第一八三話「魔物の狙いは一体何だったのかと言うと」
左舷側の甲板上には金色の触手の切れ端が幾つも落ちていた。普通の蛸なら食糧の足しにもなるのだろうが、こんなものを食べる気にはなれないな。
それを生んでいるミロスラーフだが、全く疲れた様子は無く、ただつまらなそうに大剣を振るっていた。奴にとっては面白味の無い作業程度にしか思えないのだろう。
「すまない、待たせた」
「おう、何か良い手は見つかったか?」
「ああ、爆薬を使う」
「爆薬ぅ? 水の中だぞ?」
こちらを振り返ること無く触手を斬り刻みながら、ミロスラーフは俺の提案を疑って掛かっている。此奴は暫く俺の家に居たから爆薬が何であるか理解しているんだよな。
普通の爆薬を想像しているのならばミロスラーフが懸念している通りだが、使う爆薬は二種類ともちょっと癖のあるものだ。全く火を使わないので水中でも威力を失う事は無い。
「まあ見てろって、なっ!」
俺はそう言い放つと同時に、クラーケンに向けて先ず凍結爆薬の瓶を投擲した。蓋のピンを抜かれた瓶は放物線を描き、蛸の頭上へと落ち、其処で起爆する。
瓶が割れて拡散した薬剤がクラーケンに降り注ぎ、蛸の頭がたちまち凍結を始めた。中枢の機能が停止した為か、船を襲っていた触手が動きを止め、ずるずると海に落ちていった。
「おっ、やったのか?」
「いや、まだだ。まあこのまま逃げるって手もあるんだが、この航路を安全に通るなら、あのクラーケンを片付けておく必要がある。と言う訳で――」
やっと触手の相手から解放され肩を回しているミロスラーフにそう返し、俺は震爆薬の瓶から凍結爆薬と同じようにピンを抜いて、先程とは少しだけずれた場所――海面へと投げ込んだ。
「おう、狙いがずれてんぞ」
「あれでいい。さて、どれ位の威力に――」
と、俺の言葉は最後まで続ける事は出来ず、代わりに耳を劈く轟音が海面から鳴り響いた。それとほぼ同時に、押し寄せる波を船体の横っ腹に受け、危うく〈ノイヴェルト〉号は転覆しかけたのであった。
「……その、加減を考えてください、ハントヴェルカー卿……」
「申し訳ない……」
クラーケン共の襲撃を退け後始末も終わり、俺は何をしているのかと言うと、船室で船長に謝罪をしているのであった。後ろでミロスラーフが笑いを堪えているのが分かる。畜生、笑うんじゃねえ。
「ククク……、しっかし強い爆薬だったな、凍ってたクラーケンも粉微塵になっちまったし、水中に隠れてた魚人共や魚までもぷかぷか浮いてたぞ」
「……本当は爆薬自体にそこまでの威力は無いんだけどな、あれは衝撃に特化した爆薬なんだ。川で大きな石を思いっきりぶつけると、水に衝撃が伝わって魚が気絶するのを知ってるか? あの原理だ」
水というのは衝撃を伝えやすいらしく、そういった意味であの震爆薬はこれ以上無い程海と相性の良い道具だった訳だが、当然ながら衝撃は拡散するため、船にだって影響を及ぼす。幸いにも船体は無事だったようだが、船底に穴でも空こうものなら謝罪どころの話ではなかった。
「ところで船長さんよ、あの蛸は前の航海でも現れたのかよ?」
「ああ、それは私も気になります」
ミロスラーフの質問に乗っかる。船長は「とんでもない」とかぶりを振って否定した。まあ、そりゃそうか。遭遇していたら今頃この船は存在していない筈だ。
「まあ、だろうな。しかし妙だとは思わねぇか? この船を襲うなんてよ」
「この船を、と言うのはどう言う事だ?」
俺はミロスラーフの言っている事が理解出来ずに問い返した。この船もどの船も無く、クラーケンは通りすがった船を狙ったのではないのか?
「考えてもみろよ。この船は船団の旗艦で、ど真ん中に配置されているんだぜ? 何故態々狙い難い中央の船を襲ったんだ?」
「………………」
言われてみれば、そうだ。そもそも蛸に「旗艦を潰せば相手が統制を失う」なんて知能がある筈も無い。だったら何故旗艦が襲われたんだ?
何故一度目、二度目の航海で出現しなかった魔物が現れたのか。それに、あの蛸も魚人も、例の邪術師が産み出す金色の魔物だった。偶然とは考えにくい。
「魔物にはこの船を狙いたい理由があったと言うのか?」
「推測だがな。そして一度目、二度目と違う条件が有る。何だか分かるよな?」
「………………」
俺はその説明に、何も言えず黙してしまった。
だって、その条件とは――俺と、ミロスラーフじゃないか。魔物は俺たち、もしくは俺たちの何方かを狙ってやって来たと言うのか?
次回は明日の21:37に投稿いたします!