第一八七話「その神も、追放されていたというのか」
リャマさんに連れられて来たその場所は、大きなホールだった。
ホールの壁にはびっしりと絵が刻まれており、全周が連なっているように出来ている。恐らく出来たのは大昔と思われるが、作者の腕が凄まじいと言うのは絵画に疎い俺でも分かる。
「こりゃ、すげぇな。描かれているのは神代の出来事か?」
「分かるのか?」
「おう、彼処に描かれているのがアブネラ様だが、その正面に居るのが新神共だな。アブネラ様の封印を描いているんだろうさ」
ミロスラーフはパッと見ただけで何を描いているのか理解したらしい。成程、神々の間と言うのは神代の出来事を説明している場だと言う事か。
其処から左に視線を動かした所、アブネラらしき神が何者かから誰かを守るようにしている絵を見つけ、俺は気になりリャマさんへ尋ねることにした。
「リャマさん、彼処の絵は何を描いているんだ?」
のんびりと眠そうな目で俺の指が指す方向を追い掛けたリャマさんは「ああ~」とこれまたのんびり声を上げた。何と言うか、緊張感が緩んで眠くなる。
『そこに描かれているのは、旧神から追放された慈愛の神エルムスカ様をアブネラ様がお守りしている所ですね~。その戦いで、旧神は滅ぼされたのですよ~』
「……エルムスカ……」
その名前には心当たりしか無く、思わず腰の魔石に手をやった。言わずもがなそれは、正体不明だった『ギフト』である〈エルムスカの魔石〉が冠する神の名前じゃないか。
「何故、その神は追放されたんだ?」
『エルムスカ様はその力を人々へ与えておられたのですが、旧神にはそれが受け入れられない事だったのです。役に立たぬ者として下界へ追放するという、酷い話がありました。そして新神からも同様に、アブネラ様と共に封じられてしまったのです』
「……それは……まるで」
俺みたいじゃないか。厳密には違うのかも知れないが、他人への能力付与を軽んじられて追放されたというのは、まるっきり俺が通った道でもある。
エルムスカは慈愛の神とリャマさんが言っているが、恐らく付与術の神なのだろう。今でこそ俺は伯爵となれたが、付与術の力と言うのは魔術と違って目に見えないが故にこうして何時の時代も軽視されてきたんだな。
「神でも人でも、同じと言う事か……」
「あん?」
「いや、なんでもない」
俺の呟きを拾ったミロスラーフが訝しんでいたが、俺は頭を振って切り替えることにした。今はアブネラ信仰に関することを調べなければ。
「話は変わるが、ケチュア帝国は西の海を越えた先にあるサクラ帝国を滅ぼしたという話を聞いている。平和を愛する神の徒だと言うのに、何故侵攻を?」
『サクラ帝国ですか~。詳しいことは私も分かりませんが、その国では長い間、内乱があったと聞いてますね~。ですので、その地の民を思い、皇帝陛下は兵を挙げられたのではないでしょうか~』
「……成程、よく分かった、有難う」
ああ、やはりそうか。
この国の意識として、平和を遂行する為には力で解決することも止む無しと言う考えがあるのか。一度戦いを終わらせて、平和な地を創る為の基礎を完成させる。そう言った考えを、目の前のリャマさんも平然と受け入れているのだ。
極端な考えではあるが、完全に否定する事も出来ない。俺だって、話し合いで駄目な時には力を使っているのだから。
「難しいな」
「何を考えているのか分かるが、まあ、そうだろうよ。綺麗事ばかりじゃねぇんだ」
ミロスラーフもそんな考えを当たり前のように受け入れている辺り、これが〈グアレルト〉でも普通の考え方なのだろう。
それに、ケチュアと貿易を続ける以上、バイシュタインも内乱など引き起こした場合はサクラのように武力介入されるかも知れないのだ。ならば〈グアレルト〉の企みは必ずや阻止しなければならない。
色々と話を聞き終わり、神々の間を出て教会の正面玄関へと向かった所で、何やら玄関口の辺りで話し込んでいる人々が居る事に気付いた。何かあったんだろうか。
『何かあったのか聞いてきますね~』
そう言って、リャマさんは人が集まっている所へと行ってしまった。話し声は遠くから微かに聞こえており〈カシュナートの魔石〉の範囲内であるものの、上手く聞き取れないで居た。
「これからどうすんだ、おい」
「……帰ってからの事、だよな」
ミロスラーフが言いたい事は分かる。アブネラが絶対的な被害者だった事を知ったところで、戻ってからその誤解を解く事など出来るのかと言う事だろう。
もし俺が「悪いのは新神です。アブネラは被害者です」なんて吹聴しようものならばシグムントの異端審問にでも掛けられるのがオチだ。やり方を考えなければならないんだろう。
「まあ、いきなり意識を改革するのは無理だろうな。少しずつやっていくしかあるまい。それもあるんだが俺は、内乱が起きた場合にサクラの二の舞になる事を危惧している」
「あるな、大いにある」
やっぱりそうだよなぁ。ケチュア帝国の考え方は「自分たちで平定して管理し、平和にしよう」という過激なものだ。サクラ帝国がその憂き目に遭って、バイシュタイン王国がその対象に含まれない筈も無いのだ。
『お待たせしました。町に〈ティワカン〉が現れたそうです~』
「……〈ティワカン〉?」
戻ってきたリャマさんは、相変わらずのんびりとした喋り方で俺たちに分からぬ言葉を伝えてきた。この人、どんな事態に陥ってもこの調子なんだろうか。
『ええとですね、〈ティワカン〉は虎の魔物です~。町の側で夕暮れ時に現れることがあるのですが、今回は町に入り込まれてしまったようですね~』
「……虎」
俺は思わず鸚鵡返しをしてしまう。虎自体はトウ帝国の山奥を歩いた時に見掛けた事があるが、結構な迫力だった覚えがある。その魔物が町に入り込んだと言うのか。
『それでですね?』
「あ、ああ」
何とも調子を崩されてしまうが、リャマさんは小さな溜息を吐きながら、のんびりとこう答えた。
『お爺様の姿が見えなくて。たぶん、外に行ったきりではないでしょうか~』
……大事件だった。
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