第一六三話「遙か西には、見果てぬ夢が詰まっていた」
翌日、俺はライヒナー候と共に港へと足を運んでいた。そこには何時もより多くの人々が集まっており、皆揃って目の前に聳えるそれを眺めている。恐らく、目的は俺たちと同じだろうな。
「やあ、思っていた以上に多くの民が楽しみにしてくれていたようだね」
「それはそうでしょうね」
のんびり港を見回すライヒナー候の言葉に、俺はと言うと町民たちと同じく胸の内の興奮を隠せず、若干上擦った声でそう返した。皆、目の前の大型船を見上げて思い思いに声を上げている。
俺たちが港で何をしているのかと言うと――一昨日港に入った超長距離通信により、二ヶ月前にまだ見ぬ地を目指して旅立った船団が本日帰港するという連絡が入った為に待っていたところ、こうして無事に辿り着いたと言う訳である。昨日ライヒナー候が態々俺の自宅まで足をお運びになったのは、それを知らせる為だった訳だ。
ちなみに余談だが、超長距離通信は俺とレーネで開発した〈信連の魔石〉という〈練魔石〉により実現している。これによりこの大型船で通常三日掛かる程度の距離であれば声を伝えることが可能になったのである。このお陰で王都とも連絡が取り易くなり助かっているものの、製造コストが高いのでほいほい作ることは出来ないのが難点ではある。
この画期的な魔石の製造方法はその重要性からバイシュタイン王国内でもトップシークレットとなっており、今のところ知る者は俺とレーネしか居ない。シュノール宰相閣下から『情報を制することの重要性』を教えて頂いた為、俺たちもそれで納得している。
「さて、船員たちを労わなくては。ハントヴェルカー伯爵もお願いして良いかい?」
「はい、勿論です」
ライヒナー候のお願いとあらば拒否することなど出来はしないし、するつもりも無かった。公式の場なので家名で呼ばれたが、慣れなくてちょっとくすぐったい。
「あなた、行ってらっしゃい」
「パパ、がんばってください」
「ああ、有難う二人とも。行ってくるよ」
妻と次女の応援を背に受け、俺はライヒナー候と共に桟橋へと向かった。果たして彼等は大海原で何かを見つけることが出来たのだろうか。楽しみで仕方が無い。
「そうかい、航海中に船員が一人亡くなったのか。残念な事だね」
「はい。ですが昔の船であればこのような長距離航海、もっと大勢の犠牲者が出ていた事でしょう。全ては領主様が立派な船を与えてくださったお陰です。感謝しておりますよ」
船員たちを労った後、俺とライヒナー候は港の一施設にて船団の旗艦〈ノイヴェルト〉号の船長から航海での話を聞いていた。やはり見知らぬ海へ旅するというのは危険が伴うらしく、一人が病気により船上でこの世を去ったと言う事だ。
涙ぐみながら感謝の意を示す船長に、ライヒナー候はかぶりを振って応えた。そして俺の方をちらりと窺う。
「船を造ったのは私では無い。礼を言うならば造り上げた人たちにこそ言って欲しい。ああ、そして目の前のハントヴェルカー伯爵にもね」
「いえ、お――私は魔石を一つ提供しただけですよ。大した事などしておりません」
危うく「俺」と言い掛け正す。貴族というのは体面を気にしなければならないのである。面倒臭いがライヒナー候の手前だ、我慢。
ライヒナー候は「それは違うよ」と仰って、真剣な表情で俺を見つめた。その瞳には揺るぎない力を感じる。
「謙遜はしないで欲しい。ハントヴェルカー伯爵の魔石のお陰でより多くの荷を積み船員も乗船することが出来たのだ。それは結果として彼等の命を繋ぐことになったのだよ」
「おお! あれはハントヴェルカー卿の御力だったのですか! でしたらライヒナー候の仰る通りです! あの魔石があったからこそ、我等は航海を成功させることが出来たのですよ!」
ライヒナー候に釘を刺され俺が言葉に詰まったところ、船長が感動で涙を流しながらそう訴えた。それ程までに重要だったのか。だとすれば、素直に評価を受け取っておくべきなのかも知れない。
「……ところで、船長。無事に何かを発見することは出来たのだろうか?」
ライヒナー候がそう尋ねたところ、船長は待っていましたとばかりに「その話ですが!」と喜色満面で身を乗り出した。もうこの反応だけで収穫があった事が分かるが、ちょっと暑苦しい。
「遙か西には、我々が想像もしない文化が広がっておりました。我々はある港を拠点として近辺の調査を行い、そして描いた地図が此方です」
そう言って船長は懐から一枚の大きな紙を取り出し、目の前のテーブルに広げた。話の流れからしてこれは海図なのだろう。手前側は精緻に描かれていることを考えると、此方がバイシュタイン王国側、つまり東側か。
「随分と多くの島を発見したようだね」
ライヒナー候の仰る通りに、西側の方には大小様々な多くの島が描かれている。だが最も西の方には南北に大きく延びる海岸線も確認出来るな。これは――
「……船長、もしかしてここの端に描かれているのは、大陸ですか?」
俺の質問に、船長は自信満々に大きく頷いた。何しろ海岸線が南北に大きく延びているのである。俺は海図を読む事が出来ないが、描かれた図で地形は大体分かる。
「ええ、そうです。その海岸線の――ここに印がありますが、〈テト〉と言う港町が拠点でした。文化的には我等より遅れている印象こそ有りましたが、大きな町でしたよ」
とは言え言葉が通じなかったので大変でしたが、と船長は笑う。まあ、其処は仕方無い所ではあるのだが――
「成程。……ところで船長、この海岸線の北側は、やはり気候的に寒い土地になっているのですか?」
「そうですね。寒いです。話に聞くロマノフ帝国のように、大地が凍っている所もあるようですよ」
「……ふむ、成程……。であれば――ライヒナー候、一つ相談があります」
船長の話を聞いた俺は、思った通りの回答が返ってきた事に満足し、頷いた。そしてライヒナー候の方を向き、一つの提案を行う。
「……ハントヴェルカー伯爵、そんな便利な魔石があるのかい!?」
「はい。ですので次の航海ではそれをお貸ししましょう。そうすれば、色々とやり易くなると思います。如何でしょうか、船長?」
「それは――願ってもない話です! お願いします!」
俺のある提案に、船長は興奮気味にその身を大きく乗り出して俺に懇願した。だから暑苦しい。
次回は明日の21:37に投稿いたします!