第一四三話「今度の宰相閣下は実に頼りになる」
城の一室を仮工房として使わせて貰い、俺は戦闘で使用可能な魔石の制作に精を出していた。俺を妬んでいる王宮付与術師の工房を間借りするという選択は残念ながら無いため、器材は王宮鍛冶師に頼んで新しく用意して貰った。王宮付与術師と言いエメラダと言い、負の感情が関わると碌な事にならないものだ。
そうして二〇日も経った後、体調が戻ったレーネも作業に加わり、早速〈大金剛の魔石〉製造に入ろうと思ったのだが――
「材料が無ぇ」
俺は城下町から戻るなり、仮工房のデスクに突っ伏した。〈大金剛の魔石〉の素材を作る上で必要な〈ヘイムン草〉はゴルトモント産である。侵攻されていると言うのに輸入など出来ている筈が無い訳で。
「困ったねぇ……」
俺の買い物を待ちながら回復薬を作っていたレーネも顔を曇らせている。あの魔石が有ると無いとでは戦力の差が大きい。邪術師の〈神殺し〉で無効化される『ギフト』でない力で強力な加護を得られると言うのもある。
「レーネ、〈大金剛の魔石〉の更に強化版の魔石を作れる素材とか思いつかないか?」
「無茶言わないでよお」
俺の無茶振りにレーネは口をひん曲げて抗議した。まあ無理だわな。
となると、陛下に事情を報告し、何とかして〈ヘイムン草〉を手に入れる算段を見つけて頂くか、或いは――
「〈大金剛の魔石〉を諦めて、〈金剛の魔石〉で我慢するか、だが」
〈金剛の魔石〉を作る場合も〈大金剛の魔石〉と同じく〈ヘイムン草〉が必要になるが、その使用量は〈大金剛の魔石〉よりも少ない。今編成を予定している部隊の人数をカバーするには間に合うだろう。
「でもそれだと、陛下の御命令にそぐわないよねぇ……」
「そうなんだよなぁ……」
正直な所、〈金剛の魔石〉ではなく〈大金剛の魔石〉でないと危険だ。何しろ向こうは何故か錬金銃を所持している。裏で造っているのが誰なのかは知らないが、〈金剛の魔石〉では銃弾を防ぐことが出来ないのだ。
ああでもないこうでもないと、レーネと二人で悩み倒していたら、唐突に工房のドアがノックされた。没入しかけていた俺は慌てて立ち上がり、ドアの方へと向かう。
「こんにちは、リュージさんに、レーネさん」
「あ、こんにちは、シュノール宰相閣下。何か御用でしょうか?」
ドアの向こうに立っておられたのはシュノール宰相閣下だった。俺と同じ黒色だがやや長めの髪を撫で付け、眼鏡で理知的な印象を与えている三〇代前半位の御方だ。この年で宰相とかはっきり言って凄いと思う。相当に優秀なのだろう。
「はい、吉報を持って参りました。不躾とは思いますが、中に入ってお話しさせて頂いても宜しいでしょうか?」
こちらがびっくりするほど丁寧に、穏やかに話す宰相閣下。本当にこの御方、あのエルマーと同じ宰相で貴族なんだろうか。いや間違い無く貴族なんだろうけどさ。
「吉報……ですか? はい、散らかっていて申し訳御座いませんが、どうぞお入り下さい」
「ふふ、大丈夫ですよ。散らかっている位が仕事をしているのだと分かって良いではないですか」
男でも魅力的と思えるような微笑みを見せてそうお答えになる宰相閣下である。そう言うもんだろうか。宝石職人の師匠の下に弟子入りしていた時は、少しでも散らかすとぶん殴られたものだが。
「さて、早速ですが本題です。ゴルトモント王国が此方の講和条約締結申し入れを受諾しました」
「えっ」
まさかまさかの吉報に俺とレーネは同時に声を上げ、顔を見合わせた。と言うことは、陛下がお考えになったあの作戦が上手く働いたと言う事か。
「ゴルトモントも、随分と早く決断したのですね」
「ザルツシュタットの防衛隊が善戦しており、攻めきれないと判断したのでしょう。このまま海軍に被害を出し続けるよりは、元々停戦条件であった魔石製造の技術を手に入れ、ここで手打ちとした方が良いですしね」
成程な。向こうとしては未知の魔石技術に加えて錬金銃の脅威も確認しているのだ。バイシュタイン王国への侵攻自体が判断ミスだったと声が上がっていてもおかしくは無い。
「せめて魔石の技術を手に入れて国内の非難を躱そうと言うのがゴルトモント王の狙いでは無いかと見ています。我が国としても人的被害は少なかったので、陛下は貸し一つとして扱うと仰っていました」
宰相閣下曰く、錬金銃によりゴルトモント王国海軍の被害が甚大なものとなっていると推測される事に加え、ゴルトモントから見れば北のロマノフ帝国と東のグアン王国の動きも怪しくなっているそうで、二正面ならぬ三正面は流石に出来ないと判断したようだ。
……まあもっとも、ゴルトモントが手に入れるその魔石の技術と言うのは『ギフト』では無く〈練魔石〉の技術、その中でもどうでも良いような魔石の作り方である。正直な所あれが向こうの被害と釣り合っているかと言えば間違い無くそんな事は無いのだが、向こうとしても一度出した条件を翻せば他国からの目も厳しくなる為に受け入れざるを得なかったのだろう。
「そうなると、ザルツシュタットとゴルトモント間の定期船はどうなるのでしょう?」
「再び運行を始めるでしょうね。もっとも、講和条約締結の後になりますが」
「そうですか……」
吉報ではあったがそれは少々残念だ。講和条約締結後となると、まだ時間は掛かりそうだ。
「……何かお困りなのでしょうか?」
俺とレーネが無言で残念という感情を表に出していたら、閣下から遠慮がちに声を掛けられた。心の機微もすぐに察する辺りは宰相の為せる業なのか、それとも貴族の業か。
「はい、実は――」
俺は宰相閣下に対し、〈ヘイムン草〉が手に入らないことで〈大金剛の魔石〉が作れないことを正直に話した。とは言え、ゴルトモントから入手出来ないと何も出来ない訳なんだが。
宰相閣下は俺の話を聞き終えると、「分かりました」とだけ答え、すっくとお立ちになった。
「〈ヘイムン草〉なら此方で用意いたしましょう」
「えっ」
またも驚きの吉報に俺とレーネは同時に声を上げた。……って、いやいや――
「あの、〈ヘイムン草〉はゴルトモントの北部以北でなければ――」
と言い掛けた俺を、宰相閣下は右掌で制した。何かお考えが有ると言うのか。
「大丈夫ですよ。私も宰相の任に就いているのですから、アテは有るのですよ」
そう仰った宰相閣下は、俺たちにウインクして見せたのだった。
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