第一九三話「幕間:侯爵と黒騎士」
※三人称視点です。
日も傾いた頃、ミロスラーフを伴ったライヒナー侯爵はザルツシュタット中央詰所を訪れていた。用向きは勿論、この町で武器を取り蜂起した者たちから話を聞く為である。
昨日捕縛されたこれらの者たちがロマノフ帝国のスパイであるかどうかは黙秘されている為に分かってはおらず、確認の為にスズを呼んで隷属魔術を行使する事は検討されていたが、未だ実施はされていない。
「成程ね、と言う事は、ロマノフ帝国のアブネラ崇拝が歪んでいるのは間違い無いと」
「まあ、ケチュア帝国でもロマノフ帝国でもアブネラ様を信仰している事ァ間違い無いんだがな。何方が歪んでいるかは、神様に訊いてみねぇと分からねぇが」
詰所にある一室で尋問の相手を待っている間、ライヒナー侯爵はミロスラーフからケチュア大陸への遠征の話を聞いていた。この場にリュージが居ない以上隷属魔術の行使などは出来ないものの、ロマノフ帝国の神殿騎士は尋ねられた事へ素直に回答していた。
「ロマノフ帝国の方が歪んでいる事は疑いようも無いだろう。だって、帝国のアブネラ信仰は遙か昔に流れ着いたケチュアの民の様式に基づいているのだろう? ケチュア帝国の考えがオリジナルで有りながらロマノフ帝国の考えが大きく異なっている以上、帝国でのやり方が曲解されている事は示されているんだよ」
理路整然と解を導き出したライヒナー侯爵に、ミロスラーフは内心で舌を巻いていた。それ程詳しい内容までは話していないものの、一部の情報だけでアブネラ信仰についての正しい推論を導き出しているのだ。
「……流石に、善政を敷いておられる領主様は頭が良くていらっしゃる」
「お? 皮肉かい?」
ライヒナー侯爵は毒とも取れるミロスラーフの言葉へニコニコとそんな反応を示している。だが黒騎士はかぶりを振ってそれを否定した。
「いや、本心だ。ロマノフ帝国の皇族は代々野心家が揃っているし、その考えが混じって曲解されていったと考えるのは正しいと、俺も思う。いや、野心家は皇族だけじゃァ無いが」
話している途中でミロスラーフは一部を訂正した。ロマノフ帝国の貴族は、只管に相手を蹴落とす事に躊躇いが無いのである。それは例え相手が肉親であろうとも変わらない。
「野心家か……。確か、毒殺が異常に多いのだったか、向こうは」
「よく調べてんな、その通りだ。ロマノフ帝国の貴族は基本的に殺し合いでのし上がるのを由としている。そんな話を聞いて俺ァつくづく平民生まれで良かったと思ったよ」
正体がバレようが毒を盛ってくるのがロマノフ帝国のやり方である。貴族も皇族も、過酷な争奪戦を経た上でたった一つの椅子を勝ち取る為に日々を過ごしている。
「……と、来たようだぜ」
ミロスラーフが反応した直後にドアがノックされ、三人の衛兵が連行してきた目隠しと猿轡付きの痩せぎすの男を強引に椅子へと座らせた。
衛兵の一人により目隠しと猿轡を外され、男の顔が露わになる。男は自分の居るこの部屋を見回し状況を確認していたが、一人の黒騎士を見つけた途端にその顔が強張った。
「ミロッ……!」
その名を呼ぼうとした男が、慌てて言葉を飲み込んだ。だが時既に遅し、である。ミロスラーフは呆れた表情で男を睥睨した。
「おいおい、俺を知ってるって事ァ、ロマノフ帝国出身のスパイですって認めてる事になるぞ? もうちょい頭の良い奴は居ねぇのか、〈グアレルト〉には」
あくまで反乱の首謀者の一人として連行されて来ただけであったが、ロマノフ帝国の地下組織〈グアレルト〉の神殿騎士であるミロスラーフを知っていると自白すると言う事は、彼の言う通りにその組織の人間であることを言外にではあるが認めた事になる。
男はもう隠すつもりも無いのか、ミロスラーフを射殺さんばかりに睨み付けた。黒騎士はと言うとそんな視線には慣れているので涼しい顔をしていたが。
「貴様、ミロスラーフ! 組織を裏切ってバイシュタイン側に付いたのか!」
「半分正解で半分間違いだな。俺ァ組織を出たが、バイシュタイン側に付いている訳じゃ無ぇ。もっとも、隷属状態にあるから逆らう事ァ出来ないがな」
ミロスラーフはリュージに戦いを挑み敗北した後にスズから隷属魔術を行使されている為、強制的にバイシュタイン側へ付くようにされているのである。もっとも、現在の主であるリュージが甘い為、隷属魔術による尋問を行使されたことなど無く、自らの意思で行動している部分が大きいが。
「隷属!? お前程の人間が敗北を喫したと言うのか!?」
「ああ、初めて知る敗北の味は、中々に甘美だったぜ? まあ二度と負けるつもりは無ぇが、クックック」
そう嘯き含み笑いを上げるミロスラーフに、ライヒナー侯爵は「そこまでにしてくれるかい?」と右手を挙手して制止を掛けた。彼にとって目の前の男がロマノフ帝国の人間であると断定出来た事は僥倖であったが、今こうしている間にも各地の火は勢いを増すばかりなのである。彼はこの場での時間を有意義な情報を引き出す事に割くべきだと考えた。
「……さて、ロマノフ帝国のスパイさん。この場の主役は君だ。存分に喋って貰うよ?」
ライヒナー侯爵は普段見せないような凄味の有る笑顔を見せ、そう告げたのだった。
次回は明日の21:37に投稿いたします!