第一六七話「招待もしていない其奴は、石炭の臭いを掻き消す勢いでやって来た」
翌日、態々俺の自宅まで押しかけてきたアイネに急かされ、俺は港のとある施設にレーネも連れ三人で訪れていた。まったく、日の出直後に玄関を叩きやがって。この学者は鶏かよと思ってしまう。
さて、この施設が何なのかと言うと――倉庫である。ただし港に在る他の倉庫とは違い、此処には例の別大陸から持ち帰った品々が納められており、厳重に管理されているのだ。
「それでッ! 石炭は何処にあるのですかッ!?」
「……レーネ、ちょっと黙らせといてくれ」
「分かったよ」
背後を歩くレーネの声がしたかと思うと、ごいん、と強い音が続いた。少し振り返って様子を窺ってみると、アイネが頭を押さえてしゃがみ込み、その後ろでレーネが杖を抱えニコニコ笑っていた。うちの妻、容赦無い。
「痛いじゃないですかレーネちゃん! 私の頭から石炭の知識が飛んでいってしまったらどうするんですか!」
「……そうきたかぁ」
ぷんすこ怒るアイネに、レーネは若干生温い視線を向けている。四年前、一時期我が家で暮らしていた事もあったアイネだが、その時からレーネは割とこの学者様に辛辣なのである。会った当初は意気投合していたので、馬が合わない訳では無いのだが。
「落ち着けって何度言わせるんだアイネ。学術ギルドにクレーム入れるぞ?」
俺が溜息を吐きながらそう警告すると、アイネはひきっと口元を引き攣らせた。ゴルトモントから亡命してきたアイネとしては、バイシュタイン王国の学術ギルドで追放処分でも受けたりすれば本当に居場所が無くなってしまうのである。
「うぅ……横暴です……。貴族の立場を利用するなんて……」
アイネはぶつぶつと何やら呟いているが、貴族は関係無いだろ貴族は。俺が平民だったとしても同じ対応をするわ!
「アイネが五月蠅いし、とっとと目的の物を見せるか。えぇと……ああ、この箱か」
俺は石灰で天板に「炭のような石」と書かれている五〇センチ四方の木箱を見つけ足を止めた。何故「石炭」では無く「炭のような石」なのかと言うと、新大陸の言葉が分からなかったことと、船乗りの中で石炭を見たことがある者が居なかったことが理由である。
背後からアイネの急かしているオーラを感じながら木箱を開ける。其処には――以前其処の学者様から見せて貰った伐採場側で採れた石炭には似ているものの、ギラギラと光を放っている黒い石が詰まっていた。
「これが『石炭と思われる鉱物』だ。見た目は以前見せて貰った石炭と少し違うが、触ると手が真っ黒になったり臭いが近いので石炭じゃないかと――」
「おおおおおおおお! これはッ! 瀝青炭……いえ、無煙炭じゃないですか!?」
俺の説明も終わらぬ内にアイネは一瞬で身を乗り出し、木箱の中身を覗き込んだ。早速光沢のある黒い石に触れてその臭いを嗅ぎ、うんうんと頷いている。
「れきせいたん? むえんたん?」
「そうです! 瀝青炭では無く無煙炭ですよ! これは!」
首を傾げていたレーネに向かって大興奮中のアイネが迫るが、そもそも妻も俺も言葉の意味が分かっていない。
「良いですか? 石炭というのは大きく褐炭、瀝青炭、無煙炭に分かれるのです! まあ最も品質の低い泥炭と言う物もあるのですが、大きく性質も用途も異なる為ここでは語りません」
あ、なんか頼まれても居ないのに解説を始めたぞ? 俺は長くなりそうな予感を覚えながらも、黙って聞くことにした。一応、きちんと知ってはおきたいので。
「そもそも、石炭って燃える石ってイメージだけど、何に使うの? 製鉄だっけ?」
「良い質問ですねレーネちゃん!」
ビシッ、と音がするくらいにレーネへと鋭く指を差すアイネ。本当に活き活きしているなぁ、と妻も俺も生温い視線を送っている。
それからアイネの説明は長かった。かれこれ一時間程説明を受けていたが――要約すると、石炭は燃焼温度が高い為に様々な金属を溶かす為の燃料になると言うことだ。その中でも瀝青炭や無煙炭と呼ばれるモノは品質が高く、より高い温度で燃焼するらしい。もっとも、無煙炭までになると中々着火しないようで扱いが難しいのだとか。
「ただし無煙炭が採れるということは、瀝青炭も沢山採れるということですよ! 西の大陸でしたか? 良い所を見つけましたね! 私も連れて行ってください!」
「いや、ちょっとそれは俺の独断じゃ無理。まあでも、瀝青炭で製鉄、か……」
アイネにガクンガクンと揺さぶられながら、俺は石炭の有用性について熟考していた。話を聞く限り、瀝青炭や無煙炭には木炭と同じ成分が多く含まれているのだとか。木炭を使って製鉄を行うとより固い金属である〈鋼〉が出来ると言うのは知っているが、ゴルトモントは石炭を用いて大量生産の研究をしているらしい。
だとすれば、瀝青炭を多く手に入れられるルートを手に入れたバイシュタイン王国は、ゴルトモントの先を行く事が出来るんじゃないか?
「……これは、ライヒナー候、そして陛下に相談だな」
より強力な金属を安価に製造出来るとあれば、これは推進しない訳にもいかない。次に船が帰港する迄に話をつけておかなくては。
「おい貴様! ここへは立ち入り――」
縋り付くアイネを身体から剥がしながらそんなことを考えていた所、倉庫の入口で何やら悶着が起きていることに気付き、俺は意識をそちらへと向けた。警備兵の声だったが――
「……なんだ?」
声が聞こえなくなり訝しんだ俺だったが――やがて警戒に変わる。
「……血の臭いがするね」
「……だな」
鼻も良いレーネの言葉に、俺も同意する。倉庫の入口からは新鮮な血の臭いが漂ってきている。警備兵に何かあったのだろう。
俺とレーネが杖を構えて待っていると――数秒もしないうちに、其奴は呑気に入口の向かって右側から現れた。視線は――俺の方へと向いている。
「……おう、居たな、ハントヴェルカー伯爵よ」
首から上を除く全身を返り血で染めた黒い鎧に包んだ初老の男は、俺の顔を確認して満足そうにニヤリと口角を上げたのだった。
次回は明日の21:37に投稿いたします!