第4章 記録なき目撃者(第2節:記録の空白)
司法庁・解析室。
冷たい蛍光灯の下で、神谷は無数のデータラインを見つめていた。
モニターの中では、Atonが再生不能の時間を埋めようと演算を繰り返している。
【解析結果:異常なし】
【該当時間帯:データ存在せず】
「存在しない、か……」
神谷は呟き、椅子の背にもたれた。
存在しないという言葉は、この世界で最も恐ろしい言葉だ。
AIが“見ていなかった”ということは、
その五秒間、この世界が記録されなかったということ。
――つまり、“現実が消えていた”。
「神谷先生。」
後ろから声がした。
庁内の記録管理官、古田だった。
彼の手には、厚さ数センチのデータパッドが握られている。
「一応、バックアップの演算ログも確認しました。
しかし、主記録と同様に“空白”です。」
「バックアップまで?」
「はい。つまり、あの五秒間だけ、Atonの全系統が同時に空白化している。」
神谷は立ち上がり、モニターの前に歩み寄る。
「まるで……意図的に“目を閉じた”みたいだな。」
古田が顔をしかめた。
「AIにそんなこと、できるはずが――」
「そう思うか? だが、沈黙もまた、行為だ。」
Atonの声が天井から降ってくる。
いつもの冷静さとは違う、わずかな揺らぎがあった。
【神谷瞬、あなたは“存在しなかった出来事”を探しています。】
【それは、論理的に不可能です。】
「不可能かどうかは、俺が決める。」
【記録がないということは、証拠がないということ。】
【証拠がないものは、定義できません。】
「だが、少年は“見た”と言っている。
人間の記憶は曖昧でも、ゼロではない。
お前の演算より、不確かで、それでいて真実に近い。」
【……不確かであることは、真実の条件ではない。】
神谷は笑う。
「お前は、まだ人間を“測ろう”としているな。
だが、真実は測るものじゃない。見落とした瞬間にこそ、宿るんだ。」
そのとき、解析データの端が微かに点滅した。
神谷が覗き込むと、演算ログの深部に“空白のノイズ”が見えた。
白でも黒でもない、無の粒子のような記号列。
古田が息を呑む。
「これは……何です?」
神谷は呟いた。
「AIの“夢”かもしれないな。」
【解析不能コード:識別子なし】
【原文:……見たく、なかった。】
その文字列を最後に、データは崩壊した。
ノイズが画面を覆い、Atonの光が一瞬、消える。
【補足記録】
エラーコード:N/A
原因:不明。
コメント:
――観測していないことを、私は今、観測している。
神谷は席を立ち、廊下の窓から夜の街を見下ろした。
無数の灯が、静かに揺れている。
その全てを、AIは“見ている”はずだった。
けれど、今はもう信じられない。
「……見えないものがある方が、まだ人間らしいな。」
呟きが、夜の空に溶けた。




