第六十二話:修了証
第七章は奇数日の十二時に投稿します。
「あら、カーク。おめでとう」
毎週金曜日のランチは、ブリジット先生と一緒に食べる約束だった。それも集中講座が終わった今日が最後である。借りていた官報も返却するだけだ。
「半年間も頑張った甲斐があったわね」
お年を召した彼女が頭を撫でてくれた。
「結果発表は午後だと聞いていましたが?」
カークは静かに呟く。
「えっ?」
彼女は慌てて席に着いた。
「まあ、誤差の範囲内よ」
半年間に対して三時間は、確かに誤差といえるかも知れない。
その後はいつものように食事をした。
そして別れ際に彼女からハグされる。
「カーク。貴方も私を置いて行ってしまうのね」
彼の胸に顔を埋めて呟く。
「生徒は皆がそうなのよ」
意外な一面を見た。
「教師である私を残して、卒業してしまう」
いや、納得できる反応だ。
「きっと、お嫁さんを紹介しに来なさい」
ブリジット先生は、命令することで彼に甘えている。
◇◇◇
「おめでとう、カーク」
シエスタが終わる五分前に集中講座の教室へ到着すると、入り口で待ち構えていた担任のサルトリウスが握手をしてくれた。
「よく頑張ったな」
何故か誇らしげな表情だ。
「テストの度に厳しい結果を突き付けられたが、それに負けず立ち向かった姿は忘れないぜ」
まだ握手を離してくれない。
「第一回の集中講座で、最年少の合格者だ。自信を持って構わないぞ」
嬉しそうに笑った。
「ありがとうございました」
お礼を述べて教室へ入る。
「こちらへ並んでね」
商業課の受付嬢が列へ並ぶように案内していた。教壇に立つ学長から修了証が授与されるのだ。そして黒板には<本校七十三年ぶりの快挙! 受講者全員合格!>と書かれた横断幕が貼られていた。
(学長の横に座っているのは、この集中講座の関係者だろうか?)
いかにも地位が高そうな高齢者が揃っている。バルビエリ学部長やサーモントラウト侯爵のアポロまで居た。いわゆる来賓席である。教会の高位らしき僧侶の姿もあった。
やがて受講者の三十人全員が列に並んだ。
(何故だ?)
学長の話が済み受講者一人ずつに修了証を手渡し始めると、カークが持つ<寂しん坊の指環>が反応した。敢えて探さず前を見ている。
貴族から順番に名前を呼ばれ行き、その次は退役軍人へと続く。このような行事に慣れているのか、誰もが迷いなく修了証を受け取っていた。残された者達はその行動を見て真似をする。カークは最後まで残っていた。
三十番めに呼ばれたカークは、大きな声で返事をして教壇へ進む。学長から言葉をかけられ修了証を授与された。両手を伸ばして受け取った際に、来賓席で一人の老人が倒れる。教会の司教だ、と誰かが叫ぶ。
「案ずるな」
高齢のエルフでもあるバルビエリ学部長が即座に対応すると、周囲の誰もがその言葉に従った。今この教室内では、彼が最高権威者なのだ。
「晴れの門出を邪魔してはならん」
厳かな表情で言った。
教会の関係者と大学の職員が集まり、倒れた司教を丁寧に扱う。ローブで隠していたが、手足が硬直して痙攣しているのを全員が目撃してしまった。
(まさか司教が……)
カークは呆然と立ち尽くす。彼が持つ<寂しん坊の指環>が反射したのは、司教から発せられた強い悪意と殺意だったのだ。
(かなりの強さだったな)
我に帰って修了証を持ち直し、深々と学長へお辞儀してから教壇を離れる。
◇◇◇
「おお……何故だ?」
懸命な手当ての甲斐なく、司教が息を吹き返すことはなかった。
司教は教会内の武闘派において、重要なポストを担う人材である。
最近の彼は苛立っていた。
薬草の村の襲撃失敗から古代人の霊廟崩壊、彼の大切なアサシントリオの失踪。更にはアーユから北端城へ向かう街道で教会の聖騎士団が犯した失態まで、証拠は無いが必ずこの<治療士の商人>と呼ばれる少年が絡んでいると確信していたのだ。
一時期から教会内にいるエルフ達の動向が、全く掴めなくなってしまった。
焦りを感じた司教は、その少年へ<見つけたぞ>というメッセージを送ったのだ。しかし、その日から<治療士の商人>という言葉が聞こえなくなった。代わりに<教会の顧問>という肩書きとなる。
(エルフが反応したのか?)
