第六十四話:ドワーフの蘊蓄
第七章は奇数日の十二時に投稿します。
(明日から十二月だというのに、大森林の気温は変わらないんだな)
気温は二十五度前後、湿度は六十パーセント台が保たれている。妖精達にとっても快適な環境だ。
『カーク兄さん、楽しいですね』
『兄ちゃんも元気だね!』
フェンリル姉弟はいつもご機嫌である。
「カーク殿、アッチに居るぞ」
天翔馬のアルベルトが魔物を見つけたようだ。カークは注意して<寂しん坊の指環>を制御する。効果が高くなったので、悪意を持つ魔物が逃げてしまうのだ。最近では油断していると、オーガクラスでも近寄らない。
「迷い亀でござる」
正式にはデビルトータスと呼ばれる魔物だった。体高一メートル、体長は三メートルに迫る頑丈な甲羅に守られた堅いヤツだ。
「魔力で蹄を硬化しておかなければ、ウッカリ踏んで傷付いてしまう厄介者でござる」
普段は大森林の外れにある岩場に棲息しているが、年に数回は迷い込んで来ることがあった。
「雷系の魔法がよく効くが、今のメンバーではチト苦戦しそうである」
その言葉に反応して、ケルベロスのデューイがのっそりと前に出てくると、体高三メートルの高みから亀を見下ろす。
『任せて安心デスヨ』
フェアリーが請け負う。
三つ首の真ん中にある頭が口を開くと、パリパリと鳴らして強力なサンダー・アローの魔法を放った。右の首は青い目、真ん中は黄色い目、左は赤い目をしている。魔法はオールマイティなのだろう。
「吾が輩が運ぼう」
アルベルトの言葉に呼応したデューイが、前足で亀をゴロンとひっくり返した。付近に生えていた蔓を巧みに操ると、牽引しやすいように縛る。流石はエルフの精霊獣で、蔓が意思を持つかのように動かしていた。
青い目をした右の頭は、口から冷気を吐き出して亀を凍らせる。急速冷凍することで鮮度を保つのだ。サンダー・アローの電撃と急速冷凍による低温で、寄生虫の全ては死滅された。
『乗っても構いませんか?』
『乗せて!』
軽量化の魔法が掛けられた亀は、アルベルトに牽かれている。フェンリル姉弟はその周囲を歩いていたが、乗ってみたい、という好奇心が湧いてきた。
「構わんでござる」
あっさりと許可を得た二匹は、大喜びで亀に乗る。珍しい大物が獲れたので、少し早いが今日は帰ることにしたのだ。
『楽しいです』
『動いてる!』
フェンリル姉弟が乗っても余裕がある大きさの亀は、アルベルトによって静かに牽引されている。一度馬車に乗ったことのある二匹だが、その時は外の景色が見れなかった。自分で歩かなくても移動する体験に、新鮮な喜びを感じているようだ。
はしゃぐ姉弟にアルベルトも喜んでいる。
『楯を作りナサイ、と言ってイマス』
デューイの言葉をフェアリーが翻訳してくれた。
(遠慮は……するだけ無駄だな)
カークは素直に受け入れたのだ。
「それは良いアイデアだな。早速手配しよう」
デビルトータスを持ち帰ると、デューイの提案にアポロが賛成する。明日にも専門の業者を呼んで、加工を依頼することになった。
◇◇◇
週が明けた月曜日からは、帝国大学の工学部車輌学科へ通学する。校舎は大学の構内でも北東の外れに位置しており、騒音対策のために他の建物から離されていた。
食堂も併設されているが数学科からは遠いので、残念ながらブリジット先生とのランチは無理である。
「おはようございます」
早朝にガレージを訪れたカークは自分から挨拶した。
「おはよう。ではタイヤから説明しよう」
老ドワーフのハーマンはいきなり話し始める。
「タイヤの接地面はジャイアント・アナコンダの腹の革製で、耐久性とグリップに優れている」
直径一メートルで全長十メートルを超える巨大な蛇の魔物だ。背中側は硬すぎて使えないが、腹は適度な柔軟性を持っている。厚みも丁度よい。
「数百キロの体重を支えて地を這うので、耐摩耗性は保証済みだ」
ブロック状のトレッドパターンは、どんな路面でも確実にグリップを保持して走破すると思われた。
「ホイールの構造は、デビルトータスの甲羅からヒントを得た」
直径八十センチのホイールの中央から、六本の太いスポークが放射状に伸びている。鋼鉄製の鋳物だが、いかにも剛性が高そうだ。
「タイヤとホイールの間には、空気入りのチューブが巻かれて接着されているんだ」
この構造のお陰で、適正な空気圧を保てば快適な乗り心地が得られる。
「チューブはハード・ローパーの触手だぞ」
またもや魔物の素材だった。
「金属に対する粘着性が高く、穴が空いても直ぐに埋まる復元性も兼ね備えた優れモノだ」
自慢気に胸を張る。
「討伐するには厄介な特性だが、こうやって使えばとても便利だぜ」
新たな知識を目の前にして、カークは既に食傷気味だった。
「これがタイヤに空気を入れるポンプだ」
巨大で頑丈そうな圧縮機で、ワイバーンの魔石が仕込まれている。魔力を流せば風魔法が発動し、高圧を発生させるのだ。
(動力源の魔石だけで金貨二百五十枚だなんて、一体総額は幾らになるのだろうか?)
