第一八二話「頼みの綱はレーネの薬、それは変わらない」
大蛸の海魔〈クラーケン〉はしばしば伝承に登場する怪物で、船を襲い、乗っている者たちを喰らうとされている。
だが、まさかこんな金色の身体をしている上に、〈魚人〉と共生しているとは思わなかった。動きを見るに、魚人が船の動きを止めている間にクラーケンが船を転覆させる役割を担っているのだろう。
近付いて来た魚人の銛を捌きつつ、左後ろ回し蹴りで正確にこめかみの辺りを打ち据える。そもそも魚の頭にこめかみがあるのか疑問だが、頭は全体的に急所だろうし気にしない事にする。
「伯爵様はそのまま魚人を片付けてこい! お前さんは蛸と相性が悪いだろ!」
「ああ、分かってる!」
ミロスラーフの言葉を背に甲板を駆ける。どちらが主なんだか分からないが、戦闘に関して言えば彼奴の方が的確な判断をしてくれる筈だ。
そして奴の言った通り、打撃を主とする俺は蛸と相性が悪い。触手を攻撃しても跳ね返されてしまうのがオチなのだ。だったら魚人を捌いていった方が良い。まあ、魚人は魚人で、鱗で怪我をしかねない為に拳による攻撃が出来ないので厄介ではあるのだが。
魚人共はそう数は多くないが、こちら側で戦える者もそう多くない。用心棒も居るには居るが、通常、襲われるケースというのは船からと相場が決まっている。故に遠距離から魔術や錬金長銃での対抗策はあれど、直接乗り込まれることは想定していないのだ。
「ふんっ!」
粗方片付いていた所で、船長を追いかけ回していた魚人の肋に右横蹴りを食らわせて沈黙させる。魚人に肋があるのかは疑問だが……って、あれ? なんで船長がここに?
「た、助かりました! ハントヴェルカー卿はお強いのですね……!」
「一応、第三等冒険者ですから。と言いますか、何故船長が甲板上に? 危ないですよ?」
俺は呆れ交じりにそんな事を尋ねる。この人に何か有れば船が指揮を失ってしまうだろうに。
「いえ、有事であっても私が指示を出さねば示しは付きません! ですので戦闘であっても表に出て指揮を執るようにしているのです!」
「な、成程……?」
うん、追い掛け回されて指揮どころじゃなかったような気はするが。あと暑苦しい。
周りを見回すと、魚人共は旗色が悪くなったと思ったのか、無事な奴等も海へ逃げて行ったようだ。となれば残りはクラーケンだが――
「流石の彼奴でも苦戦しているか」
ミロスラーフの動きは始めと変わらず疲れた様子も無いが、大剣の切れ味が鈍っているように見える。クラーケンの触手を斬り付けても切断までに至っていない。
「リュージの名において、何をも貫く刃と化せ、〈鋭利〉!」
俺は〈エルムスカの魔石〉の力を使い、遠隔からミロスラーフの大剣へ一時付与を行った。途端、切れ味を増した大剣はクラーケンの触手を切断するようになった。
「お、伯爵様の付与術か! 助かるぜ!」
「もう暫く耐えてくれ! クラーケンをどうにかする!」
「お安い御用よ!」
迫り来る数多の触手を物ともせずに捌きながらミロスラーフが答える。敵に回すと恐ろしい奴だが、味方にすると滅茶苦茶頼りになるな。
さて、こういった場合に使える道具だが――レーネからは色々と預かっている。
「炎上させる……のは水の中だし効果が薄いだろう、とすれば凍らせるか? だが問題は凍らせた後、どうやって砕くかだな」
凍結爆薬自体は幾つも預かっている。だが、大蛸の一部を凍らせた所で魔核を砕かねば意味が無い訳で。
「錬金長銃を使うのもアリだが、蛸の魔核が何処に在るのか俺は知らないし――」
ぶつぶつ呟きながらマジックバッグを漁っていた俺の目に一つの爆薬が映り、手を止めた。
「……凍結爆薬とこれを使えば、蛸だけじゃなく魚人も倒せる、か」
俺が手にしたのは、〈信連の魔石〉を作る過程で生まれた〈震撃の魔石〉――の材料、それを用いた爆薬だった。
ただ、これは地上で試用した事はあるものの、水中で使ったことは無い。無いが――恐らく、とてつもない威力になるだろう。船が大丈夫か、それが少し心配な位に。
「取り敢えず、やってみるしか無いな」
俺は凍結爆薬を幾つかと、その〈震爆薬〉を手にして、ミロスラーフの下へと急いだ。
次回は明日の21:37に投稿いたします!