第一五六話「妹に頭を冷やせと怒られてしまった」
エメラダに遠距離攻撃が効かないことを知った俺はすぐに皆へ周知を行った。元々弓矢では効果が低いので近接攻撃に切り替える事自体は問題無いのだが――
「結局、こうなる訳か」
俺はエメラダの方へと駆けながら、腰からアーベルの剣を引き抜きつつそんな事を独り言ちた。スズの声を全員へと伝達する役目には、攻撃手段が弓しか無い女性兵士の一人に代わって貰った。
近接班の皆はとっくにエメラダへ攻撃を開始しており触手などは斬り払えているのだが、肝心の身体への攻撃が弾かれている。まあ、これも予想していた事だ。
「リュージの名において、何をも貫く刃と化せ、〈鋭利〉!」
自分の剣に付与を施す。〈想念の魔石〉と〈豪腕の魔石〉の効果を持ち、〈エルムスカの魔石〉で付与を施した剣ではあるが、これも先程魔人化を始めた時に弾かれている。このままだと効果は無いので――
「リュージの名において、我が肉体に何をも砕く力の一端を与えん、〈砕〉!」
一撃のみではあるが攻撃を強化する一時付与を自分の肉体に施す。これで効果が無ければ本当に打つ手は無いが。
「ミノリ、一撃入れるぞ!」
「分かった!」
俺の呼び掛けに、エメラダの前で触手を斬り払っていたミノリが身体を横にずらした。俺と魔人の間に道が出来る。
大きく振りかぶった剣を、袈裟懸けに振り下ろす。ぎゃりり、という嫌な音がしたものの、剣は折れる事無くエメラダの身体に大きな傷を負わせた。
「ミノリ、追撃!」
「はいよ!」
俺の斬撃で作った傷を、ミノリが器用に右手の〈ペイル〉でなぞる。一度付けた傷だし、この攻撃は有効的だろう。
その間に俺は一旦剣を納め、マジックバッグから一つの薬瓶を取り出した。一瞬投げつけようと構えたが、そう言えば〈矢避け〉が有るのだったと気付き振り上げた手を下ろす。
……この爆薬を、使う為には――
「ミノリ、交代! ちょっとどいてくれ!」
「え? わ、分かった!」
再生を繰り返すであろうエメラダの身体に斬り付け続けていたミノリだったが、左腕の袖を大きく捲り上げた俺が何かをする事に気付きその場から離れる。忙しなくてすまん、妹よ。
だが、俺が薬瓶を持っている事に気付いたミノリの顔が一瞬強張ったのが見えたような気がした。妹のことだ、コレをどうやって使うか理解したのかも知れない。
「おらっ! 燃え上がれ!」
俺は薬瓶の蓋を開け、そのまま逆さにしてエメラダの胸に有る傷口に押し付けた。瓶から勢いよく零れだした液体が空気に触れた瞬間に燃え上がる。
そして当然の事ながら、押し付けた俺の左腕は――炎に巻き込まれた。
「ぐぅっ!」
「リュージ兄! 何やってんの!?」
背後のミノリが叫び声を上げ、俺を背中から抱き締めてエメラダから引き剥がした。ああくそ、左腕が燃えている。熱い。
しかし、この時の為に水は用意している。ミノリに引っ張られて前線から離れる俺は、右手でマジックバッグをまさぐり手近の水筒を取り出すと、燃え上がっている左腕へと掛けた。
「……火が、消えない?」
「リュージ兄、それじゃ駄目! スズぅーっ! 〈ウォーター・ボール〉を出して! 早く!」
腕が高温と化している為か、段々意識が朦朧とし始めていた所でミノリが叫んだのと同時に、目の前に俺の身体ごと包めそうな大きさの水の玉が生まれ、浮かび上がった。どうやらスズは事態を把握し、先に詠唱を終えていたらしい。
ミノリは遠慮無く俺の左腕を引っ掴んでその玉に突っ込む。そしてようやく火は消えた。
