第一八一話「久しぶりに目にした、その触手の主は――」
西の大陸――正式にはケチュア大陸と呼ぶらしい――へ到着するまでは、これまで二回実施された航海で決定した航路を進み、途中で有人島を二カ所経由し補給を行うのだそうだ。その為の交換物資も積んでいるらしい。
航海も五日目の昼になるが俺は別に暇をしている訳でも無く、持参した付与済みの魔石に携帯用のカッティングディスクで研磨作業を行っていた。もし魔石がケチュア大陸でも売れるのであればそれに越したことは無いしな。船は揺れるが、揺れるタイミングに慣れれば出来ないことはない。
ちなみにミロスラーフは甲板に出て剣を振っているようだ。洋上でありながらも鍛錬を怠らない、そういった小さな積み重ねがあのような強さを生み出しているのだろう。
「……そう言えば、ケチュアに到着したら一旦〈カシュナートの魔石〉を返して貰わないとなぁ」
作業を続けながら、俺はそんな事を考える。知らない言葉でも理解を可能とする〈カシュナートの魔石〉は、今のところ船長に貸し出している一個しか無い。アレが無いとアブネラの信仰について調べることもままならないのだ。
本当は複数持っていれば良かったのだけれども、〈祝福〉により得られる『ギフト』の魔石で何が出来るかは文字通り神のみぞ知る所であり、これまでに数十個の『ギフト』を完成させているものの、〈カシュナートの魔石〉は残念ながら複数出来た試しが無い。
「本当に欲しい時には手に入らないものだよなぁ……」
そんな気がしてならない。きっと己の物欲が邪魔しているのだろう。
そして本日三個目の魔石に取り掛かろうとしていた時、何かがぶつかる大きな音と共に船がガクンと大きく上下に揺れた。
「うおっ!?」
慌てて手近のベッドの脚を掴んでバランスを保持する。あ、危なかった。カッティング中だったら魔石が駄目になるところだった。
しかし今の揺れは何だったのか。明らかに波が引き起こすそれでは無いし、まるで暗礁に乗り上げたような感じだったが、あの音は……?
「とぉっ!?」
今度は音こそ無かったものの大きく左舷側に動いた!? 一体、何が起きている!?
俺は不規則に揺れる中で手早く道具を片付け、船室を出て甲板へと向かったのだった。
甲板上で俺が見た光景は、多くの船乗りたちが逃げ惑う姿だった。で、何から逃げ惑っているのかと言うと――
「……なんだ、アレは?」
のそのそと鈍い動きで船乗りたちを追い掛けているのは、上半身を金色の鱗に覆われた魚のような姿をした男性だった。うわ、これってアレか。
「〈魚人〉だな」
「……っと、居たのか」
船内通路を出てすぐ左の所から声が聞こえたかと思うと、つまらなそうに壁へ背を預けたミロスラーフが居た。手にしている大剣は鮮血に染まっている。魚人のものだろうか。
「お前は襲われていないのか」
「最初に襲われたよ。一匹を剣の錆にしてやったら魚人はそれ以降誰も向かってこねえ。まったく、肝のちっちぇえ奴等だよ」
ミロスラーフはそう言って口をひん曲げ嘆く。成程、危険人物として認識されてしまったと言う事か。まあ一度でもあの剣技を見たらヤバいと思うわな。
「良いから船員たちを助けに行ってやってくれ。……しかし、さっきの揺れと音は何だったんだ? 魚人のものじゃないよな」
「別にサボってる訳じゃねえ、他にやることがあるんだ――よっ!」
俺の疑問にそう返したミロスラーフが、突如左舷側へ大きく踏み出して大剣を振るった。何事かと思えば――
「……え、これって……?」
ミロスラーフの斬撃により何かをぶった斬られる音がして、数秒後にそれは落ちてきた。
目の前で蠢くそれは随分と久しぶりに見るモノで、しかしながら見たくも無いモノではあった。
「金色の……触手……? 邪術師が居るのか……?」
俺は斬られた後も甲板の上でのたくっているそれを見つめながら、呆然とそう呟いた。金色の触手は邪術師の扱う武器であり、しばしば彼等に召喚され、攻守に亘り使用されているものだ。
「邪術師じゃねぇよ! よく見ろ!」
「へっ?」
叱咤するミロスラーフの方へ視線を移すと――彼は左舷の縁で器用にバランスを取りながら、見惚れるような剣技で更に多くの触手を斬り刻んでいる。
そしてその奥、海の方に浮かぶ二つの大きな瞳を見つけ、やっと俺はその触手の主――数多の触手を持ち、船を海へと引きずり込む大蛸の海魔――〈クラーケン〉の存在に気付いたのだった。
次回は明日の21:37に投稿いたします!