第14話 獣王の使者
翌朝。
王都オーミガルでは、昨日の騒ぎがすでに噂になっていた。
市場でも。
宿屋でも。
広場でも。
人々が小声で同じ話をしている。
「昨日、牙将ガイザと渡り合った旅人がいたらしい」
「ヒューマンの娘を庇ったそうだ」
「何者なんだ、あの若者は」
宿の食堂へ降りたルカは、向けられる視線の違いに気付いた。
昨日までは警戒だった。
ヒューマンだから。
黒炭病を恐れられているから。
だが今はそれだけではない。
驚き。
好奇心。
そして少しの戸惑い。
ルカは落ち着かない気持ちで席へ座った。
「見られていますね」
「そうだな」
ハルトはいつも通りだった。
硬いパンを手に取り、静かにかじっている。
「気にならないんですか?」
「何がだ」
「噂です」
ハルトは少し考えた。
「昨日のことか」
「はい」
「ルカは悪くなかった」
それだけだった。
ルカは思わず黙った。
ハルトにとっては、それ以上でもそれ以下でもないのだろう。
自分が目立ったことも。
ガイザと向き合ったことも。
王都中の噂になっていることも。
きっと重要ではない。
ルカが悪くなかった。
だから庇った。
ただそれだけなのだ。
「……ありがとうございます」
ルカが小さく言う。
その時だった。
食堂の入口が開いた。
空気が変わる。
数人のビースト族が入ってきた。
全員が揃いの黒い外套を羽織っている。
腰には剣。
胸元には銀色の牙の紋章。
食堂の客達が一斉に静まり返った。
「城の者だ」
「獣王の近衛か……?」
誰かが小さく呟く。
先頭に立つ男は、鋭い目をした戦士だった。
男は店内を見回し、ハルトの前で足を止めた。
「旅人ハルト」
低い声だった。
続いてルカを見る。
「そしてヒューマンの娘ルカ」
ルカは背筋を伸ばした。
「はい」
男は深く頭を下げた。
その行動に、食堂がざわめく。
「獣王ビストラ陛下の命だ」
獣王ビストラ。
その名だけで、ルカの胸が大きく鳴った。
「昨日の騒動は、すでに陛下の耳に届いている」
男は続けた。
「陛下がお前達に会いたいと仰せだ」
「私達に……ですか?」
「ああ」
男は頷く。
「本日、アズラド城へ来てもらう」
ルカは言葉を失った。
昨日まで、自分達はただの旅人だった。
世界樹の手掛かりを探して、王都へ来ただけだった。
それが今、獣王に呼ばれている。
現実感がなかった。
「長老衆も同席される」
男が付け加えた。
その言葉に、ルカは顔を上げる。
長老。
世界樹の話を知っているかもしれない者達。
ゴウカ砦で聞いた手掛かりだった。
「長老様も……」
ルカの胸に小さな期待が灯る。
世界樹について何か聞けるかもしれない。
母を救う手掛かりに近付けるかもしれない。
ハルトは静かに男を見る。
「なぜ会うんだ」
男は少しだけ目を細めた。
「詳しいことは聞いていない」
そして短く続ける。
「だが陛下は、お前達に興味を持たれた」
「興味?」
「昨日の広場で何があったのか」
男はハルトを見る。
「そして、お前が何者なのか」
その言葉に、ルカは隣のハルトを見た。
ハルトは何も言わない。
自分が何者なのか。
それはハルト自身にも分からない問いだった。
「支度をしてくれ」
男は一歩下がった。
「馬車を用意している」
そう言って、近衛達は食堂を出ていった。
残された食堂は、一気に騒がしくなる。
「獣王が旅人を呼ぶだと?」
「ただ者じゃないな」
「いや、あのヒューマンの娘も関係しているのかもしれん」
声が飛び交う。
ルカは落ち着かない気持ちで立ち上がった。
その時だった。
「やっぱりこうなったか」
聞き慣れた声がした。
振り返ると、ガルドが入口近くに立っていた。
腕を組み、少し呆れたような顔をしている。
「ガルドさん」
「昨日の騒ぎを見た時点で、こうなる気はしていた」
ガルドは肩をすくめた。
「牙将ガイザと正面から向き合って、何事もなく済むわけがないからな」
「私達、どうなるんでしょうか」
ルカが尋ねると、ガルドは真面目な顔になった。
「心配しすぎるな」
「獣王様は怖い顔をしているが、話の分からない方じゃない」
そして少し声を低くする。
「ただし、嘘はつくな」
ルカは頷いた。
「はい」
「お前が母親を救いたいなら、そのまま話せ」
ガルドは言った。
「飾る必要はない」
「自分の言葉で話せばいい」
ルカは胸元の首飾りを握った。
父の形見。
母との約束。
ここまで来た理由。
「分かりました」
ガルドは満足そうに頷いた。
そしてハルトへ視線を向ける。
「ハルト」
「ああ」
「お前は……まあ、余計なことをするなと言っても無駄だろうな」
ハルトは少し考えた。
「努力する」
「その返事が一番不安なんだ」
ガルドは深いため息をついた。
ルカは思わず笑ってしまう。
その笑いで、少しだけ緊張が解けた。
だがガルドの表情はすぐに真面目なものへ戻る。
「ここから先、俺はついていけない」
ルカは目を開いた。
「え?」
「俺の役目は、ゴウカ砦から王都までの案内だ」
ガルドは言った。
「城の中までは俺の仕事じゃない」
その言葉で、ルカはようやく理解した。
別れなのだ。
ルカにとってガルドは、森で出会ってからずっと二人を助けてくれた存在だった。
商隊を守り。
ゴウカ砦へ導き。
王都まで連れてきてくれた。
この国で初めて出会った、頼れる味方だった。
「ありがとうございました」
ルカは深く頭を下げた。
「ガルドさんがいてくれなかったら、ここまで来られませんでした」
ガルドは少し困ったように頭を掻いた。
「大げさだ」
「大げさじゃありません」
ルカは顔を上げる。
「本当に、ありがとうございました」
ガルドはしばらく黙っていた。
やがて鼻を鳴らす 。
「……そういう真っ直ぐな礼は苦手なんだがな」
そしてハルトを見る。
「お前もだ」
「俺も?」
「そうだ」
ガルドは少し笑う。
「変な奴だが、悪い奴じゃない」
ハルトは首を傾げる。
「それは褒めているのか」
「一応な」
ガルドは片手を上げた。
「行ってこい」
「はい」
ルカはもう一度頭を下げた。
宿の外には、黒い馬車が停まっていた。
車体には銀色の牙の紋章が刻まれている。
ルカとハルトは馬車へ乗り込んだ。
扉が閉まる。
馬車がゆっくりと動き出す 。
窓の外で、ガルドの姿が少しずつ遠ざかっていく。
ルカは胸の奥が少し寂しくなった。
だが同時に、前へ進んでいるという実感もあった。
世界樹への手掛かり。
長老達。
そして獣王。
王都の石畳を進みながら、馬車はアズラド城へ向かう。
巨大な城が近付いてくる。
ルカは息を呑んだ。
この先で、何かが変わる。
そんな予感がしていた。
――第14話 獣王の使者 終――
【次回】
第15話 獣王の間