カークは目眩すら覚えた。まだタイヤだけである。
(軍と大学がタイアップすると、資金は無尽蔵に注ぎ込まれるんだな)
最先端のテクノロジーに感心すると共に、気合いを入れ直した。
「タイヤについての詳細は後で説明する。関連して蕪型から引き継がれたのが、このフェンダー構造だ」
タイヤの上半分を覆う円弧状の鉄板を示す。
「回転するタイヤが跳ね上げる泥や砂利を、周囲へ飛散させないように受け止めると同時に、タイヤ自体を保護する機能を持たせてある」
タイヤの前後にはフェンダーからの延長で垂直に鉄板が取り付けられており、ボディを傷付けないようにガードしていた。
「両サイドとリアには、バンパーを取り付けた」
二本の長いパイプが水平に吊られている。ボディの保護と、タイヤが障害物を巻き込まないための対策だ。
「ボディの外板は松脂を多く含む神聖松だ。耐水性が抜群なので、帝国軍では標準仕様の材料として採用されている」
堅牢なラダーフレームに架装されたボディは、幅は二メートル、高さが一メートル五十センチ、長さは四メートルもある巨大なモノだった。全ての角と辺に対して、面取りを施してあるのが特徴的だ。
「応力を分散させる構造だよ」
カークは授業で習ったことを思い出す。
「御者席の上に前傾した庇が突き出しているのも、蕪型から引き継がれた設計だ」
御者席はバケットシートが三つ並んでいた。座り心地が良さそうだ。真ん中の席が前にあり、左右の席は少し後ろに下がって配置されている。御者席のすぐ後ろには、分厚いガラスが嵌め込まれた窓があった。
庇の先端部の内側には小さな棚が備えられ、弾力性のあるストラップで挟むことにより落下防止策が施されていたのだ。
「中を見てみよう」
馬車の後ろへ回る。
「タラップは折り畳み式で、コンパクトに収納できて邪魔にならない」
試しに降ろしてみると、思ったよりも幅が広くて頑丈だった。
「貨物室のドアは中央から左右へ開く、折り畳み扉を採用した」
鴨居と敷居にレールがあり、開閉動作はスムーズに行える。全幅に渡る開口部は広く、荷物の積み降ろしはとても容易だ。貨物室内は天井が高いので、それほど屈まなくても作業できるのは優れた点だった。壁に幾つかスリットが刻まれており、高さを変えて棚板が嵌められる構造だ。帝国軍の規格に沿ったサイズの、折り畳み式コンテナがピッタリと収まる。
乗り込むと、二つの違和感を覚えた。
「気付いたか?」
ハーマンがニヤリと笑う。
「まずは目に見える処から紹介するぞ」
指先で壁をトントン叩く。
「アイアン・ビーを知っているか?」
名前だけは聞いたことがある。
「奴等は鉱山に棲息していて、特殊な鉱物を使って巣を作るんだ」
蜂の巣は独自の構造をしていた。小さな六角形の区画に分けられ、かなりの強度を持っている。最小限の素材で無駄なく効率的に空間を利用する、ハニカム構造と呼ばれる最適な形状を実現していたのだ。
「アイアン・ビーが精錬した鉱物は、軽くて硬い」
現代ではアルミニウムと呼ばれる物質だった。
「最高機密だが、そのハニカム構造の安定した製法が確立できたんだ」
アルミ箔によるハニカムコアをアルミ板でサンドイッチした、軽くて剛性の高い板が産み出されたのである。間も無く量産化されるその素材が、ふんだんに惜し気もなく使われていた。
「コストを度外視すれば、現在で最高峰の構造体だぞ」
接合部は高位の雷魔法使いにより溶接されている。
「ボディ側面の下半分は、外側へ倒して開く」
ヒンジは外側へオフセットされていて邪魔にならず、重量物や長尺物の出し入れに便利だ。
「もう一つの違和感を説明しよう」
ハーマンが先に降りる。
◇◇◇
『住めそうな馬車デスネ』
『モバイル・ホームねー』
妖精達も興味を持ったようだ。
続く