第一九四話「一度噴出した不満を抑えることは難しいものである」
丁度風呂から上がったところでミロスラーフも帰ってきたので、「ウチの娘に嫌われたくなければ風呂に入っておけ」と言ったら素直に従っていた。彼奴もマリアーナから避けられるのは嫌らしい。天使だし仕方無いよな、うん。
その間に殿下、ディートリヒさんと一緒に工房でレーネから外壁建設の進行状況を確認しておく。内乱が起こっている以上、町の守りを強化することは最優先事項だ。
「セメント工場は、うん、そろそろ一部が稼働を始めるところだよ。石灰岩の切り出しも上手くいってるみたい」
「そうか、レーネのお陰で助かった。これからも外壁建設の件は任せて良いか?」
「絶対ヤダ」
冗談交じりに言ったら真顔で断られてしまった。仕方有るまい、引き継いで再び俺が推進してゆくことにするか。
ちなみにセメントは石灰岩を焼成して造るのだが、その為の燃料も要る訳で、その燃料はと言うとコークスになり、石炭からそれを造る為の窯も既に完成済みとの事だ。
人海戦術的な面が有るのだが、安全なザルツシュタットを頼り多方面から人々が集まっており、家屋の建築も急がれているのだそうな。ライヒナー候が過労死されなければ良いのだが。
「人が集まった事で、治安の面でも問題が有りそうだな」
「そこはそれ、冒険者も集まって来ているから衛兵さんたちを補助するお仕事に就いて貰っているよ。その為のお金が必要になるから大変だけど」
「そうだよなぁ……」
俺の指摘に明快な解決法を返してくれたレーネだが、妻の言う通りに働く人が増えれば金も必要になる。西のケチュア帝国とのやり取りでは残念ながら物々交換である為にお金は手に入らない。そこで得られるものをゴルトモント王国に持って行く事で、初めてお金が獲得出来るのである。
「……確か、ゴルトモントも内乱が発生しているのでしたか?」
「はい、ゴルトモントも、デーアも、グアンも発生しているようです。ロマノフについては情報が入ってこない為に分かりませんが……」
殿下の情報であれば確かなのだろうな。同時にこれだけの内乱が発生するなど、作為的以外の要素が考えられない。ミロスラーフが言っていた通り、この仕掛けを行ったのはロマノフ帝国なんだろう。
「おう、出たぞ」
と内乱の方へ話が移っていたら、丁度ミロスラーフが戻ってきた。先程まで詰所で尋問を行っていたようだが、何か新しい情報は得られたのだろうか。
「丁度内乱の話をしていたんだが、何か情報は得られたか?」
俺がそう話を振ると、ミロスラーフは「まあな」と言ってどっかとその場に腰を下ろした。相変わらず殿下がいらっしゃろうが態度の変わらない奴である。
「っつっても内容は単純だが」
「単純?」
「ああ、ロマノフ帝国が内乱に介入してその国を平定し、乗っ取る腹づもりってこった」
「……成程、単純だな。おまけに雑だ」
俺はあまりに質の悪い作戦に頭痛が起こる気分だった。内乱が国力を疲弊させることは故郷で実感している。しているのだが――周辺四カ国で内乱を発生させるなんて、結構な人員と金が必要だったんじゃないのか?
ただ、ロマノフは「畑で兵士が採れる」と言う言葉が有る位に、あんな過酷な環境下にありながらも無駄に人口が多い。作戦行動を起こせる人間は掃いて捨てる程居るし、鉱物や木材など資源に恵まれているため資金も潤沢なのだろう。
「コストパフォーマンスの悪い作戦ですわよね」
俺の思っていたことを殿下に代弁して頂いた。そこまでして内乱を起こすのならば、何か裏が有るのかと思ってしまう。
「ロマノフ帝国の狙いは、本当に内乱への介入だけなんだろうか」
「さてな。俺もルドルフ――教皇の野郎が本当に考えている事までは分からねぇが」
俺の質問に、ミロスラーフは肩を竦めている。教皇の名はルドルフと言うのか。その男が作戦についてすべての権限を持っている訳だな。
「介入されるとすれば、何時頃になるでしょう?」
「まあ早くて来年春だな。もっとも、ロマノフに接しているゴルトモントやグアンが先になるだろうが」
「ならば、それまでに内乱を鎮圧する必要があるのですね。……はぁ。わたくしたち王族も近年は安定した政を行っていたと思っておりましたが、不平不満を拭いきるというのは難しいものですね」
殿下はミロスラーフの推測に、憂いの籠もった溜息を吐いておられた。内乱というのは感情に依る部分が大きい為、一度火が付くと簡単には止められないのである。
「せめて俺たちは、ザルツシュタットに再び火が付かないよう治安を守っていこう」
俺はそう纏めて、外壁建設の話を進めることにしたのだった。
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