第一四四話「固定観念に囚われていると足元が疎かになる良い例である」
シュノール宰相閣下がどのような伝手で〈ヘイムン草〉を手に入れるのかは分からないが、手元に届くまで何もしない訳にもいかず、俺とレーネは新たな〈練魔石〉の研究に取り組むなどしていた。
そして夏も近付いてきた一二日後、ザルツシュタットへの望郷の想いを募らせながら仕事を続けていた俺たちは、目の前に積まれたそれを見て仲良く大口を開けていた。
「……本当に〈ヘイムン草〉だよね……」
「間違い無いな……。しかも、事前に必要だとお話しした量はクリアしている……」
「はい、本物ですとも。その辺の雑草を摘んできた訳では御座いません」
何とも反応に困るジョークを交えながら、宰相閣下は俺たちの反応を見て楽しげに笑っておられた。ゴルトモントの北部以北でなければ採れないこの材料を、一体全体どういう手品を使って用意したと言うのか。
レーネは〈ヘイムン草〉を一束手に取り、じっと眺めたり臭いを嗅いだりした後、困惑した表情を浮かべながら俺に向き直った。
「この〈ヘイムン草〉だけど……、一昨日あたりに採れたものだと思う」
「そんな馬鹿な」
「事実だよお」
余りにも意味不明で泣きそうになっているウチの妻である。いや、俺も訳が分からな過ぎて混乱しているんだが。
そんな俺たちを見かねてか、宰相閣下が「では、種明かしをしましょうか」と苦笑を浮かべておられた。
「私が光栄にも宰相として着任いたしましたのは昨年の初冬あたりですが、真っ先に取り組んだのが、ハイスラート高原での希少種保護です」
宰相閣下のご説明に耳を傾ける俺とレーネ。そう言えばそうだ、宰相閣下はスタンピードの後に着任されたのだったな。
「ハイスラート高原、って……」
「ここから北西に在る高原ですね。かなり標高の高い場所で、手つかずの自然が残っているのですよ」
記憶から頑張って手繰り寄せようとしていたレーネに、宰相閣下が補足を入れて頂けた。そんな場所があったとは、まだまだこの国でも知らないことが多いな。
ここ王都ラウディンガーもそれなりに標高が高い所に位置している。何しろバイシュタイン王国の国土は山ばかりなのだ。俺の知らない高原がその近くにあったとしても不思議では無いだろう。
「ってまさか、その〈ヘイムン草〉は――」
「はい、そこに生えています」
な、なんだってー!
俺とレーネはニコニコと楽しげに笑い続けておられる宰相閣下の一言に、驚きのあまり声を出すのも忘れていた。
そうか、俺たちは端から「〈ヘイムン草〉はゴルトモント王国北部以北でしか採れない」という思い込みに囚われすぎていたのか。でもまさか、割と温暖なバイシュタイン王国で群生地があるなんて思わないじゃないか。
「私は昨年の着任後、すぐに高原の調査に乗り出したのです。冬場と言うことで調査隊には無理をさせてしまいましたが、その季節でないと姿を現さない植物も有りますからね」
「そうなんですか……」
目の前に居られる宰相閣下は植物にも精通していらっしゃるのだろうか。何と言うか、人としての格の違いを見せつけられたような気がして若干ショックである。
でも、気になることがある。宰相閣下は何故希少種の保護などを行おうとお考えになったのか。それは優先すべき仕事では無いような気がするのだが。
それを問うてみたら、またもやクスクスと笑われてしまった。
「昨年ご活躍なさったお二人のことを伺って、付与術と錬金術の可能性を感じたからですよ」
「付与術と、錬金術の……可能性?」
それは非常に光栄な事ではあるのだが、希少種の保護の話とどのように結びつくのだろうか。
「昨年のスタンピードにおいて開発された装備である〈大金剛の魔石〉に〈ヘイムン草〉と言う我が国で見つかっていない植物が使われていない事は伺っていました。いずれはその供給方法が問題になると着目し、植物調査に当たらせたと言う訳です。もっとも、ほど近いハイスラート高原で見つかるとは思いませんでしたが」
宰相閣下は平然と仰っているけど、まさに半年後こうして問題化しているのである。これが先見の明と言う奴だろう。
「ご慧眼に感服いたしました。お陰で助かりました、有難うございます」
俺たちは心からの感謝を込めて頭を下げた。宰相閣下のお陰で〈大金剛の魔石〉製造の目途が立ち、兵たちの命が守られることになったのだ。
宰相閣下は「いえいえ」と何てこと無さそうに答えた後、ぽん、と手を叩いた。
「ああ、そうです。此方に今の季節のハイスラート高原で手に入る植物や昆虫などのリストが有りますので、研究で必要であれば採集の部隊を動かしましょう。もっとも、陛下の御命令を遂行した後に、ですが」
「……何から何まで、有難うございます」
俺は「この人には勝てない」と思いながらもう一度頭を下げた。隙が無いのか、この御方は。
何はともあれ、これで〈大金剛の魔石〉が作れる。急いで用意し、エメラダとの戦いに備えなければ。
次回は明日の21:37に投稿いたします!