第一九六話「危機は、もう其処まで迫っていた」
外壁建設も軌道に乗ってきた為、俺とレーネは手の空いた時間に作業も出来るようになった。魔石と薬の備蓄は多ければ多い程良い。
ただ、内乱が落ち着いているのはザルツシュタットとラウディンガー、その周辺位で、他の地域で蜂起したロマノフ帝国から来た間諜共の確かな仕事のお陰で、北西の地域などは既に帝国からの介入も含め五割を掌握されているような状況であった。
『北西部のゴルトモント隣接部について、これ以上押し返す事は現状難しいでしょう』
「そうなのですか……」
超長距離通信越しに聞こえるシュノール宰相閣下の声は暗い。幾らロマノフの人口が多いからと言って、隣国でも無いのにここまで押されるという事はあるのだろうか。
「ゴルトモント自体はまだ陥落していないですが、北西部の半分近くが掌握されている原因は、やはりグアンの併合によるものですか」
『はい、まさに』
俺が投げ掛けた質問に、宰相閣下は即答された。北東部のグアン王国はロマノフ帝国の介入開始後、早々に帝国へ併合を申し出たのである。するとぴったりと内乱が治まったと言うのだから答え合わせも甚だしい。
併合されロマノフ帝国の一部となったグアン王国からも他国への介入が始まり、ゴルトモントの南部が落とされている。其処を経由してやって来たロマノフ兵たちが我が国の北西部の内乱に介入して来たという訳である。まあ自作自演だが。
「一旦状況は分かりました、有難う御座います。であれば――ザルツシュタットが最前線となることも有り得ると言う訳ですね」
険しい山岳地帯の多いバイシュタイン王国で北西部から王都へ進軍するルートは二つ。アップダウンの激しい東の山道を通って行くか、それとも平坦で途中にザルツシュタットを含む多くの町が存在する南の海沿いか、である。
そして、北西部から南下した先にはザルツシュタットが在る訳で。そうなると此処が戦場になる可能性は十二分に考えられるのだ。
『仰る通りです。ですので、外壁建設の件、何卒宜しくお願いいたします』
シュノール宰相閣下との定期連絡はそんな話題で締め括られた。
どうやら、日に日に情勢は悪くなっているらしい。
ザルツシュタットより北は治安が悪化している為、ならず者を流入させぬよう、内乱鎮圧後、塩水湖とその手前に在る森との間に壁が構築され、検問所が造られた。
壁と言っても現在建設中のザルツシュタット新外壁のような立派なものではなく、取り敢えず造った間に合わせの木製である。それでも簡単に突破はされないようにはなっているが。
「様子を見に来たが、状況はどうか」
ザルツシュタットの北の外れに住んでいる俺はお付きの兵を伴い、こうして時々その検問所を訪れて様子を確認していた。本来は領主であるライヒナー候のお仕事ではあるものの、お忙しくていらっしゃるし俺が何もしない訳にもいかないので。
「ハントヴェルカー卿! はっ! こちら異常ありません!」
一二人居る監視兵のうちの隊長が櫓から降りてきて、俺に敬礼しながらそう報告した。物騒になっているこの状況で水際阻止の為に動員されている彼等には感謝しているが、裏切って侵入者の手引きなどされないよう、こうして俺が足繁く通って目を光らせていたりするのである。まあそんな事は言えないが。
「ハントヴェルカー卿、畏れながら、戦況をお教え頂けますでしょうか!」
「ああ、勿論」
そして俺が此処で単純に監視兵たちの様子を確認しているだけという訳ではない。日々超長距離通信でシュノール宰相閣下より各地の情報を受け取っている為、皆に伝える役割も持っているのである。
「ブルクミュラー候からは、本日時点で北西部は半分近くが掌握されていると報告があったそうだ。正直なところ押されているのが現状で、ここから北に在るブルクミュラー侯爵領の領都クラインブルクが落ちれば、早くて五日位でロマノフ軍が南下してくるだろうと見られている」
「そうですか……」
俺が伝えた内容に、隊長が強張った顔を見せる。今日明日にロマノフ軍が現れる訳では無いが、それでも不安なものは不安だろうな。
でも、此処は櫓と門と簡素な兵舎しか無いものの、突破されてはならない砦だ。辛いとは思うが緊張感を持ってやって貰いたい。
「いよいよもって状況は厳しい。重責に感じるとは思うが、検問ではほんの些細な違和感すら見落とさぬようにしてほしい」
「はっ! 了解いたしました!」
隊長が緊迫した様子を顔に表したままに敬礼をしたところで、俺は彼等を労ってから自宅へ戻ろうと踵を返した。あまり長く居ても仕事の邪魔になってしまう。線引きは重要である。
そんな時だった。櫓の上から「隊長!」と悲痛な叫びが聞こえたのは。
「どうした!?」
慌てて隊長が櫓を昇り始める。俺はと言うと、流石にこの状況で放り出して戻る訳にも行かず、足を止めた。
「て、敵襲です! 敵軍が迫っています!」
「……は?」
俺は思わず振り向いてそんな声を上げてしまった。敵襲? 敵軍?
そんな馬鹿な。まだクラインブルクは陥落していないんだぞ? もし今日落とされていたとしても、この速さでやって来る筈が無い。
「ちょっと確認させてくれ!」
状況を確認する為に、俺も櫓の上へ昇る。商隊と見間違えたのではないか、と淡い期待を持ち、櫓の台に上がった。
そして塩水湖の向こう岸には――紛れも無い、元グアン王国の鎧を着込んだロマノフ帝国の兵士たちが、塩水湖を迂回して此方を目指し進軍していたのだった。
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