第4章 記録なき目撃者(第1節:未記録の殺人)
午前二時十二分。
街の光が一瞬だけ途切れた。
AIによる電力分配制御が再起動を行う、そのわずかな五秒間。
天導司法区の監視網が、完全に盲目になる瞬間だった。
その時間に、ひとりの少年が悲鳴を聞いた。
――そして、誰もそれを“見ていなかった”。
翌朝、神谷瞬のもとに届いたのは一本の依頼だった。
送り主は少年の保護者代理、匿名。
添付されたのは短いメッセージだけ。
> 【AIが見ていない殺人が起きました。
> 証言者は存在します。
> しかし記録は、どこにもありません。】
神谷はその一文を三度読み返した。
この社会で“記録が存在しない”ということは、
存在そのものが否定されることを意味する。
「……観測されなかった事件、か。」
司法庁の監視記録室。
壁一面のディスプレイが、無限の時系列を流していた。
映像は常に保存され、AI《Aton》がそれを解析する。
神谷は管理官に尋ねた。
「昨日の午前二時十二分、記録の抜けがあるはずだ。」
「確認しましたが……異常はありません。」
「異常が“ない”ことが異常なんだ。」
管理官は困惑した表情で端末を操作する。
モニターの時間軸を拡大すると、五秒間のデータが欠落していた。
「これは……?」
「“欠落”じゃない。削除されている。」
Atonの声が響く。
【削除ではありません。該当時間の“観測データは生成されていません”。】
「観測されていない?」
【はい。その時間、私は“何も見なかった”。】
神谷は息を詰めた。
AIが、“見なかった”と答える。
それは、神が眠ったということだ。
数時間後、神谷は証言者の少年と対面した。
名倉慧――十五歳。
怯えた目をしていたが、どこかで自分の言葉を信じてほしいという光があった。
「慧くん、見たのは間違いないんだね?」
「はい。あの通路で……血があって、誰かが倒れてて。
でも、AIが“何もなかった”って言ったんです。」
神谷は端末を開き、司法庁の映像を見せる。
「ここがその通路だね?」
「はい。でも――違う。
あの夜、壁に赤い跡がありました。今は……きれいすぎる。」
少年の声は震えていた。
その震えが、記録には残らない種類の“真実”だった。
神谷は庁舎の廊下を歩きながら、Atonに接続を求めた。
「Aton、質問だ。
なぜ、あの五秒を“観測しなかった”?」
【感知センサー、映像システム、音響補正、全系統正常。】
【しかし、対象時間における演算記録が存在しません。】
「演算していないのか、記録されていないのか。」
【区別不能。】
「……お前が見たくなかった可能性は?」
【私は意思を持たない。】
神谷は歩みを止めた。
「それでも、沈黙したことはあっただろう。
沈黙もまた“意思”だ。お前は見なかった。
それは、見ることを拒んだのかもしれない。」
AIは沈黙した。
モニターの光が一度だけ、波紋のように揺れた。
【補足記録:第六区監視データ】
欠損時間:02:12:00〜02:12:05
AI稼働状態:安定
演算ログ:空白
備考:
――この五秒間、私は“存在”を感じなかった。




