「もうよい。私からヨギ司教へ頼む」
バルビエリ学部長はカークへ目配せすると、建物の奥へと行ってしまった。
「ヨギ司教はシスター・メリィのお兄様です」
クリフト司祭がコッソリと教えてくれる。
(世間が狭いぞ)
カークは諦めに似た感情が湧く。
「お待たせしました」
十分間が過ぎた頃に、小柄で猫背の老ノームが姿を現した。後ろからバルビエリ学部長が着いて来ている。クリフト司祭とブロンディ助祭の新婚夫婦は、素早い動きで荷物の前を片付けた。
「宜しくお願い申し上げます」
カークは帝国標準語の発音で告げる。
「はい、こちらこそ。金魂漢の顧問殿」
ヨギ司教と呼ばれた老ノームは、小柄で猫背だが矍鑠とした話し方だ。
(そう言えば、初めて黄金の魂と言われたのは、シスター・メリィだったな)
カークは礼儀正しく挨拶を交わしながら、並列思考をしていた。
厳かに儀式は行われ、冷凍乾燥装置は祝福される。厚手の白い布に包まれた護符も授かった。
「無事に終わることができて安心しました。メリィにも宜しくお伝えください」
カークに挨拶するヨギ司教は腰が低い。
「ありがとうございました。確かにお伝え致します」
カークも丁寧に返す。
「では、宜しく頼むぞ」
バルビエリ学部長の言葉を合図に、多くの関係者に見送られて教会を後にする。アルベルトは大人しく馬車を牽いていた。
(恐らく<寂しん坊の指環>を使って、教会に残る武闘派へダメージを与えたのだろう)
カークは考える。
(ギブ・アンド・テイクだな)
今回の費用である金貨二十枚に含まれていたのだ。
◇◇◇
『余裕を持ってノース地区で一泊するか、少し飛ばして隣街まで進むか?』
教会を出たカークは、テレパシーでアルベルトに相談した。
『武器や防具の補充がまだでござる』
常歩で進みながら応じてくれる。
『それは北端城に着いてからの予定だ』
今後の予定を伝えた。
『ノース地区で馬車も泊まれる宿を経験しておこう』
商人組合でリストを貰っている。
『安全策でござるな』
アルベルトは直ぐに理解してくれた。
門を出て境界線の川を越える。
『ここだ』
馬車も泊まれる宿屋は、商人組合の事務所に近い場所だった。厩舎を備えた駐車場は広く、厳つい警備員によってセキュリティは万全そうに見える。
(建物は古いが、清掃は行き届いているな)
カークは入り口付近で馬車を停め、御者席から表に居る案内役の従業員へ声をかけた。
「予約無しで一泊ですが、空いていますか?」
駐車場には余裕があったが、念のために確認する。
「その紋章はサーモントラウト侯爵家ですね。ようこそいらっしゃいませ」
受付の巨漢な中年男は馬車をチェックして、目敏く貴族の縁者であることを見抜いた。アルベルトが着けているハーネスに、二匹の魚がデザインされた装飾が施されていたのだ。
「駐車場には手前からお入りください」
丁寧に案内してくれる。
「ありがとう」
帝国標準語で言った。
「チェックインしたら、手荷物を取りに来ます」
アルベルトへ伝えるように装って、大きめの声で駐車場の係員へ告げる。彼は大柄なセントバーナード系の犬獣人だ。
「畏まりました」
丁寧な返事からは、質の高いサービスが期待される。
「いらっしゃいませ」
室内の受付カウンターでは、ふくよかな中年女性が応対してくれた。
「駐車料金は一律で銀貨二枚です。お部屋はシングルで宜しいでしょうか?」
カウンターで料金表を提示し、幾つかの候補を教えてくれる。
「シングルで素泊まりだと銀貨三枚、夕食と朝食付きであれば銀貨六枚でございます」
朝食だけをリクエストしたカークは、デポジットとして金貨一枚を支払う。鍵を受け取ると指定された三階へ行き、質素な個室を確認して直ぐに厩舎へ向かった。
「賢くて良い馬ですね」
駐車場の係員が、アルベルトを褒めてくれる。
「こんなに綺麗な毛並みを初めて見ました」
セントバーナード系の犬獣人なので、とても大柄だが表情は優しい。