疑問に思った彼は、実際に会って顔を見てやろう、と思い立つ。
そして死んだ。
「カークは<教会の顧問>であって、只の<治療士の商人>じゃあない」
開拓者向け集中講座で担任を勤めるサルトリウスが、カークと親交の深い二人の受講者、スコットとデンゼルに伝えた。その瞬間から<治療士の商人>という言葉は使われなくなっていたのだ。
「愚かな男だったな」
マルセリーノ・バルビエリ学部長は呟く。
教会のエルフと連絡を取り、亡くなった司教を<開拓の殉教者>に仕立て上げることにした。
後進の育成に力を注ぎ、彼等の晴れ姿を見届けてから天に召された、というシナリオだ。彼の功績を称えるために、どんな生活を送っていたのか、多くの人間に興味を持たせることが目的である。どんなエピソードでも美談にしてしまい、教会の好感度向上に繋げるのだ。
これにより武闘派の行動は大きく制限されてしまう。
◇◇◇
(愚かな老人だったな)
帰りの馬車に揺られながら、カークは独りで考えた。
(跳ね返されて動けなくなるほどの悪意と殺意を、初対面の俺に浴びせてくるような奴だ。教会の司教だか知らないが、自業自得としか言いようがないぞ)
自分へ悪意を持つ相手を、攻撃することに忌避は感じない。これまでにも多数の盗賊を倒してきたのだ。
(盗賊も教会も、人間の本質は変わらないのか)
半年間の集中講座で多くを学んだ。
苦労した交渉についても、卒業試験でチームの皆へ予防安全を受け入れてもらえたことで自信がついた。
(まあ、あの状況で俺に疑惑を持つ者は居ないだろう)
教室内の全員に注目されて、修了証を両手で受け取っていたのだ。逆に一番無防備な存在だったといえる。
(巻き込まれてしまったからには、どうやっても逃れられない。貴族や教会の社会とは、そういうモノなのだ)
恐らく<互助会>の仕事を通じて、それなりの評価を得てしまったのが切っ掛けだった。いわゆる<権力者>に眼を付けられた状況だ。
(一日でも長く、生き延びてやるぞ)
カークは強い意志で決めた。
「お帰りなさい」
サーモントラウト侯爵家の屋敷へ戻ると、エルフのニケが出迎えてくれる。
「本日はカーク殿が、集中講座を無事にご卒業なされたことをお祝い申し上げます」
既に連絡が届いていた。
「半年間の努力を労って、今宵はささやかながら祝宴をご用意しておりますのよ」
薄い水色のロングドレスが美しい。
「ありがとうございます」
司教の一件で忘れていたが、彼は卒業できたのだ。
「旦那様がお戻りになられるまで、今しばらくお部屋でお寛ぎくださいね」
全てを癒してくれる、女神の微笑みだった。
(……そういえば、シスター・メリィとの出逢いが始まりだったのか)
部屋へ戻って着替える際に、腰へ提げた<魔除けの鈴>を見て猫背な老女のノーム・シスター思い出す。
(古代人のアーク・リッチを倒してから、教会の揉め事に巻き込まれてしまったんだな)
薬草の村にある教会の顧問になったことで、助けられているのも事実だった。毎月の顧問料として、金貨五十枚が支給されているのだ。
サウナとシャワーで気分転換したカークは、身の回りの道具を片付ける。教科書やノート、添削された答案用紙など、集中講座に関連する資料だ。これは貴重な財産として、これからの人生に役立ってくれるだろう。
丸めて筒に入れて持ち帰った修了証は、虎獣人のリックが預かってくれた。専用の保管ファイルを用意してくれているらしい。
祝宴の前にアポロから呼び出された。
「卒業おめでとう」
彼の書斎へ行くと握手してくれる。
「まずは祝福を」
穏やかな回復魔法を掛けてくれた。
「司教は亡くなったよ」
当たり前のように告げる。
「教会内部の情勢に、かなりの影響を及ぼすと考えているんだ」
カークもエルフの仲間と認定されていた。
「原因は不明だが<寂しん坊の指環>は、かなり強化されているように感じた」
アポロは静かにカークを眺める。
『魔力が貯まりマシタ』
『チューンナップよー』
フェアリーと紋白蝶が答えた。
バルビエリ学部長がフェアリーにプレゼントしたネックレスには、キマイラとグリフォンの魔石が使われている。そして、その魔石にはカークの魔力を貯めておけるのだ。
フェアリー曰く、その魔力を絶えず<寂しん坊の指環>へ循環させることによって、今では受けた悪意を五倍に増幅して反射できるようになっていた。
その機能は全方位に常時展開されており、自動的に発動される。有効範囲は半径三十メートルだ。
「凄まじいな」
アポロは呆れた顔で呟いた。
「でも悪いことではない」
気を取り直したようだ。
「では、祝宴を開こう」
そう言って席を立つ。
◇◇◇
『おめでたいデスネ』
『ご苦労様でしたー』
祝宴の料理とお酒は美味しかった。
続く