第一七二話「幕間:小さな淑女」
※三人称視点です。
リュージたちが港の倉庫でミロスラーフの襲撃を受けたその日の午後のこと。
彼の家の裏庭ではミノリの勇ましい声と木剣による剣戟の音が鳴り響いていた。
「くぅっ……、片手剣一本相手に双剣で向かってるのに、なんで当たらないのっ!」
ミノリは何時も通り木剣二本のスタイルで戦闘訓練を行っているのだが、今日の相手はリュージでは無い。
「無駄に急所を狙い過ぎなんだよ。太刀筋が見え見えだ。後、使えるものは剣でなくても使え。お前の兄貴みたいに体術とかな。お行儀良く対人戦闘は出来ねぇぞ」
鎧を脱ぎ、木剣一本でミノリの攻撃を悉くいなしているミロスラーフが、汗一つ掻くこと無く冷静にそう告げた。彼の普段の獲物は大剣ではあるが、片手剣でも普通に扱う事は問題無いどころか第一等冒険者であるミノリの攻撃など児戯のようにあしらっている。
「嘘でしょ……? ミノリ姉さんが一本も入れられないなんて……」
先程までミノリと訓練を行っていたアイが、目の前で繰り広げられているミノリの一方的な攻撃と、それを完璧に防いでいるミロスラーフの姿に、ただそう呟くことしか出来なかった。
「おら、一旦終いだ。休憩にするぞ」
「はぁっ、はぁっ……」
ミロスラーフに言われ打ち込みを止めたミノリは疲弊し、汗だくになりながら肩で息を吐いていた。かれこれ三〇分は打ち込み続けた方は疲労困憊だと言うのに、防御していた方はと言うと涼しい顔をしている。
「相手になってくれと言われたから乗ってやったが、防御と攻撃ってなぁ本来一体のモノだ。俺が攻撃出来ねぇ以上、この打ち込みに意味なんてあったとは思えねぇな。……あぁ、お前さんの腕がまだまだだって事は分かったが」
「う、うぅ……」
ミロスラーフから辛辣に評価され、ミノリは項垂れてしまう。彼の言う通りであり、一方的に攻撃出来て、且つ防御を気にしなくて良い状況など有りはしないし、そんな訓練など行っても意味の無い事なのである。
「なんなら、隷属を解いてくれても良いんだが?」
「それは……駄目」
意地の悪い笑みを浮かべたミロスラーフに、ミノリはようやく息を整えてきっぱりと答える。黒騎士は、全く残念そうで無い表情で肩を竦めた。
「ミノリおねえちゃん、おつかれですか?」
「へ? ……って、うわっ!? マリー!?」
彼女が落ち込み色々と考え事をしている内に現れた、リュージとレーネの次女マリアーナが不思議そうに自分を見上げていることに気付き、ミノリは驚き固まってしまった。普段この娘が裏庭に来る事など無い為、油断していたのである。
「お? なんだチビ助。エルフ……いやハーフエルフか。伯爵様の娘か?」
物珍しそうにミロスラーフがそう呼び掛けると、マリアーナは彼の方を見て一旦は首を傾げたものの、自分を呼んだのだと気付いた為、両手でワンピースの裾を摘まみ、黒騎士へと可愛らしいカーテシーを披露した。
「ごきげんよう、マリアーナともうします。はじめまして」
「……ちっこいのに随分と礼儀正しいなおい」
「しゅくじょですから」
その言葉に、マリアーナを除く全員が噴き出してしまう。小さな淑女はそれが自分の発言による反応だとは露知らず再度首を傾げてしまった。
「ええと、おじさまのおなまえをおうかがいしてもよいですか?」
「クックッ……あぁ、俺はミロスラーフだ。アブネラ様の忠実な信徒さ」
すんなりと答えてくれた目の前の男の言葉に、マリアーナは少しの間考え込んだ。言葉の意味が分かっていない訳では無い。
「……アブネラって、じゃしんアブネラですか?」
邪神アブネラについてはリュージとレーネの教育もあり、マリアーナは理解しているようでそんな質問を投げ掛ける。
全く悪意の無い幼女の質問に、ミロスラーフは「あー……」とミノリとアイの方を見て頭を掻く。リュージの妹と長女の二人は、彼に「余計な事は言うなよ」といった視線を送っていた。
「……まあ、みんなそう呼んでいるな。俺たちは邪神だなんて思っちゃいないが」
「そうなんですか?」
「ああ、何を神と奉じ何を邪神と断ずるなんざ、所詮は人が決めた事だからな」
ミロスラーフのその言葉に暫しマリアーナは考え込んでいたが、数秒後、ぺこりと大きく頭を下げた。
「じゃしんってよんで、ごめんなさい」
「…………ホント、出来たチビ助だな。おい、お前等も見習え」
すっかり毒気を抜かれたミロスラーフがミノリとアイにそう言い放ち、二人は困惑の表情で顔を見合わせたのだった。
次回は明日の21:37に投稿いたします!