第一話 女将の話
「まあまあ、遠いところをよくおいでくださいました。宝玉館の女将でございます。
この度は、当館をご利用いただき、誠にありがとうございます。
どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください。」
玄関で客の荷物を受け取りながら、女将がにこやかに頭を下げる。
「こちらがフロントでございます。受付をお願い致します。今日はお天気にも恵まれて、良いご旅行ですね。」
人なつこい笑顔の女将は髪をきれいにまとめ、かっぷくのある姿に灰桜色の結城紬がよく似合っている。
「では、お客様、お部屋にご案内いたします。どうぞこちらへ。階段が少し急でございますから足元お気を付け下さいまし。」
二階へと続く廊下は静かで、古い木の香りがする。
「本日はこちらの“梅の間”になります。十畳と四畳半の続き間でございます。内風呂も温泉になっておりますので、いつでもお好きな時にどうぞ。」
女将は手際よくお茶を入れながら、微笑む。
「熱いのでお気を付けください。こちらは当館名物の温泉饅頭になります。よかったらお召し上がりくださいませ。なかなか評判で、最近ネット通販も始めたんですよ。」
「お客様は、神奈川から。まあまあ、遠いところを。
お車で5時間…。それはお疲れになったことでしょう。ゆっくり温泉につかって、疲れをいやして下さいまし。大浴場も24時間、いつでもご利用いただけますから。何かありましたら、フロント0番までお願いします。
何なりとお申し付けくださいませ。ではごゆっくり。」
女将は深々と一礼し、静かにふすまを閉めた。
日が暮れはじめ、廊下に灯がともる。
プルルル、プルルルと部屋の電話が鳴った。
「お客様、おくつろぎのところ失礼します。
夕食の準備ができましたので、1階食事処までお越しください。」
食事処には4人掛けのテーブルが8つほどある。
「お客様、こちらへどうぞ。
お飲み物はいかがいたしましょう。ビール…、ではビールを1つお持ちいたします。」
「お待ちどうさまでした。では、お注ぎ致します。失礼します。」
冷えたグラスにビールがなみなみ注がれた。
「では、料理の説明をさせていただきます。
こちらは食前酒の梅酒です。地元の梅を使った自家製になります。
八寸はこごみの白和え、いぶりがっこのクリームチーズ、温川温泉の飲泉で炊いた蕗味噌、鮎の一口甘露煮、宝玉館特性クルミの飴炊きです。この辺で採れた新鮮なものを使っております。ご賞味ください。」
食事処には、この後出てくるであろう焼き物の香ばしい香りが漂っている。
客同士の会話は小さな音となって、食事処の落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「お待たせしました。続いては、お造りになります。
本日水揚げされた、ヒラメ、ツブガイ、タイのお刺身です。
生わさびでお召し上がりください。
ビールのお代わり、承知しました。すぐにお持ちしますね。」
すぐに冷えた瓶ビールが持ってこられた。
ビール瓶はうっすらと結露している。
「お待たせいたしました。冷えたのをお注ぎしますね。さあ、どうぞどうぞ。この後、焼き物、強肴となります。
お腹がいっぱい…、あら、お客様、これからメインですから、まだまだ美味しく召し上がってくださいまし。」
女将は笑って、調理場に戻っていった。
「こちらは甘味の山ぶどうのシャーベットになります。本日のお料理、以上になります。
美味しくお召し上がりいただけた、そうですか、それはありがとうございます。調理スタッフにも
おほめの言葉をいただいたと、伝えておきます。」
女将は深々とお辞儀をした。
「はい。何でございましょうか。何かご質問がある。この宝玉館の成り立ちを知りたい。
左様でございますか。長くなりますがよろしゅうございますか。かまわない、そうでございますか。では、お聞きくださいませ。」
「この宝玉館が出来ましたのは、約150年前、明治末期の頃でございます。