「リュージ兄は少しの間、そこで火傷と頭を冷やしてて。……それと、後で言いたい事があるから、覚悟しててよ!」
「…………おう」
ミノリは普段見せないような険しい顔で言い捨てると、再び剣を手にしてエメラダへと向かって行った。どうやら妹を怒らせてしまったらしい。まあ、そりゃ怒るか。
だけどなぁ……、遠距離攻撃が効かない以上、爆薬は直接食らわせないといけなかったからな。傷口を焼かないと再生するのは今まで戦った魔人で良く分かっているし。
さて、ミノリには火傷を冷やしていろと言われたが、そうも言っていられない。俺はもう引火しないか確認しつつ慎重に水の玉から左腕を引き抜くと、レーネの傷薬を取り出し、左腕に塗布した。
しかしながら火傷はすぐに治ってはくれないようで、未だ爛れたままである。でも、動くようにはなった。
「さて、じゃあ我が師だったモノに、引導を渡しに行くか」
俺は誰にとも無くそう呟き、アーベルの剣を再び腰から抜いた――のだが、そんな時だった。
「此奴、また雷を呼ぶ気か! 全員散開!」
そう隊長の大声が響いた為にエメラダの方を向くと、魔人は再び天を仰ぐように上半身を倒し始めていた。上空もまた暗雲が集まり始めている。また、雷の力を宿すつもりか。
しかし雷の力がどう作用するか不明な以上、黙って逃げ出す事は出来ない。
――もし雷の力で胸の傷を治されたら? それが意味する所は、俺の左腕が火傷損であるという事だ。
「此処は、俺の運試しになるかな。――リュージの名において、我が肉体に何をも砕く力の一端を与えん、〈砕〉!」
俺は一撃を強化する〈砕〉を自分の肉体に一時付与すると、逃げ出す隊の皆とは逆方向、つまりエメラダの方へと駆け出した。すれ違ったミノリが仰天したような表情を浮かべていた。
「リュージ兄! 今度は何するつもり!? 逃げないと雷に巻き込まれるよ!」
「巻き込まれる前に逃げるから安心しろ」
「全然安心出来ないんですけど!?」
自信満々に応えたと言うのに、ミノリはこれっぽっちも俺を信用してくれていないようだ。兄として信じて貰えないというのは悲しいものだ。
俺はエメラダの所へ辿りつく直前に両手で剣を逆手に持ち替えた。狙うは――未だ燃え続けているエメラダの胸の傷、その奥にある筈の魔核だ。
触手が俺を阻もうとちょっかいを出してくるものの、〈大金剛の魔石〉の防御障壁に弾かれる。雷の力を宿していなければ全く怖くない。
空の雲が太陽を隠し、辺りが薄暮のように暗くなる。――が、俺は構わずに雷を呼んでいるエメラダの上へと大きくジャンプした。
「これで――終いだ!」
俺の渾身の力により、アーベルの剣はエメラダの傷口へと深く突き刺さった。魔人の身体に沈み込んだ切っ先から、固い物を砕く感触が腕に伝わった。
金色の魔人はと言うとそんな必殺の一撃に悲鳴を上げるでも無く、ただ只管に口を開け、雷を待っていた。一瞬表情が動いたようにも見えたが、気のせいだったかも知れない。
余り悠長にしている時間も無いのだが――俺は魔人の顔を一瞥した後、少しだけ、俺たち兄妹に生きる道を指し示してくれた恩師の為に、目を瞑り、黙祷した。
「……さよなら、『先生』」
剣を恩師だったモノへ突き立てたまま、俺は直ぐに踵を返して全速力で駆けだした。既に空ではゴロゴロと雷雲が音を立てているのだ。長居したら死ぬ。
そう考えた、その時。
視界が白く染まり、そのまま、ぷっつりと暗転したのだった。
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