第一九〇話「帰還、そして」
もう時間も遅くなっているので、俺は取り敢えず腹が減っているティワカンに手持ちの干し肉を全部渡した。少ないと文句を言われたのだが、人と虎では食べる量が違いすぎるのだから我慢してほしい。
翌日、俺とミロスラーフ、そしてクレパさんを始めとする町の代表者たちは町の南にある入口でティワカンを待っていた。
『ほ、本当に大丈夫なのか? あの虎に食われたり……』
「大丈夫だ。ティワカンはかなり理知的な考えを持っている。共生して行けると思うよ」
不安に震えている町民たちへ、俺はそう説明して宥めていた。まあ、相手は虎だもんな。言葉が通じない獣なのだし、恐ろしいと思うのも分かる。
「おう、来たぜ」
逸早く気付いたミロスラーフの言葉で周りへ意識を配ってみると、近くの茂みががさがさと音を立て、ぬっと黒い虎が現れた。
「……あれ? 黒に戻ってるな」
『あの姿は疲れるからだ』
あ、疲れるのか。魔力使いそうだもんな。それにしても〈カシュナートの魔石〉で虎の声が聞こえているのか、クレパさん以外の町民たちがどよめいている。
「さて、じゃあ交渉するか」
『交渉と言うが、何を交渉するんだ、人間』
「この町とティワカンが共生する道を模索するのさ」
俺たちの前までやって来たティワカンがお座りした所で、俺は先ずそう切り出した。そして『町の家畜に被害が出ず、ティワカンも腹を満たせる方法』が有れば良いのだと説明する。
『そんな方法、有るのか?』
町民の一人が俺に疑いの目を向けているので、俺は更に詳細な説明を続けることにした。
「有るさ。例えば土竜などの畑に出る害獣や、倉庫に出る鼠が居るとする。ティワカンにはそれを退治して貰えば良い。ティワカンは腹も満たせてお互いに利害が一致するだろう?」
要するに俺が挙げている例は、虎であるティワカンに猫と同じ役をやってくれと言っているのだ。些か猫と呼ぶにはデカすぎるが。
『虎に土竜や鼠が退治出来るのか?』
町民の一人が挙手し、ごもっともな意見を挙げてくれた。確かにその通りだ。虎みたいなデカい動物が土竜や鼠を相手取る事は難しいだろう。しかし――
「出来るだろう、ティワカン? 魔術が使えるんだし」
『造作も無い』
何処か誇らしげに胸を反らしてティワカンは答える。〈スリープ〉などを使えば作物に被害を与えぬよう鼠や土竜を無力化出来るだろうし、その方法なら鳥だって落とせる。この虎にとっては畑で待っていれば食事がやって来るのだからまさに入れ食いだろうよ。
「だがそれだけだとティワカンが働いて自分で食糧を得ているだけで彼に得は無い。彼の為に何日に一回か肉を提供するとか、住む小屋を提供するとか。そんな感じで、彼にとってのメリットを提案してあげると良い」
『成程な、共生とはそう言う意味か』
ティワカンは納得したようで、内々で相談を始めた町民たちを眺めながら、すっかりリラックスしたようで寝そべり始めた。まあ、平和的に解決出来るようで何よりだ。
ティワカンとの話し合いも無事に片付き、二日後には俺たちザルツシュタットの面々も東へ帰ることになった。滞在時間の短さに驚いたものだが、船長には「こんなものですよ」と言われてしまった。滞在している間も物資は必要になるのだし、確かにそんなものなのかも知れない。
俺は桟橋の上でクレパさんと別れの挨拶をしていた。一時は険悪な関係になってしまったが、ティワカンの問題を解決出来た事で信頼は得られたようだった。
「有益な情報が得られたこと、感謝する。時間は掛かると思うが、東の大陸で蔓延っているアブネラ様の誤解については解いていこうと思う」
『そちらにその意思がある内は儂等も取引を止めるつもりは無いが、その約束、忘れないでくれよ』
そんなやり取りをして、俺はクレパさんと固い握手を交わした。俺がこの大陸を再び訪れることは無いかも知れない。だがここの人たちとの取引は続くし、もしかしたら町民の誰かがザルツシュタットを訪れる可能性だって有る。その為にもアブネラが邪神扱いされていることを解決するのは、俺が取り組まなければならない難題なのだ。
有人島を二カ所経由し、その後は行きと微妙に異なるルートを通ってザルツシュタットへと戻る。帰りはクラーケンが出なくて何よりだった、のだが――
「まさかコレがクラーケンを呼び寄せていたとはなぁ」
俺は甲板の縁で潮風に当たりながら呟き、そっと腰にぶら下げた〈エルムスカの魔石〉に触れる。慈愛の神エルムスカの名を冠しているのだと今回の旅で分かった、俺の付与術の力を高める魔石。アブネラと近しい力を有するコレは魔獣を呼び寄せるのだと、別れ際にティワカンが言っていたのだ。
でも俺はこの魔石を手放すつもりは無い。遠距離から強力な付与が行えると言うのは、いざという時非常に役立つのだ。過去、そのお陰で幾度も助けられている。
「現れた魔獣は倒せば良いのだし、そんなに気にすることも無いかな」
呑気に俺がそんな事を考えていた時、背後でバタバタと音がしたと思い振り返ると、慌てた様子の船長が居た。確か、もうザルツシュタットに近付いたと言う事で、通信室から超長距離通信を行っていた筈だ。何か有ったのだろうか。
「どうしたんです?」
「……ザルツシュタット側とやり取りをしていたのですが、向こうの状況が非常にマズいとの事です」
「……具体的に。ちょっと深呼吸しましょう」
混乱しているのか要領を得ない船長の物言いに、先ずは彼を落ち着かせることにした。何がマズいのかさっぱり分からん。
青い顔のまま軽く深呼吸をした後、船長はこう告げたのだった。
「バイシュタイン王国の各地で、大規模な内乱が発生しているようです」
次回は明日の21:37に投稿いたします!