初代・弥彦はもともと旅の行商人でございました。ある旅の途中、足を痛め困っていたところ、この地を通りかかり、湯けむりを見つけたのでございます。近づいたところ、乳白色のきれいな温泉で、温度も頃合い。
ケガした足を入れてみたところ、みるみるうちに痛みが引いたそうでございます。この温泉の治癒力に心打たれた弥彦は、多くの人にこの湯を分け与えたいと、一念発起し、一人で温泉宿を作ったというのが、この宝玉館の始まりでございます。その後二代目の宗彦が現在の母屋を建て、増改築を経て現在に至ります。」
「宝玉館の成り立ち、こんな感じでございます。いかがでしたか。
わたくしですか。わたくしは関東の生まれで、この地には縁もゆかりもございませんでしたが、やはり、縁があったんでございましょうね。主人と結婚して20年になります。え、結婚のなれそめ。そうでございますね、実はこの宝玉館と関係があるんですよ。では、ここだけの話ということで…。」
女将は着物の襟もとをただし、話し始めた。
「実は、結婚前、私もこの宝玉館に泊まりに来た客だったんですよ。静かで自然豊かな所でゆっくりしたいと思いましてね、ここに宿をとったんです。美味しい夕食をいただいて、温泉に浸かって、布団に入ってすぐに寝つきました。すると不思議な夢を見たんです。何だか、夢の中に着物を着たおかっぱ頭の小さな子供が現れまして、私の小指に赤い糸を結び付けるんですよ。その赤い糸の先をもって、どこか遠くへ走っていく、という夢でした。気が付いたらもう朝になっていて、何やら廊下が慌ただしくて目が覚めたんです。」
女将は遠くを見るような目で、それでいて少し照れくさそうに続けた。
「部屋をノックする音がしましてね、中に入ってもいいかと言うものですから、慌てて身支度をしました。
すると、部屋の中に先代のご主人と女将、そして夫が入ってきたんです。しかも皆正装で。女将は紋入りの色無地、夫と先代は紋付き袴です。わたくし、もう驚いてしまって。だって、ねえ、お客様、ただの客の部屋に朝一で正装の夫婦とその息子が入ってきたら、何事かと、驚くのは当然でございましょう。」
女将は当時を思い出したのか、少し顔を赤らめながら続けた。
「3人が揃って手をつき、どうかこの家に嫁にきてくれと、こう申したのですよ。わたくし、この時初めて夫の顔を見ましたの。夫は緊張してかしこまった顔で、手をついて頭を下げている始末で。もう、何が何やらわかりません。一体全体、どういうことか、よく説明してほしいと、わたくしは申しました。すると、先代が
事の次第を話し出したんでございます。」
女将は先代の雰囲気を真似して厳かに話した。
「夕べ、夢に着物をきたおかっぱの小さな子供がでてきただろう。と、こう言うのです。もうびっくりしました。どうしてわたくしの夢を知っているのか。ありえませんでしょう。驚いて口を開けたまま頷きました。
すると、先代は夫の顔をみて大きくうなづきました。間違いない、どうぞこの家に嫁に来てください。あなたはここの守り神様に見初められた、息子の嫁になる人なんですよ。と。」
女将はその時のことを思い出したのか、着物の端をいじりながら、少し声も上ずっている。
「もちろん、そんな話、すぐに信じられるはずもありません。丁寧にお断りして、わたくしは家に帰ったんでございます。でもその後も夫からは何くれと連絡があり、わたくしの実家にも足しげく通い、結局結婚することになったんでございます。いえね、付き合ってみたら、夫は穏やかで優しい人とわかりましてね。
なれそめっていうのも何ですが、こんなところでございます。」
女将は大きく一呼吸し、何度か頷いた。
「この宝玉館には、いくつか不思議がありましてね。当主の結婚相手は、代々このように縁が結ばれてきたそうでございます。わたくしも含めてね。不思議なご縁もあるものです。お陰様で夫婦仲も悪くございません。相性の良い相手を家の守り神様が選んでくださって大助かりです。
他の不思議は何かって、それはまた長くなりますので、また今度にいたしましょう。」




