第一四八話「今となれば過去のことだと、そう言った」
「よせ! ミノリ!」
岩陰から飛び出し、俺はエメラダに斬りかかった妹を大声で制止した。だが刃は止まらずに、エルフの邪術師へと振り下ろされる。
ぎぃん、という金属音が、街道沿いの平原に鳴り響いた。
「あらあら、随分と手癖が悪くなったわね、ミノリ」
「くっ……!」
大きな隙を見せていたにも関わらず、エメラダは余裕の笑みを浮かべながら己の身長よりも長い杖でミノリの斬撃を受け止めていた。ミノリの攻撃を易々と受けるとは、元第一等冒険者と言うのも伊達では無いと言うことか。
ミノリはそれ以上の追撃を行わずに後ろへ飛びすさった。それを許さぬが如く地面から生えた金色の触手が追い縋り、左胸を貫こうとした――が、見えない壁に弾かれ、身体への侵入は許されなかった。
「ちっ、あの防御障壁の魔石か……。厄介なものね」
エメラダが舌打ちし、触手を下げた。「あの防御障壁の魔石」と言ったか。〈大金剛の魔石〉を認識しているって事だな。
「なんで止めるの、リュージ兄!」
ミノリは俺を見る事無く俺へ文句を垂れた……のだが、此方にも都合がある。攻撃されては困るのだ。
「エメラダ、先ずは話し合いをしたい」
「話し合い? 此方は斬りかかられたのだけれど?」
「それは行き違いだ、すまない」
「行き違いねぇ……、私を包囲しておいてその言い草も無いんじゃないかなぁ……」
素直に謝ったものの、エメラダはおどけたように肩を竦めてそう返した。隠れている兵についても既に把握しているって訳か。
俺はエメラダの言う事にそれ以上構わず、無言で腰の剣を引き抜き、彼女へ捧げるように差し出した。
「……それは?」
「アーベルの剣だ。彼の遺品で唯一取り返すことが出来た物らしい。ラウディンガーの冒険者ギルドから譲り受けてきた」
訝しげに尋ねたエメラダへ、俺はそう答えた。この剣は、「エメラダを頼む」とヴォルフさんから預かってきた物なのだ。
エメラダはアーベルを殺された絶望で邪術師になったと推測される。だったら、少しでも彼の思い出を取り戻せれば、彼女が引き返すことも出来るのではないかと思ったのだ。
「アーベルの仇であるベルトラム元侯爵は既に処刑されているし、お前の恨みをぶつける相手は居ない。だが、無関係の人間を傷つけるのは違うだろう? 頼むから、元の優しい『先生』に戻ってくれ」
俺は縋る思いでそう告げた。事情が分かっていないミノリとスズはエメラダの背後で困惑した様子を見せているが、これ以上邪魔するつもりも無いらしく、動く気配は無い。
エメラダは俺の行動の一部始終を見て呆気にとられた表情を浮かべていたものの、それは憂いを含んだものに変わり、顔を俯かせた。
「………………」
「……エメラダ……」
何かを悔いているのだろうか、俯いたまま動じることの無いエメラダ。
だが、その肩がぶるぶると震えだし、そして聞こえ始めたのは――あろうことか、含み笑いだった。
「クックック……、アーベル、ね。確かにそんな恋人も居たわ」
……「そんな恋人も居た」、だと?
此奴は、何を言っているんだ。
「……それが、どうしたの?」
「……なんだって?」
隙を見せてはいけないと思いつつも、俺は狂気の笑みを貼り付けた恩師の顔を見て、混乱せざるを得なかった。エメラダは、アーベルを殺された絶望で動いていた訳では無いと言うことなのか?
エメラダは「馬鹿馬鹿しい」とでも言うように小さく溜息を吐くと、据わった瞳を俺に向けた。それはまるで酔っ払いのようだった。実際、邪教に酔っているのだろう。
「私がアブネラ様の使徒となる切欠はそんな出来事だったかも知れないけれど――今となれば過去の事に過ぎないわ。だから――」
何かを言い掛けたエメラダを囲む地面から一斉に金色の触手が飛び出し、束になって俺に襲い掛かって来た。が、あえなく〈大金剛の魔石〉の力で弾き飛ばされる。
その間にエメラダは何かの詠唱に入っていた。咄嗟にミノリが斬りかかるものの、触手の壁に阻まれていた。スズもすぐに詠唱に入っているが、エメラダの方が早いだろう。
「〈サーヴァント・コーリング〉!」
エメラダの詠唱が完成すると同時に、触手で囲まれた結界の中にアデリナとフェロンが現れた。予想してはいたが、普段は二人を仕舞っているのか。
「アデリナ、貴女は周りの木っ端の相手を、フェロンはミノリとスズを、私は――」
眷属二人に命令を出したエメラダが、俺を見据えてニッコリと狂気の笑みを浮かべる。
「さあ、リュージ。どの程度強くなったのか、教えて欲しいわぁ」
「……上等だ、三人で掛かって来なかったことを後悔させてやる」
俺はそう啖呵を切り、アーベルの剣の柄を強く握り締めたのだった。
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