「彼が来てから他の馬も大人しくなったのは、行儀の良さが伝播したのでしょう」
穏やかな口調だ。
「ありがたいことです」
静かに微笑む。
「お世話になります」
カークは丁寧に挨拶すると、御者席の下からブラシを取り出してアルベルトの毛を梳く。サーモントラウト家のニケのパートナーである精霊獣、ケルベロスのデューイの体毛を使ったブラシだ。昨年の春に生え代わった冬毛で作られていた。
『疲労回復と防虫効果が心地好いでござる』
アルベルトのお気に入りだ。
『明日は朝食後に出発するよ』
予定を伝えて飲み水へ治療魔法を染み込ませ、飼い葉には細かく砕いた魔石の粉末を振り掛けておいた。外で魔石をバリバリ噛らせる訳には行かないので、サーモントラウト侯爵に頼み専用の臼を用意して貰ったのだ。
『了解したでござる』
アルベルトは唇を捲り歯茎まで剥き出しにして笑う。
それをカークは横目で見ながら、御者席の裏に置いていたプランターを取り出した。二組のドリアードの若木だ。
(窓際に並べておこう)
そんなカークの思考に反応して、ユラユラと楽しそうに揺れる。事情を知らない一般人には只の木に見えるように、自ら認識阻害の魔法を発動していた。
(初日は支出超過だな)
カークは今日の履歴を出納帳に記録する。早めに宿が取れたので、情報を整理する時間に充てたのだ。
(後は在庫と単価を覚えておこう)
冷凍乾燥された食材とオーラルケア関連の商品、その他は細々とした消耗品がある。全ての商品が揃っているので、期首の棚卸しとしては完璧だった。
(商品別の価格表が必要だぞ)
取り引きの際に提示して、どのお客に対しても明朗会計を徹底するのだ。
(半年以上も文字を書く練習をしたから、俺にも綺麗な字が書けるだろう)
大雑把なレイアウトを決めて、取り敢えずは下書きをしてみた。商人組合の掲示板を思い出して参考にする。
(……筆記体は駄目だ)
自分でも読めなかった。
(デザインのセンスも必要なのか)
フリーハンドで書いてみたら、上下左右に文字が揃わない。試験の解答用紙には枠があり、罫線まで引かれていたのだ。
(思わぬ課題だな)
商人組合を通して専門の業者へ依頼することも考えたが、自分なりにできる処までは頑張ろうと決めた。
◇◇◇
『通常営業デスネ』
『お肉よー』
夕食には<ヘヴィ・ミート>の店を選ぶ。お上品な貴族の食事が続いていたので、どうしてもパンチの効いた肉料理を食べたくなったのだ。
「ラガーをジョッキで。料理はTボーンステーキをよく焼いてくれ」
ジョッキのウェルカムセットであるザク切りキャベツとジャーキーは、この店でも器からはみ出るほどの大盛りだった。
(お酒は控えめにしておこう)
カークはラガーを二杯で止めて、ジンジャーエールに変更する。Tボーンステーキは食べ応えのあるボリュームだ。
(これだな。素材の味を前面に押し出してくる旨さが嬉しい)
塩コショウは効いているが、それは臭みを消すのではなく脂の甘さを引き立てる効果がメインである。歯応えと共に堪能した。
奥まった中二階のテラス席には、狐獣人のボディーガードと二人の魔法使いが居る。年老いた髭の長い白髪頭と、ブルネットの若い女性だ。
(二人体制で臨まなければならない程に忙しいのか、もしくは引き継ぎなのかも知れないぞ)
カークは視線を反らして考え、ドレッシングは付けずに塩茹でしたブロッコリーを食べる。栄養のバランスを考慮したのだ。
デザートのフルーツに、味覚を共有しているフェアリーが喜ぶ。
(年明け早々にも関わらず、こんなにも新鮮な果物が提供できるとは、流石は帝都のお店だ)
これから旅の生活が続くので、贅沢に慣れて堕落しないように自戒した。
◇◇◇
『フルーツが美味しかったデスネ』
『アトラクションがなかったわー』
『厩舎は静かだったでござる』
カークは店の値段表を思い出して、そのレイアウトを分析していた。
続く