第一六二話「俺、上級貴族を放置する」
「……国内での発見事例は無し、かぁ……」
トールさんから依頼の話を聞いてから一〇日後、シュノール宰相閣下へ送った手紙の返事には、無情にもそんな事が書かれていた。まあ、ロマノフ帝国は一年中地面が凍っている永久凍土と呼ばれるような土地が大半なのだし、動植物も此方では見られないものばかりなのだろう。
「リュージ、どうだった?」
「駄目だった。国内には無いとさ」
「それは残念だねぇ」
妻と二人で肩を落とす。貴重な植物だし、帝国の外へ輸出などはされていないだろうな。となると――
「採りに行く……か? それとも誰かに行って貰うか」
そんな事を考えたものの、北のゴルトモント王国とロマノフ帝国は現在緊張状態にあると聞いて居る。季節自体はこれから夏なので行けない事は無いんだろうが、帰って来られなくなる事態は避けたいし、誰かにそれを頼む事も出来ない。
ちなみにロマノフ帝国と我が国の間には北西のグアン王国も存在しているが、此方は我が国と度々戦争をしている。停戦中とは言え足を踏み入れることは出来ない。
「でも採りに行ったとして、持ち帰って魔石を作るまでに枯れちゃわない?」
「……そうだった」
レーネにごもっともな事を指摘され、俺は項垂れる他無かった。そりゃそうだ、持ち帰ろうとしているものは植物なんだし。
「まあ、それに貴重な物なんだし国外へ持ち出す事も出来ないかもな。となればもう一つの方法を使うしか無い」
この一〇日間、ただただ宰相閣下の返信を待っていた訳では無い。〈ユーリカ〉が入手出来ない場合の代替手段はきちんと考えてある。
「もう一つの方法というと……〈練魔石〉?」
「そうだ」
んー、と顎に手を当てて尋ねるレーネに、俺は頷く。こういう時は妻の錬金術師としての才能が非常に有難い。〈練魔石〉は錬金術で作成した素材を元に作る魔石だからな。
「〈鍵の魔石〉と同等かそれ以上の効果を持つ〈練魔石〉が作れれば、依頼の遂行には十分過ぎるだろう」
「まあ、そうだねぇ。ただ――」
「ただ?」
何やらレーネは申し訳なさそうに長い耳を垂れ下げている。この様子だと妻は同等の力を持つ〈練魔石〉の素材について既にレシピは考えてあるのだろう。だとすると、他に何か問題でも有るのだろうか。
「……その〈練魔石〉を作る為の素材、それを作る為には結局〈ユーリカ〉か、それと似たような性質を持つ植物が必要なの」
「…………成程」
俺はレーネの説明に嘆息してしまった。やっぱりそう上手い話と言う物は無いらしい。
しかし、永久凍土に生える苔である〈ユーリカ〉と同じ性質ともなれば、同じような土地に足を踏み入れなければ手に入らないだろう。バイシュタイン王国内にも一年中寒い地域というのは存在しているようだが、そこは標高が高い場所であり永久凍土とはまた話が違ってくる。
次の打つ手についてあれこれレーネと話し込んでいると、玄関から「ただいまです」とマリアーナの声がした為、二人で廊下へ出て迎えることにした。
「……あれ? ライヒナー候?」
廊下へ出た俺たちは、マリアーナ以外の人物が玄関の中に居た為に驚きの声を上げてしまった。次女は何故か、ライヒナー候をお連れしていたのである。
「やあ、ハントヴェルカー伯爵。こんにちは」
「その呼び方はお止めください……」
「ははは、冗談だよ」
俺の心からの懇願に、ライヒナー候はカラカラと笑ってそう返した。勿論この御方の事なので、嫌味で言っておられる訳では無いことは理解しているが。
「マリー、ライヒナー候をお迎えしてくれたのか、偉いぞ」
「えへへー」
仕事をしてくれたマリアーナを撫でくり回してやると、娘は気持ちよさそうに目を瞑った。ああ可愛い。天使って本当に居たんだな。それも俺の娘だったとは。
「……リュージ君、そろそろ良いかい?」
俺が玄関で放置されていたライヒナー候を慌てて招き入れたのは、マリアーナを撫でくり回し続けて三分程経ってからの事だった。
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