第一六〇話「妻が泣かない程度にお願いしたい」
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色々とあったあの年から季節は巡り、幾度目かの春がやって来た。
俺とレーネの間に生まれたマリアーナも、昨年の秋で三歳になってしまった。年を取ると時が経つのを早く感じるようになると言うが、本当だな。
俺も今は二六歳、レーネは二三歳、ミノリとスズも二〇歳、一八歳ともう大人の仲間入りだ。実際この間、「もう子供扱いは止めてくれない?」とミノリに白い目で見られてしまった。俺にとっては何時まで経っても可愛い妹なのだが、寂しいものだ。
長女のアイも一五歳になっており、最近はミノリたちと冒険者稼業に精を出している。第一等パーティに一人新人として入った第九等冒険者ではあるが、アイは修行も終えている立派なくノ一なので妹たちも助かっているらしい。
「パパ、おしごとちゅうですか?」
「ん? ああマリー。どうした?」
今日は弟子たちもお休みの為に工房で一人新しい魔石に挑戦していた所、我が家の天使がやって来た。作業中は危ないから近付かないように、と厳しく言いつけてあるので、何時もアイは必ず声を掛けるようになっている。
振り返って見てみれば、何時ものように天使は優しげな笑みを湛えて俺を見上げていた。レーネと同じ萌葱色の髪を綺麗にショートカットで切り揃えており、ゆったりとした水色のワンピースが清楚なお嬢様と言った感じである。まあ事実、俺が貴族になった為にお嬢様で間違い無いのだが。
ちなみに娘の耳だが、ハーフエルフなので当然のことながら人間のそれでは無い。レーネの血を色濃く継いでいるのか、種族的にも結構長めの耳だ。それが娘に神秘的な印象を与えている。
「ママが、そろそろおひるだからよんできてっていってました」
「そうか、有難うマリー。すぐに行くよ」
「はあい、ママにいっておきますね」
とてとてと音を立てながらマリアーナが戻って行った。ああ、癒される。あの子もアイも将来誰かの嫁に行くなんて考えられない。陛下に直談判して父親と婚姻出来る法律を作って貰おうかと真剣に悩んでしまう。
そんな馬鹿な事を考えていたら、玄関の呼び鈴が鳴った。来訪者か。
流石にマリアーナへ任せる訳にもいかないので、俺は腰を上げて玄関へと向かった。ドアの向こうの魔力を軽く感知したところ敵意は感じられないので普通に開けると、其処には商工ギルドの職員、トールさんが居た。
「こんにちは、ハントヴェルカー卿、ご機嫌よう」
「その呼び方は止めてくださいって言ってるじゃないですか、トールさん」
「あはは、すみません」
態々貴族の家名を持ち出し呼んできたトールさんへ俺が眉間に皺を寄せて抗議すると、どうやら冗談だったらしく苦笑していた。一応貴族としての立場もあるので家名で呼ばれるようにはなったが、親しい人には今まで通り呼んで欲しいと言ってあるのだ。
そう、俺は四年前に諸々の功績が認められ、陛下より家名を名乗る事を許された。つまり爵位を与えられたのである。それも伯爵と言う破格の待遇で。
とは言え、「職人なので今まで通り手を動かしたい」、「なので領地運営は勘弁して欲しい」と色々注文を付けた上で貴族になることを承った。つまり家名を与えられたこと以外は今まで通りに過ごしている。
ちなみにハントヴェルカーという家名は「職人」というまんまな意味である。普通の貴族からしたら噴飯ものの家名なのだが、俺たちは職人であることに誇りを持っているので、これで良いのだ。
「おっと、良い匂いがしますね。もしかしてお昼ですか? 出直した方が良いでしょうか」
トールさんが申し訳なさそうに縮こまり、俺を見上げる。そりゃな、時間的にもうお昼だよ。とは言え出直して貰うのも申し訳ないので、俺は彼の遠慮にかぶりを振って応えた。
「トールさんが直接いらっしゃったって事は何か重要な依頼なんですよね? 丁度良いですし、一緒に昼飯を食べて行きませんか? 話は其処で聞きますよ」
「え、悪いですよ」
「良いんですよ、たまには外から忌憚の無い意見を聞かないと、レーネの料理の腕が何時まで経っても向上しませんし」
慌てた様子のトールさんへ、俺はそんな事を言いながら小さく含み笑いを上げた。そんな俺を見て彼は「容赦ないですねぇ」と苦笑する。グルメであるトールさんの舌は信頼出来ると知ってのことである。
最近レーネは俺の一番弟子でありウチの家事を一手に担っている猫人のベルから料理を学んでいる。貴族、それも伯爵なのだから料理人を雇えば良いのだろうが、妻には妻としての矜持というものもあるらしく、夫は料理が出来るのに妻が出来ないと言うのは許せない、ということで一念発起したのである。
「ですが、そういう事ならお邪魔させて貰いますね。レーネさんの料理がどれ程のものか、厳しく審査させて貰いましょう」
「妻が泣かない程度にお願いします」
俺は真顔でそんな事を言いながら、トールさんを招き入れたのだった。
次回は明日の21:37に投稿いたします!