第一七九話「家族を信頼し、俺は旅立つ決心を固めた」
「と言う訳でレーネ、これで〈鍵の魔石〉の素材は作れるか?」
工房に帰った俺は、早速氷漬けの箱の蓋を開けてレーネにその中身を見せると、妻は絶句し固まってしまった。
中身は何かと言うと――〈練魔石〉である〈鍵の魔石〉を創る為の素材、それを錬金術で作るのに必要な材料、〈ユーリカ〉……では無いが、それと似た性質の苔である。
「なんだレーネ、〈酷寒の魔石〉の冷気で凍っちまったか?」
「違うよっ!」
あ、動き出した。どうやら呆気にとられていただけだったらしい。
「これ、どうしたの? 凍土の苔だよね?」
レーネは凍傷になりかねない為か箱には触れないようにして、物珍しそうに苔を確認している。植物や動物に対して汎い知識を持っているとは言え、凍土の植物を見たのは初めてなのだろう。
「今朝西の大陸から船団が帰ってきたってのは知ってるよな。彼等に大陸の北まで寄って貰ったんだよ。案の定ロマノフ帝国と同じような気候の土地が存在していたらしい」
「はぁー……、だからリュージってば、〈鍵の魔石〉の材料については気持ち悪い位に自信があったんだねぇ」
魔力を確認しているのか遠間から手を翳しながら感心したように頷くレーネだが、感心するか貶すかどっちかにしろ。俺の感情が何処に行けば良いのか分からないだろうが。
「この材料で〈練魔石〉の素材は作れると思う。材料に限りがあるから慎重に作業をするね。でも、多分大丈夫だよ」
「ああ、頼む」
理論しか教えておらず初めて作る物だと言うのにこの余裕である。天才って凄い。
おっとそうだ。レーネにはまだ頼まなければならない事がある。今のうちに引き継ぎをしておかねば。
「レーネ、頼みがある」
「うん?」
レーネは新しい物が作れる事への期待の為かニコニコ笑っている。
……だが今から話す内容により、その可愛い笑みがぶっ壊されることを、俺は予感していた。
「暫くの間、ハントヴェルカー伯爵の名代を務めてほしい」
「…………はい?」
寝耳に水な俺の無茶振りに、レーネはただただ目を点にしていた。
夕食が終わり、ミノリ、スズ、アイ、そしてミロスラーフとベルも同席している中で、俺は何故にレーネへ名代を頼むのかについて、説明を始めた。何も意味の無い名代を頼む訳では無い。そうせざるを得ない理由があるのだ。
「西の大陸への次便だが、俺も宰相閣下も、陛下が許可をお出しになると睨んでいる。そうしたら――」
「……なるほどー、リュージ兄は船に同行するって訳ね」
察しの良いミノリは、だがそれでも呆れた様子で俺の説明に続いた。先程無茶振りされてからむくれたままだったレーネは依然そっぽを向いたままだが。話聞けよう。
「その通りだ。そしてミロスラーフも一緒だ」
「……ちなみに、拒否権はあんのか?」
「有る訳無いだろ」
ミロスラーフの下らない質問を、俺はばっさりと切り捨てた。黒騎士はやれやれと言った様子で嘆息しているが、此奴には同行して貰う理由がある。
「お前にはケチュア帝国でのアブネラ信仰を見て貰う必要があるからな」
「それに何の意味があるんだ?」
「ケチュア帝国での信仰の在り方と、ロマノフ帝国のそれは違う、と見ている。それを判断して貰いたい。場合によってはそれが、アブネラを邪神と断じている現行の国際法へ一石を投じることになるだろう」
「……マジで言ってんのか?」
「大真面目だ」
俺の頭の中を疑っているようなミロスラーフの態度に、俺は真顔でそう答えた。実際の所、そんな風に話が運べばアブネラを信仰する此奴にとっても悪い話ではあるまい。
別に俺はアブネラを崇めている訳でも無いが、違いをはっきりとさせておくことは今後の西との取引においても大事なことだ。そしてバイシュタイン王国としても、相対する敵はロマノフ帝国の邪教であり、元々在る信仰は異なるものだと立場をはっきりさせるべきなのだ。
「でもリュージ兄、バイシュタイン王国は他国に比べて国力が低い。声を上げても潰されるのがオチだと思う」
と、ここで現実的な意見を上げたのはスズだった。まあ末妹の言う通り、東のデーアや北のゴルトモントに比べてバイシュタイン王国は小国と侮られている。それは事実だ。
「だが、現実として錬金銃でゴルトモントを圧倒し、大型船で西の大陸との貿易を始めたのは我が国だ。最早小国と揶揄されるような国力では無いんだよ」
俺はそこまで話してから、レーネへと向き直る。相変わらずそっぽを向いたままだがきちんと話は聞いているだろう。
「話が逸れたが、そういう訳で俺は陛下のお許しが出次第、ケチュア帝国まで行ってくる。長い旅になるが、その間レーネには伯爵の名代として公務を引き継いで貰いたい。必要な魔石が出たら、ベルが頑張って作ってくれるだろう」
「し、師匠程のモノは作れないッスよ?」
「あくまでその場しのぎの為だ。だが手は抜くなよ」
「ひぃっ」
俺に睨まれて悲鳴を上げるベル。自信が無い様子だが、それでも数年間俺に師事してきた一番弟子であり、それなりの品質のモノを作れることについては認めているのだ。気合いを入れてほしい。
そしてレーネの仕事だが、現在の俺の公務は外壁の建築周りでライヒナー候を補佐する事が中心だ。と言っても大筋の方針は決まっているので、後は想定外の事態へ対応するだけだが、其処は寧ろ錬金術が中心となる話だと思っている。
俺がそんな事を淡々と説明すると、レーネは観念したように大袈裟な溜息を吐いた。おっと、折れてくれたか?
「もう……、分かったよ。私たちは一蓮托生だもんね。色々と考えてくれている旦那様を支えないと」
「すまん、助かる」
いや本当に助かる。これはレーネにしか出来ない事だからな。
「……あと、ミノリにスズ、そしてアイ。お前たちにはこの家の護りをお願いしたい。〈グアレルト〉が動く可能性だってあるからな」
「わ、分かった! パパは安心して行ってきて!」
俺から頼み事など珍しい為か、少し緊張した面持ちのアイが拳を握り締めて頷く。頼りになる子に育ってくれたものだ。
で、我が妹たちはと言うと――ニコニコと微笑むミノリと相変わらず無表情のスズだが、二人とも指で丸を作っている。なんだそのポーズは。
「分かった、安心して行ってきて。ただ、依頼として受けるけどね」
「ん。お給金は貰うけどね」
……二人揃ってちゃっかりしてるな。まあ、冒険者が休業になるのだし仕方無いか。
次回は明日の21:37に投稿いたします!